2008年6月 9日

ビューティ・ジャンキー

9784862380692b_3  『ビューティ・ジャンキー―美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち』 アレックス・クチンスキー/著 草鹿佐恵子/訳 バジリコ 2008年

 日曜日には自宅で朝日、月曜日には職場で、毎日・読売・日経・産経・京都と、各紙の書評を読む。もちろんすべての本に興味ひかれるわけではないが、毎週2、3冊はおもしろそうなものが見つかるので、それを読むことになる。この本もそんなふうにして手に取った本だ。

 日本でもかなり普及してきているので、「ボトックス」をご存じの方も多いと思う。これは、死に至る食中毒を引き起こすボツリヌス菌の毒素を顔面の筋肉に注射し、麻痺させて動かなくすることによって、しわを改善するものであるが、かの地、アメリカではこんなものはまさに誰でもやっている「治療」になっている。

 ニューヨーク・タイムズの女性記者が、アメリカの美容整形事情を詳細にレポートし、巧みな文章でその異常とも思える世界に読む者を引き込んでいく、そんなパワーのある本だ。

 しかしそんな彼女自身も、知らず知らずの内にその誘惑にとらわれ、幾つかの施術を受けるのだが、その体験を書いた第十一章「私のビューティ・ジャンキー歴―ドクター・ミシェルに魅せられて」は圧巻。そしてその経験がさらに深い洞察を生み、第十四章「ゲイシャとなった女たち」(この「ゲイシャ」の意味はもう一つ理解できないものの)に結実しているように思われる。

 人はなぜ、しわを伸ばし、顔を引き上げ、しみを消し、脂肪を吸引するのだろう?

 「私たちは皆若い頃に戻って、大人になって手にしたツールを用いて再び人生を送ることができればと願っているのである。」 p.367

 「皮膚はたるむ。骨は折れる。心臓は止まる。そして絶対に元には戻らない。」 p.367

 「絶え間なく精査し、絶え間なく評価し、絶え間なく調整し修復する過程―ノーラ・エフロン言うところの無限の「継ぎ当ての繰り返し」―を経ても、往々にして小さな戦いでは連勝しながら結局戦争には負けるように感じてしまう。」 p.367~p.368 5182g1zzael__sl500_aa240_

『ヘルタースケルター』 岡崎京子/著 祥伝社 2003年

アメリカの美容整形は、行き着くところまで行ったような印象を受ける。かつて岡崎京子が、『ヘルタースケルター』で描いて見せた、ありえないようなことが現実となっているのだ。

 全身の整形手術で、ほとんどサイボーグのようになった主人公、りりこは、トップスターの上り詰めるが、その体は定期的なメンテナンスが必要で、たとえそれを怠らなくても、時間と共に肉体は崩壊して行き、それと同時に精神もまた壊れて行く・・・。

 なんと恐ろしいまんがなのだろう・・・。当時は思った。なんと恐ろしい現実なのだろう・・・、と、今また思う。Sds12760

 『脂肪と言う名の服を着て』 完全版 安野モヨコ/著 祥伝社 2002年

 本の帯には「Diet or Die?」。若くあらねば、美しくあらねば、細くあらねば、というプレッシャーは恐ろしい強さで女を痛めつける。

 美容整形に走らなければ、過激なダイエットに走る。しかしこちらもはまればはまるほど精神を蝕んでいく。病んでいく女の後ろには、既に病んでいる男の影も見え、このまんがも静かに恐ろしい。

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2007年6月24日

舞踏会に行きたいな

 さて、ティアラつながりで・・・。舞踏会(笑)です。Photo_97

『明日は舞踏会』(中公文庫) 鹿島茂/著 中央公論新社 2000年

元本は、1997年出版の作品社の叢書メラヴィリアの4巻です。どう考えても元本の方を買っておくべきでしたorz。

 さて、鹿島先生と言うとやはり、サントリー学芸賞を取った『馬車が買いたい!』でしょうか?でもわたしは断然こっちが好き。『馬車が買いたい!』の女の子版です。

 鹿島先生が、共立女子大の「フランス文化史」の講義を受け持たれた際、『馬車が買いたい!』を参考図書に指定して、

 「タイム・マシンで19世紀のパリに旅をして、1年間生活してきた報告書を書きなさい。1年間の生活費は、少し贅沢ができるように3000フラン(約300万円)あげますから、なににお金を使ったか家計簿をしっかりつけること」という、とてもおもしろそうな課題を出されたそう。こんな課題なら喜んで何時間でも考え続けてしまいそうです(^^)。

 報告者によってレポートの内容は千差万別だったそうですけど、ひとつだけ、どのレポートでもほとんど全員が書きとめていたのが、憧れの舞踏会でワルツを踊ることができてうれしかった、という感想だった。

 わたしもきっとそう書いているでしょう(笑)。それを読んだ先生が、『馬車が買いたい!』が、若い男の視点からのものになっているため、若い女の子がいまひとつ同一化できなかったようだ、と思って書かれたのがこの『明日は舞踏会』なのです。わたしはほとんどこの本で、鹿島先生が好きになりました。

 19世紀のファッションプレートが図版としてたくさん挿入してあって、ヴィジュアルもきれい。本編は、バルザックの『二人の若妻の手記』を軸に、19世紀のパリの社交界の様子や、貴族の奥方(○○侯爵夫人とか)の日常生活や、恋愛と結婚、そしてもちろん憧れの舞踏会を紹介しています。というよりも、『二人の若妻の手記』の主人公の女の子たち、ルイーズ・ド・ショーリューとルネ・ド・モーコンブといっしょに、どきどき、わくわくしながら追体験できるようになっているのです。これは楽しくないわけはない(^^)!

 『二人の若妻の手記』オノレ・ド・バルザックの1841~1842年にかけて書かれた作品です。わたしは東京創元社から出ているバルザック全集16巻、鈴木力衛/訳で読んだのですが、今はこれも流通しているかどうかわかりません。新訳も出ていないもようです。

 ええと、バルザックに関しては語れません。『谷間の百合』でさえ挫折したので、この作品しか読んでいません・・・。それなのに、鹿島先生が好きというのは厚顔とも思っておりますがお許しを・・・。

 『二人の若妻の手記』・・・。昔の訳だからかもしれないですが、なんだかなあ・・と思わせるタイトルですね。若妻、手記、の辺りが(笑)。原題はMémoires de deux jeunes mariéesです。ああ、でも直訳なのですね。

 お話の内容は、今でもよくあるシチュエーションで、女子校を卒業した仲のよい女の子どうしが、環境は違っても友情は続いてて、手紙(今ではきっとメール)で、お互いの暮らしや恋愛や日常のなんやかんやのおしゃべりをする、というもの。

 書簡体小説、つまり、全編「手紙」です。手紙っておもしろいんですよ。ちょっと生の声っぽくて・・・。とここでまた手紙の形をしたすごくおもしろい小説のお話をしたくなるのですが、それはまた機会があれば。

 今でも、学生時代はいっしょに机を並べていたのに、卒業して別々の職に就いたり、結婚したりしなかったり、子供を産んだり産まなかったり・・・で、思えばお互い遠くに来たもんだと思う、ということもあるでしょう?舞台は19世紀なのですが、かなり親しみの持てる内容です。

 王政復古の時代に、修道院の寄宿舎を出て実世界に出て行った、プロヴァンスの貧乏な貴族の娘ルネとパリの名門、ショーリュー家のルイーズの親友どうし。ルネはプロヴァンスで地味な結婚をして良妻賢母に、ルイーズは華々しい社交界にデビューして、スペイン貴族と恋に落ちて結婚します。

 ルイーズはいつも全開バリバリの恋愛体質の女の子。ありがちなことですが、ルネに送る手紙も、そこまで書くか~な内容になることもしばしば。ルネはそれに対して「いいかげんにしときや!」みたいな友を諌める手紙を送る。

 時は流れ、4年後、意外な結末が待っていました。侵略すること火の如し、のようなルイーズと、静かなること林の如し、のようなルネと、読み終わった後、どちらが幸せだとお感じになるでしょうか?ルイーズに対して、これまた人生・・・とわたしは言いたくなりました。

 舞踏会つながりでもう一つ紹介しようと思って、本棚から出してきたのが運の尽き、ちらっと内容を確認するだけのつもりがうかうかとまた読み始めてしまって、そのおもしろさに改めて引き込まれたこの作品。Photo_99

 『ドルジェル伯の舞踏会』 (新潮文庫) レーモン・ラディゲ/著 生島遼一/訳 新潮社 1982年

 1924年発表の作品。作品の舞台もそんな昔ではなく、この頃です。レーモン・ラディゲはこれを書いてすぐ、1923年に20歳で亡くなっています。しかしこの作品は到底、20歳の男の子が書いた作品とは思えないほどの、人間の心理の細かな分析と深い洞察を感じます。

 「あらゆる年齢にはそれぞれの果実がある。それをうまく収穫することが大切だ。しかし、若い者たちはもっとも手のとどきにくい果実を早くとろうとあせり、はやく大人になろうとあせるあまり、目の前にある果実を見落とすのだ。」

 「幸福も健康とおなじようなものだ。それとは気がつかずにいるものである。」

 「別離はへだてをつくるとはいうものの、それはまた別のへだてを除きもする。」

 まるで箴言のようなこの言葉の数々・・・。やはりとても20歳の若者が書いたとは思えません。そこが「天才」たる所以なのでしょうが・・・。

 内容は、フランソワ・ド・セリューズという20歳の若者と、ドルジェル伯夫人、マオとの恋愛・・・というか、それと認め合うまでの心の動きを緻密に分析した、という感じの作品です。確かに、90年くらい前に書かれた作品で、また、わざと古くさくしてあるわけですから、現代に生きるわたしたちからすると、「なんでここでそんな行動をするかなあ?」と奇異に思われることは多々あります。でもそういった「時代の縛り」を越えた心の機微って、あるじゃないですか?そういうところを追ってほしい。

 自分がどういう心理状態で読むかによって、感想は違ってくると思うのですが、恋を恋と認めるまでの心の動きや、恋に落ちる瞬間などは何もドラマチックなことはないのに、読んでいて非常にどきどきするものです。

 と、ここで何かほかの小説を思い浮かべた方もいらっしゃるのではないでしょうか。この作品と明らかに同質なあの小説。それを紹介するのもまた機会がありましたら。

 この系統の小説、「心理小説」と言いますが、これはフランス小説の真骨頂であるなあ・・・と、わたしはエラそうに言ってみたくなりました。

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