mercredi 17 décembre 2008

甘いお話

 心が疲れたときには甘いお菓子と甘い絵本がよく効きます。マカロンを食べながら、今日読んだ2冊。51sjxp64hjl__sl160_aa115_

『ケーキやさんのゆうれい』 ジャクリーン・K・オグバン/さく マージョリー・プライスマン/え 福本 友美子/やく フレーベル館 2007年

 国いちばん、と言ってもいいほどのケーキ屋さん、コーラ・リー・メリウェザー。彼女の作る、「チョコレートケーキは、あくまの心ぞうよりも黒ぐろとしているし、スポンジケーキは、天国にとんでいくほどふわふわで、天使も食べたがりました。」でも彼女は死んでしまい、おみせは売りに出されました。でも彼女は自分のお店にいるんです。そう、ちょっと怖い幽霊となって・・・。

 お店を買い取ったアニーに、コーラ・リーは言います。「わたしにケーキを作っておくれ。むねがいっぱいになって、なみだがこぼれるほどすばらしいケーキ。わたしなら作れるけれど、今までだれも、わたしには作ってくれなかったケーキをね」・・・。彼女が食べたかったケーキはどんなケーキなのでしょう?51ugkcgppdl__sl500_aa240_

『チョコレータひめ』 もとした いづみ/文 樋上 公美子/絵 教育画劇 2008年

 このお話は、ギリシア神話のミダス王のお話に似ています。彼が手を触れたものはすべて黄金に変わったけれど、お菓子の好きなチョコレータ姫が触ったものはみんな甘いお菓子に変わります。

 そんな魔法にかかった姫は、その力を喜んでいたのですが、大好きな人を過ってチョコレートにかえてしまいます。

 「チョコレータひめは このまほうの ちからを はじめて かなしくおもいました。そして カカオを あいしているということに きづいたのです。」

 姫は泣きます。どうしたらこの魔法は解けるのでしょうか・・・。

 色彩豊かな絵が、とても印象的で、きれいです。また、人物になんとも言えない魅力があります。チョコレータひめがかわいくて・・・。

 大人の女の人に読んでほしいなあ。

| | Commentaires (2) | TrackBack (0)

vendredi 18 juillet 2008

大統領の料理人

 最近ではとんと見なくなったようだが、わたしが子どもの頃にはよく、国賓(最近来てないだけ??)が来るとテレビで、「宮中晩餐会」なるものの中継をやっていた。ところがなぜか一番見たかった部分、すなわち料理の映像は一切なく、よくてもメニューがフリップで出されるだけだったのが幼心に痛烈な隔靴掻痒感を残したものだった。やんごとなき方々はどんなものを召し上がっていらっしゃるのか(笑)。そんな興味は大人になっても一定続いているようだ。32072134_2

 『大統領の料理人―厨房からのぞいたホワイトハウス11年』  ウォルター・シャイブ/著 田村明子/訳 KKベストセラーズ 2008年

 題名だけ聞いたときには、一瞬『金正日の料理人』51hfd2njrnl__sl500_aa240__3 かと思ったが、もちろん違って、著者は主にクリントン政権の時代にホワイトハウスでシェフを務めた人。ブッシュ大統領の一期目まで務めたが、ついに「ホワイトハウス」と袂を分かつことになる。そこのいきさつも何やら興味深くはあるのだが、着任の日から、ヒラリー夫人の意向とぴったり沿った形で、厨房の新しいシステムや動かし方や、新しい料理を作り上げていく過程がすばらしくエキサイティングだ。特に「ミレニアムの大晦日」の、シェフ率いる厨房スタッフの奮闘ぶりは圧巻だ。こんなふうに働いてみたい、と思ってしまうほど。

 1994年6月13日に、明仁天皇を迎えて行われたステートディナーには、それまでホワイトハウスで長い間守られてきた伝統が二つ覆されたそうだ。一つはメインディッシュを肉ではなく魚にしたこと。もう一つは、魚料理に白ワインではなく、オレゴン産のピノ・ノワール、つまり魚料理に赤ワインが供されたこと。

 魚にピノ。この組み合わせは以前に参加した、オレゴンの生産者ディナーで初めて教えてもらって、実際に違和感なくとてもよく合ったのが印象的だったのでよく覚えている。なので上記の話を大変興味深く読んだ。

 鬼気迫るのが、政権が移ってすぐに起きた2001年9月11日の記述だ。スタッフやシークレットサービス、警備のためにホワイトハウスに、どんどんどんどん集まってくる軍人たちや警察のために、シェフは一日中食事を出し続けた。その数700人から900人。

 「ゲイリーは「まだ食べ物はあるか?」と聞き続け、私は「いいから、連れてこい」と答え続けた。

 私がシェフの仕事をしていて最も肩身が狭く感じた瞬間は、この日に軍の人事担当者が兵士に昼食を出したお礼を言いに来たときである。私にできたことはごくささやかだったのに、彼らはとても感謝をしていたのだ。

 「あなたたちは外を守ってくれている。私は食事を出すだけです。いくらでも好きなだけ食事を用意しましょう」」

 非常時であるならより一層、自分の役割に徹底する。自分のできることを懸命になす。この姿勢に感銘を受けたし、胸に迫る「リアル」を感じた。

 また、この本にはいくつか実際のレシピが載っていて楽しい。クリントン夫妻の娘、チェルシーが好んだという、「鶏の胸肉をのせたレモンパスタとブロッコリー」は、一度作ってみようと思う(笑)。610204

 『ワインと外交』(新潮新書) 西川恵/著 新潮社 2007年

 この本の第8章「ホワイトハウスの饗宴」には主にブッシュ時代のことと、上記の本の著者シャイブ氏のことにも言及があり、合わせて読むとよりおもしろいかもしれない。

.02032110

 『エリゼ宮の食卓―その饗宴と美食外交』(新潮文庫) 西川恵/著 新潮社 2001年

 ファーストレディ、ヒラリー・クリントンが、「少しばかり怖気づいているのを見るのは初めてのこと」と、シャイブ氏に言わしめたのは、1995年にジャック・シラク大統領を迎えて行われたステート・ディナーだった。

 美食の国の元首を招く・・・。確かに怖そうだ(笑)。そんな美食の国ではどんな料理やワインが出されているのかを知るにはこの本。出版年は古いが、今でも十分楽しめるだろう。

 わたしが読んだのは、この新潮文庫版に先立つハードカヴァーのものだったのだけれども、そちらはもう手に入らないもよう。でもたぶん図書館に行けばあるはず。

 さて、冒頭に書いた、宮中晩餐会はですねぇ、昔、再現メニューの載った美しい本を読んだのだけれど、タイトルなどをすっかり失念してしまったため、紹介できず、残念です・・。

| | Commentaires (6) | TrackBack (0)

lundi 09 juin 2008

ビューティ・ジャンキー

9784862380692b_3  『ビューティ・ジャンキー―美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち』 アレックス・クチンスキー/著 草鹿佐恵子/訳 バジリコ 2008年

 日曜日には自宅で朝日、月曜日には職場で、毎日・読売・日経・産経・京都と、各紙の書評を読む。もちろんすべての本に興味ひかれるわけではないが、毎週2、3冊はおもしろそうなものが見つかるので、それを読むことになる。この本もそんなふうにして手に取った本だ。

 日本でもかなり普及してきているので、「ボトックス」をご存じの方も多いと思う。これは、死に至る食中毒を引き起こすボツリヌス菌の毒素を顔面の筋肉に注射し、麻痺させて動かなくすることによって、しわを改善するものであるが、かの地、アメリカではこんなものはまさに誰でもやっている「治療」になっている。

 ニューヨーク・タイムズの女性記者が、アメリカの美容整形事情を詳細にレポートし、巧みな文章でその異常とも思える世界に読む者を引き込んでいく、そんなパワーのある本だ。

 しかしそんな彼女自身も、知らず知らずの内にその誘惑にとらわれ、幾つかの施術を受けるのだが、その体験を書いた第十一章「私のビューティ・ジャンキー歴―ドクター・ミシェルに魅せられて」は圧巻。そしてその経験がさらに深い洞察を生み、第十四章「ゲイシャとなった女たち」(この「ゲイシャ」の意味はもう一つ理解できないものの)に結実しているように思われる。

 人はなぜ、しわを伸ばし、顔を引き上げ、しみを消し、脂肪を吸引するのだろう?

 「私たちは皆若い頃に戻って、大人になって手にしたツールを用いて再び人生を送ることができればと願っているのである。」 p.367

 「皮膚はたるむ。骨は折れる。心臓は止まる。そして絶対に元には戻らない。」 p.367

 「絶え間なく精査し、絶え間なく評価し、絶え間なく調整し修復する過程―ノーラ・エフロン言うところの無限の「継ぎ当ての繰り返し」―を経ても、往々にして小さな戦いでは連勝しながら結局戦争には負けるように感じてしまう。」 p.367~p.368 5182g1zzael__sl500_aa240_

『ヘルタースケルター』 岡崎京子/著 祥伝社 2003年

アメリカの美容整形は、行き着くところまで行ったような印象を受ける。かつて岡崎京子が、『ヘルタースケルター』で描いて見せた、ありえないようなことが現実となっているのだ。

 全身の整形手術で、ほとんどサイボーグのようになった主人公、りりこは、トップスターの上り詰めるが、その体は定期的なメンテナンスが必要で、たとえそれを怠らなくても、時間と共に肉体は崩壊して行き、それと同時に精神もまた壊れて行く・・・。

 なんと恐ろしいまんがなのだろう・・・。当時は思った。なんと恐ろしい現実なのだろう・・・、と、今また思う。Sds12760

 『脂肪と言う名の服を着て』 完全版 安野モヨコ/著 祥伝社 2002年

 本の帯には「Diet or Die?」。若くあらねば、美しくあらねば、細くあらねば、というプレッシャーは恐ろしい強さで女を痛めつける。

 美容整形に走らなければ、過激なダイエットに走る。しかしこちらもはまればはまるほど精神を蝕んでいく。病んでいく女の後ろには、既に病んでいる男の影も見え、このまんがも静かに恐ろしい。

| | Commentaires (6) | TrackBack (0)

dimanche 24 juin 2007

舞踏会に行きたいな

 さて、ティアラつながりで・・・。舞踏会(笑)です。Photo_97

『明日は舞踏会』(中公文庫) 鹿島茂/著 中央公論新社 2000年

元本は、1997年出版の作品社の叢書メラヴィリアの4巻です。どう考えても元本の方を買っておくべきでしたorz。

 さて、鹿島先生と言うとやはり、サントリー学芸賞を取った『馬車が買いたい!』でしょうか?でもわたしは断然こっちが好き。『馬車が買いたい!』の女の子版です。

 鹿島先生が、共立女子大の「フランス文化史」の講義を受け持たれた際、『馬車が買いたい!』を参考図書に指定して、

 「タイム・マシンで19世紀のパリに旅をして、1年間生活してきた報告書を書きなさい。1年間の生活費は、少し贅沢ができるように3000フラン(約300万円)あげますから、なににお金を使ったか家計簿をしっかりつけること」という、とてもおもしろそうな課題を出されたそう。こんな課題なら喜んで何時間でも考え続けてしまいそうです(^^)。

 報告者によってレポートの内容は千差万別だったそうですけど、ひとつだけ、どのレポートでもほとんど全員が書きとめていたのが、憧れの舞踏会でワルツを踊ることができてうれしかった、という感想だった。

 わたしもきっとそう書いているでしょう(笑)。それを読んだ先生が、『馬車が買いたい!』が、若い男の視点からのものになっているため、若い女の子がいまひとつ同一化できなかったようだ、と思って書かれたのがこの『明日は舞踏会』なのです。わたしはほとんどこの本で、鹿島先生が好きになりました。

 19世紀のファッションプレートが図版としてたくさん挿入してあって、ヴィジュアルもきれい。本編は、バルザックの『二人の若妻の手記』を軸に、19世紀のパリの社交界の様子や、貴族の奥方(○○侯爵夫人とか)の日常生活や、恋愛と結婚、そしてもちろん憧れの舞踏会を紹介しています。というよりも、『二人の若妻の手記』の主人公の女の子たち、ルイーズ・ド・ショーリューとルネ・ド・モーコンブといっしょに、どきどき、わくわくしながら追体験できるようになっているのです。これは楽しくないわけはない(^^)!

 『二人の若妻の手記』オノレ・ド・バルザックの1841~1842年にかけて書かれた作品です。わたしは東京創元社から出ているバルザック全集16巻、鈴木力衛/訳で読んだのですが、今はこれも流通しているかどうかわかりません。新訳も出ていないもようです。

 ええと、バルザックに関しては語れません。『谷間の百合』でさえ挫折したので、この作品しか読んでいません・・・。それなのに、鹿島先生が好きというのは厚顔とも思っておりますがお許しを・・・。

 『二人の若妻の手記』・・・。昔の訳だからかもしれないですが、なんだかなあ・・と思わせるタイトルですね。若妻、手記、の辺りが(笑)。原題はMémoires de deux jeunes mariéesです。ああ、でも直訳なのですね。

 お話の内容は、今でもよくあるシチュエーションで、女子校を卒業した仲のよい女の子どうしが、環境は違っても友情は続いてて、手紙(今ではきっとメール)で、お互いの暮らしや恋愛や日常のなんやかんやのおしゃべりをする、というもの。

 書簡体小説、つまり、全編「手紙」です。手紙っておもしろいんですよ。ちょっと生の声っぽくて・・・。とここでまた手紙の形をしたすごくおもしろい小説のお話をしたくなるのですが、それはまた機会があれば。

 今でも、学生時代はいっしょに机を並べていたのに、卒業して別々の職に就いたり、結婚したりしなかったり、子供を産んだり産まなかったり・・・で、思えばお互い遠くに来たもんだと思う、ということもあるでしょう?舞台は19世紀なのですが、かなり親しみの持てる内容です。

 王政復古の時代に、修道院の寄宿舎を出て実世界に出て行った、プロヴァンスの貧乏な貴族の娘ルネとパリの名門、ショーリュー家のルイーズの親友どうし。ルネはプロヴァンスで地味な結婚をして良妻賢母に、ルイーズは華々しい社交界にデビューして、スペイン貴族と恋に落ちて結婚します。

 ルイーズはいつも全開バリバリの恋愛体質の女の子。ありがちなことですが、ルネに送る手紙も、そこまで書くか~な内容になることもしばしば。ルネはそれに対して「いいかげんにしときや!」みたいな友を諌める手紙を送る。

 時は流れ、4年後、意外な結末が待っていました。侵略すること火の如し、のようなルイーズと、静かなること林の如し、のようなルネと、読み終わった後、どちらが幸せだとお感じになるでしょうか?ルイーズに対して、これまた人生・・・とわたしは言いたくなりました。

 舞踏会つながりでもう一つ紹介しようと思って、本棚から出してきたのが運の尽き、ちらっと内容を確認するだけのつもりがうかうかとまた読み始めてしまって、そのおもしろさに改めて引き込まれたこの作品。Photo_99

 『ドルジェル伯の舞踏会』 (新潮文庫) レーモン・ラディゲ/著 生島遼一/訳 新潮社 1982年

 1924年発表の作品。作品の舞台もそんな昔ではなく、この頃です。レーモン・ラディゲはこれを書いてすぐ、1923年に20歳で亡くなっています。しかしこの作品は到底、20歳の男の子が書いた作品とは思えないほどの、人間の心理の細かな分析と深い洞察を感じます。

 「あらゆる年齢にはそれぞれの果実がある。それをうまく収穫することが大切だ。しかし、若い者たちはもっとも手のとどきにくい果実を早くとろうとあせり、はやく大人になろうとあせるあまり、目の前にある果実を見落とすのだ。」

 「幸福も健康とおなじようなものだ。それとは気がつかずにいるものである。」

 「別離はへだてをつくるとはいうものの、それはまた別のへだてを除きもする。」

 まるで箴言のようなこの言葉の数々・・・。やはりとても20歳の若者が書いたとは思えません。そこが「天才」たる所以なのでしょうが・・・。

 内容は、フランソワ・ド・セリューズという20歳の若者と、ドルジェル伯夫人、マオとの恋愛・・・というか、それと認め合うまでの心の動きを緻密に分析した、という感じの作品です。確かに、90年くらい前に書かれた作品で、また、わざと古くさくしてあるわけですから、現代に生きるわたしたちからすると、「なんでここでそんな行動をするかなあ?」と奇異に思われることは多々あります。でもそういった「時代の縛り」を越えた心の機微って、あるじゃないですか?そういうところを追ってほしい。

 自分がどういう心理状態で読むかによって、感想は違ってくると思うのですが、恋を恋と認めるまでの心の動きや、恋に落ちる瞬間などは何もドラマチックなことはないのに、読んでいて非常にどきどきするものです。

 と、ここで何かほかの小説を思い浮かべた方もいらっしゃるのではないでしょうか。この作品と明らかに同質なあの小説。それを紹介するのもまた機会がありましたら。

 この系統の小説、「心理小説」と言いますが、これはフランス小説の真骨頂であるなあ・・・と、わたしはエラそうに言ってみたくなりました。

| | Commentaires (2) | TrackBack (0)