samedi 04 juillet 2009
横浜より、assam さんご上洛。「調べの鬼」かつパワフルな京都トラヴェラーの彼女の今回の京都旅行の日程を尋ねたところ、それはやはり驚くべきハードな行程だった。その中に、は、伏見稲荷という、わたしと少なからぬご縁のある場所があったので、稲荷に行くなら、やはりお山もしなくては・・・、と、ご案内。
日頃の行いがよいのか、今日は梅雨の晴れ間の晴天。標高230メートルちょっとの、丘みたいな山なのだが、四つ辻からの市内の眺めはやはりよい。涼やかな風が吹いて快適。稲荷の神様について、起源の不明な田中大神について、お塚について、ダキニ天と稲荷について、オタクかもしれない、たいていの人にはたぶんどうでもよいことを語りつつご案内(笑)。
稲荷山は、初午に行ってからこちら、ずいぶんと整備されたらしく、明るく開け、妙に漂白された感じになっており、驚いた。おどろおどろしい感じがこれで30パーセントくらいは減だ。今まで気付かなかったこととしては、豊川稲荷の分社(?)らしきお社があり、「ダキニ天」ののぼりを立てていたこと。昔は伏見稲荷の本社にも、ダキニ天の祠があったと言うが、今では無くなってしまっている。新しく気付いたこととしては、本社の近くに田中大神と書いた札があり、あれ?と思って読んでみると、本町通にある境外摂社の田中神社が改築中ということで、臨時にこちらにお祀りしているとのことだった。しばらく来ないと、と言っても2月以来なのだが、ずいぶん変わったことになっている。
お山をくるっと一周して本社に帰り、隣接して東丸神社(学問の神様)にも行く。ここはわたしも受験の際に参拝した神社。そうよ、わたしは神頼みが大好き。伏見稲荷の社家であった、荷田春満という有名らしい、江戸時代の国学者がご祭神。
まだ少し時間があったので、ほかに行きたいところはと尋ねると、西本願寺とおっしゃる。通っていた幼稚園や学校の関係もあって、こちらはまさにわたしの庭のような場所。喜んでご案内する。お堂の整備・修復工事も終わって、境内はすっきり。個人的な思い出なども語りつつ、ご案内。
ほとんどオタクな案内が果たして役に立てたのか・・・と疑問でもあり、ちょっと恥ずかしくもあったが、わたし自身はとても楽しかったのであった・・・。assam さん、ありがとう。。
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mardi 30 juin 2009
6月30日は、夏越の祓(なごしのはらえ)。神社では茅の輪をくぐって、半年間の穢れを祓う。京都では、暑気払いに、氷室の氷を模した水無月というお菓子を食べる。
ういろうのような生地の表面には小豆。三角形に切った形が氷を表し、表面の小豆は魔除けであるとか。子どもの頃から好きなお菓子である。今は小豆もおいしいけれど、子どもの頃は、上の小豆はいらんって思ってた。ならういろうを食べろよって話なのだけれど(笑)。
伊勢丹に行ったので、今年は仙太郎のを買った。ちょうどおやつどきだったからか、売り場にはちょっとした列ができていた。白と抹茶と黒糖。抹茶もおいしいけれど、わたしはシンプルな白が一番好きだな。
冷たいお茶と共に食べると、涼味、涼味。
半年、あっと言う間だった。茅の輪はくぐらなかったけれど、近所の神社に行ってきた。道祖神社、という。限りなく一般名詞に近い名前だなあ、といつも思う(笑)。ここは不動明王が祀られている「不動堂」といっしょになっていて、神仏習合テイストが、昔昔からあるんだよ、ということを伝えている。
この不動堂は、新撰組ゆかりの場所でもあるので、近年、この辺りが整備されたのと同時くらいに、境内もすっきりと整えたようだ。子どもの頃は祖母ともよくお参りに来たものだったが、その頃はもっと何と言うか、ワイルドな感じだった。きれいに境内を整えるのはよいことだとは思うけれど、何となく漂白されてしまったような気もするなあ・・・。
年中行事や歳時記的なことについて、子どもの頃にどこに行きましたか?とか何を食べましたか?と人に聞いてみるのはおもしろい。同じ京都市内で育った人でも、地域によってまったく違う。そこには、観光とは離れたところの、日常に根ざした京都がある。
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lundi 29 juin 2009
逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな
醍醐山と言えば、小学校の頃、毎年2月に「耐寒マラソン」という行事があって、6年間年一回欠かさず登った山である。それだけ登ったのに、今となってはどんな山だったのか、まるっきり覚えていない。三十三所中、随一の難所と言われる、上醍醐に、6年生の2月以来初めて登る。なぜかかなり緊張している。今は入山料600円がいるようだが、昔はそんなのなかったのかもしれないし、いったい、境内から続くあの山のどこで大人数が集まってお弁当を食べていたのやら、見当もつかない。
御本尊は、准胝観世音菩薩。秘仏で、毎年5月18日の前後合わせて3日間しか開扉されない。准胝観世音菩薩は、母性と深いかかわりのある観音様。あまりお会いしたことがないなあ、と思っていたら、仏像としての作例が少ないらしく、三十三所中でもこの観音様をお祀りしているのは上醍醐のみである。
今年は特別御開帳をやっているので、11月までは下醍醐の、国宝の金堂の薬師如来前に安置され、御朱印もここでもらうようになっている。大きな薬師如来との対比でより小さく見えるのかもしれないが、像はとても小さい。この像は、もともと女人堂に祀られていた、准胝堂の観音様の分身だからか・・・。
昨年8月24日に、落雷が原因と言われる火災で、准胝観世音菩薩はお堂もろとも焼けてしまったのだ。
桜の頃とはうって変わって、広い広い境内は人も極めて少なく、とても静かだ。お堂の周りも、中も静寂。心静かに納経をして、御朱印をいただいた。
本来ならば上醍醐まで行かなければ、御朱印はもらえなかったはずだし、もともと登る気はまんまん(笑)。奥の登山口へと向かう。だいたい山頂まで1時間の行程とか。
上醍醐への登山口。もともと醍醐寺の発祥は上醍醐なのだ。ここからそんなに険しくはないが、舗装されていない坂道と階段が長く続く。五丁辺りは、秀吉が醍醐の花見をしたところで、たくさんの花見用の建物が建てられたそうだが、今はその栄華を忍ぶ影もない。
山道は、愛宕山基準で行くならそう辛くはないが、稲荷山基準ではかなりしんどい。すれ違う人々が、「こんにちは」と声をかけて行くくらいには山(笑)。
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こんな地層?みたいに地面に岩が見えているところがあっておもしろかった。
夏なら、着替えとタオルは持って行ったほうがいいし、ぴったりとしたジーンズで行くよりは、ジャージとか、むしろスカートの方が足が楽に登れると思う。16丁までは登りだがここから少し下る。尾根伝いの道になるのかな?道中、考え事をしながら、あるいはちょっとゾーンに入ったような感じで無心に歩を進める。
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頂上は、標高450m。標識によれば、ここから山道を通って石山の第十二番 岩間寺に抜けられるようなのだが、何時間かかるのやら・・・?上醍醐にもいくつかのお堂や醍醐水があるのであちこち見て回る。一通り見終わったときには登り始めてから2時間は経過していた。わたしを拘束しておきたければ、書庫か寺に入れておけばよい。一日中出て来ないだろう。
下醍醐の、国宝の五重塔。府内最古の建築物だ。天暦5年(951年)に建てられて以来1058年もずっとここに建っている。昨日も建ってて、今日も建ってて、明日も建ってる、たぶん。
でも、必ずそうだっていうわけじゃない。
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緑の塀で囲まれたところが、かつて准胝堂のあった場所。昭和14年に焼けた後、昭和43年再建されたお堂だったが、昨年8月に准胝観世音菩薩もろとも燃えてしまった。去年の5月の御開帳のときに無理してでも行っておけば・・・と悔やまれる。
昨日あって、今日もあったから、長い間そこにあるからと言って明日もあるとは限らない。何か一つことが起これば何もかもすっかりわや。これも、果ての国から月並みの国に飛来した黒い白鳥の一種だろうか。
今この時を大切にする。次は、ない。
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vendredi 12 juin 2009
はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
西国三十三所の西の端、札所の旅もついに播州へ。JR姫路駅から書寫山ロープウェイの乗り場まで住宅街を通ってバスで行く。なぜかこの辺りはちょっと大きめのティールームというかコーヒーハウスといった感じの店が多いような気がする。乗り合わせた女子学生が課題か予習かができなかったようで、「先生にしばき回される~」と言っているのにそこはかとなく播州を感じつつ、30分弱で乗り場に到着。ロープウェイに乗れば、書寫山は371mの低い山なので、4分ほどで山上駅。降りて仁王門まで急な坂を登る。
仁王門からさらに山道を登っていくと、本堂、摩尼殿へ登る階段がある。よくパンフレットにもなっている場所だけれども、やはりすばらしい構図と言いましょうか、何とも絵になる風景だ。下から眺める木組み(?)が圧巻で、ちょっと清水の舞台を思い出させる。
御本尊は、六臂如意輪観世音菩薩。秘仏で、通常は毎年1月18日のみにしか御開帳されないが、今月30日までは、四天王像と共に、内陣の深くまで入って、間近で拝観できる。しかも入山料500円以外は追加料金なし。これはすべての建物でそうだったのでうれしかった。
御本尊は一度焼けてしまっているとかでまだ新しかったが、優しいお顔をなさった木の観音様だった。四天王像は古く、平安時代の作であるとか。お寺の人の話では、この観音像のほかに、絶対秘仏となっている観音像があるそうで、近年では開基、性空(しょうくう)上人の1000年(?)の御遠忌のときにあったきりでこれから先も御開帳の予定はないとか。死ぬまでには拝みたいものだ。
いつものようにたどたどしく小さな声で般若心経の後、御朱印ゲット!
ここまではどちらかと言うと体力を使わないイージーなコース。前回は三十三所きっての難所と言われる施福寺へ行っているのでそう思うだけかもしれないけど。
ところが、さすがは西の比叡山と呼ばれる巨刹、ここからの行程が長かった。受付で山内のマップをくれたので見ながら山内を巡る。大体が山道で、人っ子一人いない場所も多々。すごいなあ、と思いながら歩いていると、
突然視界が開け、大きな建物が三つコの字に建ち並ぶ広い場所に出た。三之堂(みつのどう)という場所だ。大講堂、食堂(じきどう)、常行堂の三つが並んでおり、特に食堂は長堂(ながどう)とも呼ばれる長さ40mもある建物で、圧巻だ。ここは珍しく2階建てで、1階が一般向けの写経の道場、2階が宝物館になっており、ちょうど6月いっぱいまで、部分ではなく全編を公開するのは初めてという、「書寫山縁起絵巻 絵・詞 各一巻」(江戸時代)を公開していた。
また、講堂では、このたび国の重要文化財となったという性空上人の像が二体、特別公開されていた。その内の一体は鎌倉時代に作られたもの。像の前に頭部のエックス線写真がおいてある。頭部に何か入っているようで、その写り方がいかにも頭蓋骨みたい・・・。何が入っているのかと、お寺の人に聞いてみると、どうやら性空上人のご遺骨らしいとのこと。昨年、エックス線写真を撮って調査したところわかったのだそうだ。非破壊検査?
開山堂は工事中であいにく見られなかったが、結局山道を歩くこと2時間半、山内のほとんどすべてを見て回った。門まで降りて山内の地図板で確かめると、頂上近くの白山権現まで行っていた。
前日まで上醍醐に登るつもりでいたところを急遽変更したのだが、そのおかげで6月中しか見られない宝物をも見られたのでとてもよかった。観音様の、今来なさい、というお導きだろうか。あまり予備知識もないまま行ったので、その大きさ・広さに驚いたしだい。ラストサムライのロケ地だからか、外国人もちらほら、あと、若い学生風の男の子もいて、他の札所(京都の清水寺とかは別)とは違った雰囲気だった。
ここはぜひ、再訪してみたい。
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lundi 25 mai 2009
深山路や 檜原松原 わけゆけば 槙尾寺に 駒ぞいさめる
趣味の巡礼に出かける。今日は三十三所随一と言われる難所、和泉の槙尾寺(まきのおでら)へ。
朝6時45分に家を出て、JR→地下鉄→泉北高速→南海バス→オレンジバスと4回と乗り継ぎ、3時間後に山門の少し下あたりに到着。遠っっ!バスの名前もオレンジバスだし、道沿いには「激うま!甘夏」と書かれた柑橘類の販売所はあるし、柑橘試験場はあるしで、ここは大阪と言えども、ほぼ和歌山。
山門をくぐってから、20分~30分の行程の山道を登る。登山の装いの人や杖をついて登っている人もいる。山頂までは楽な道とは言えないけれど、とにかく目の前にある「この一段」を上がることに専心する。その繰り返しの果てに山頂がある。歩きながらいろいろなことを考えられるから、巡礼の道は少々厳しい方がよい。
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登り切れば、広がる金剛・葛城連峰。
参拝を終えて、景色を見ながら食べたお弁当がおいしかった。
境内は狭い。寺の創建は古く、欽明天皇の時代に遡り、天正年間には寺領2万石、3000人の僧を抱えるほどの繁栄を見せたが、信長に焼き討ちされた。
ここもか・・・。信長はほんとになんでも焼くな。と思っていたのだが、しばらく前に、僧侶の身体性に注目するというちょっと切り口の違った仏教史の本を読んでいたら、寺や僧侶というのもたいがいだったようなので、どっちもどっちなような気もする。
本堂は、安政年間、幕末になってから信徒によって再建された。本尊は、観世音菩薩ではなく、弥勒菩薩。その御本尊の右に文殊菩薩、左に十一面千手観世音菩薩がおられ、この観世音菩薩は、通常は毎年5月15日にしか御開帳されない秘仏である。
ちょうど裏手には馬頭観音。この、ちょっと珍しい憤怒形の観世音菩薩は交通の要所に祀られていることが多い。なぜこんな山の中に?と思って調べてみると、播磨の国の行満上人というお坊さんが創建してから、航海安全祈願の道場として発展したということがわかって納得。また、元々は先日行った竹生島にあったものだが、いつ頃、どのような経緯でここに祀られることになったかが不明の弁財天像もあって、興味深かった。
御朱印ゲット!
参詣するに当たっては、先達、H嬢が事細かに乗換えや山の様子などを教えてくれた。おかげさまで不安もなく、参詣することができた。あらまほしきものは先達なり。このような人に恵まれていることも、きっと御利益なのだろう。
仏教徒だけでなく、キリスト教徒もイスラム教徒も巡礼をする。人はなぜ巡礼に向かうのか?その意味とは?
わたしのような、趣味のへなちょこ巡礼者にはわからないけれど、ごく私的に、巡礼を始めてから、それまで以上に「有り難い」と思う心が増したのは確かだと感じている。
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jeudi 07 mai 2009
月も日も 波間に浮かぶ竹生島 船に宝を積むここちして
竹生島(ちくぶしま)へは船で行く。湖北、長浜と近江今津のちょうど真ん中辺りにちょこんと浮かぶ周囲2キロの小さな島。古来、「神の住む島」と言われている。観音霊場としてよりも、もしかすると、日本三弁財天の一つである弁天さんの島としての方が有名かもしれない。
あいにくの悪天候ながら、秘仏御開帳に合わせて、今日は巌金山 宝厳寺(がんこんざん ほうごんじ)へ。新快速の時間が迫り、船の時間が迫り、行きは小雨の中、走る走る(笑)。
長浜港から船に乗って上陸!前にニュースでやっていたのを見たような気がするが、島の松(?)が鳥の糞害だか病気だかで、どんどん枯れているのだとか。う~ん、そう言えばそんな感じ?
島には港と数軒の土産物屋さんと、お寺+神社(習合しているので)以外は何もない。
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上へ上へと登っていく。本堂には弁天さんが、観音堂には観音さんが祀られている。
観音さんは、千手千眼観世音菩薩。今年と来年は特別に御開帳があるが、通常は60年に一度の巳年のみの御開帳。これを逃すとあと28年待たなくてはならない。お顔に特徴のあるきれいな観音さんだった。細部をじっくり見たい人はオペラグラスを持っていくといいと思う。人がほとんどいない時間帯ができるので、じっくり見られる。
島までの交通手段は便数の限られた船しかないので、当然複数の巡礼ツアーと重なり、狭いお堂は一時に大変混雑するが、帰る便を一便遅らせれば人もあまりいなくなり、ゆっくりと参拝・拝観ができる。わたしもそうしたので、お坊さんやお寺の方からいろいろと話をうかがうことができた。
60年に一度の御開帳というのは、ほんとに60年に一度しか扉そのものをを開けないらしい。それは公開しないという意味ではなくて、本当に開けない。住職ですら、任期中(?)御開帳の年に当たらないと観音様を見ないということもあるそうだ。今の住職も、前回の昭和52年の御開帳のときは若すぎてあまり覚えていないとおっしゃっていた。
その間、仏像のメンテナンスはどうするのか?と聞いてみたら、驚いたことに、メンテナンスも60年に一度だけなのだそうだ。しかもただほこりを払うだけなのだそう。建物の構造と、岩盤の上に建っているということにも遠因があるとのことだったが、保存状態は良好なのだそうだ。風通しはよくない方がよいのだろうか。
秘仏が秘仏となる由縁を尋ねてみた。住職は「わたしが思うに・・」以下、最初は秘仏ではなかったのかもしれない。しかし仏さんを大切にしようとする信仰心の高まりとともに、そのありがたみを増すようにと秘仏としていったのかもしれない、とおっしゃった。
「ありがたみを増す」。確かに。わたしの場合は単に貧乏性なので「ありがたみ」つまり「めったにない」という付加価値を大事にするが(例えば上等のケーキはたまにしか食べないようにするとか・笑)、きっとそれとは似て非なるものなのだろう。
都久夫須麻(つくぶすま)神社の本殿とは、この「舟廊下」でつながっている。なぜ舟かと言うと、豊臣秀吉の御座船、日本丸を活用したものだから。何かと豊臣家とのゆかりがあるようだ。
ほとんどが撮影禁止なので写真はないけれど、観音堂の唐門もこちらの本殿も国宝。唐門は、豊国廟を、豊臣秀頼が移築したもの。遠く京都から、解体して船で運んできたそうだ。まあそれしか考えられないが、大変な事業だと思う。
神社(浅井姫命など三柱が祀られているが、当然浅井姫命というのは、浅井家の姫なのだろうね)。弁天さんも参拝し、宝物殿も見る。
そして御朱印ゲット!雨の中わざわざ来た、というのでまたありがたみが増す(笑)。
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ。
途中、薄日が差して、湖がやわらかく光る。観光とはまさに、光を見ること、と思う。
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長浜に戻って、遅いお昼ごはんに、名物の「のっぺいうどん」を食べる。かまぼこ、湯葉、麩、もみじ麩、三つ葉、おろししょうが、そしてとても大きな椎茸が入ったあんかけうどん。
写真の器の真ん中に見える黒い影。この椎茸がのっぺいうどんの特徴のようで、だいたい24平方センチメートルはあったと思う・・・。
長浜は、2年ほど前に盆梅を見に来て以来だが、駅が新しくなっているようだった。盆梅の季節も終わり、梅は大切に大切に養生されているようだった。なんせ鉢植えなのに樹齢350年とかだもんねぇ。
近江八幡の記事でも書いたと思うが、やはり琵琶湖の近くの古い町はどことも似通った雰囲気があるみたいだ。
ここは石田三成の出身地ということで、三成を強力に押し出していた。きっと三成好きのレキジョが大挙して訪れるのだろう。レキジョの集合と腐女子の集合の重なりの部分はかなり大きそうだ。集合の図(ベン図と言ったか?)などを思い浮かべた。戦国時代はやおいネタの宝庫だから。
・・・・・。くだらぬことを考えつつ歩く、雨の近江路であった。
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dimanche 03 mai 2009
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6時に目が覚めたものの二度寝してしまって起きたのは9時。慌しい朝になってしまった。神棚に御神酒を供えて、お光をあげて拝む。今日はお稲荷さんのお帰りの日(還幸祭)。なぜか昔から、おいで(神幸祭)の日よりもお帰りの日に鯖寿司を食べたりするみたいだ。御旅所には15日間のおとどまりだが、近年、長く中断していた神輿かつぎも復活して、「氏子祭」が行われている。お稲荷さんの御神輿は大きいので、かつぐのはほんとに大変だろう。祖父も昔、かついでいたらしいけど。
一応、禊のつもりでシャワーを浴び、お昼ごろまた御旅所へ行く。もうすっかり出立の準備がととのった御神輿は美しく飾られてトラックに乗せられて五基勢ぞろいしている。うちの御神輿は、田中社。
おばあさんが、「もう神さん、御神輿に乗ったはるさかい・・・」とお連れのひとと話している。ゴージャスな御神輿をじっくりと真近で見るなら、3日の昼くらいがおすすめだ。
2時に御旅所を出立した行列は、2時15分頃に東寺東門にやってくる。ここでは僧侶に出迎えられて、弘法大師に稲荷の大神がごあいさつをする。弘法大師とお稲荷さんの関係は深い。今年もここで御神輿を迎える。すぐに自転車で北上して、家のすぐ近くで最後のお見送り。今年もお祭りが終わったんだなあ・・・。来年も無事に、出張に来られた神さん(笑)のところに行けますように。
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夕方早くから、お祭らしく、鯖寿司などを用意して夕食。御神酒にあげていた久保田 翠壽のお下がりをいただく。このお酒はほんとにおいしいなあ。
昔はお祭には必ず祖母が朝から何本も鯖寿司を作って、近所や親戚などに配っていたものだ。京都のお祭に鯖寿司は欠かせない。わたし自身はちょっと苦手なのだけれど。
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デザートに、プチジャポネのケーキ。前は堺町二条にあった店なのだが、先日自転車に乗っていて、東洞院仏光寺に移ってきているのを発見。今日買ってみた。
レモンタルトとショコラキャラメルサレ。レモンクリームのきゅっとした酸味が初夏っぽくてよいなあ。ショコラ~の方も、とろっと濃厚でキャラメルの塩味で全体がひきしまっていた。
レモンタルト、作りたいなあ・・・。
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jeudi 30 avril 2009
重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
市内の札所巡り。会期があまりにも短かったために、六角堂の御本尊の136年ぶりの御開帳を逃してしまい、無念の涙を飲むわたし・・・。目の黒い内は決して拝めまい・・・。
六波羅蜜寺はその二の舞を踏んではならない。会期は4月26日から5月6日までだ。ただしこちらの御本尊、十一面観世音菩薩は、12年に一度巡ってくる辰年ごとに御開帳がある。市の聖、空也上人が市中をひいて歩かれた像だとされている。
大和大路松原の角辺りに立つ道標。市内にはこういった古い道標がけっこうあって、注意して見てみるとおもしろい。
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いかめしい山門や塀がないこのお寺は、とてもオープンな雰囲気。本堂は国の重要文化財。南北朝時代(1363年)に建てられたもの。昭和44年に解体修理されているのでそんなに古くは見えないのだけれど。
宝物館を見るには600円かかったが、秘仏の御本尊の拝観は無料。今でも市の聖の精神が生きていると見える。
小さな声で(笑)般若心経を唱えて、静かにお参り。日々いろんなことが降りかかってきても、こうしてお参りに来られた今がある、ということこそが感謝すべき御利益だと思う。
一足遅ければ、また三十三所巡礼ツアーの渦中に巻き込まれるところだったが、無事逃れ、御朱印ゲット!
わたしは観音様の周りに一つづつ御朱印をもらって仕上げる掛け軸がほんとは一番いいなと思っているのだけれど、今日は隣で書いてもらっていた人の御朱印帳が、巻物だったのがかっこよくて、ガン見してしまった・・・。
さて、六波羅蜜寺と言えば、空也上人。空也上人と言えば、口から「南無阿弥陀仏」の六字の名号を表す六体の小さな仏様を吐き出す像。せっかくなので、宝物館に会いに行こう。そして、六波羅蜜寺と言えば、平清盛公。こちらの像も宝物館に。
歴史や美術の教科書に載っている有名な像なので、修学旅行生にも人気のようだったが、ここまで来るとはかなり踏み込んだ寺社見学だなあ。
さて、十一面観音様のおられるところには、聖天さんもおられることが多いが、こちらも別棟にお祀りしてあるようだった。ただしそこは「関係者以外立ち入り禁止」となっていたのでお参りできなかった。厳重管理だ。絶対の秘仏なのだろう。
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mercredi 29 avril 2009
松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん
三十三所中、もっとも観光客でにぎわっているのはたぶん、このお寺。京都見物一回目の人はほとんどの人が行くだろうし、写真もガイドブックなどでおなじみのはずなので、載せずもがなかも(笑)。江戸時代には本当に清水の舞台から飛び降りた人が何人かいたらしいよ。でも死んだ人はいないんだって。
ここはちょっと珍しい、北法相宗のお寺。御本尊は、十一面千手千顔観世音菩薩。十一の顔と千本の手と千の目を持つ観音様。秘仏で、基本は三十三年に一度の御開帳なのだけれど、特別御開帳をしょっちゅうやっているような気が・・・。
御本尊とは、10年くらい前に清水寺で、そして昨年、奈良の国立博物館でお会いした。門外不出の御本尊が初めて外に出られたとき。このときに、この仏様が秘仏である理由がよくわかったような気がしたのだ。とても美しいと思った。千の手には、衆生の苦しみを救うためにさまざまな道具を持っていらっしゃる。その一つ一つまでもが精緻で美しかった。
内陣に深く入って拝観できる。ちょっと珍しく、裏側から入る。真裏にも観音像が安置されている。表に回って、静かにお参り。前回から、つたないながらも、門前の小僧方式で読み方を覚えた般若心経の唱えることにしている。まだ肝が座っていないので、小さい声(笑)。
説明をするガイドさんがたくさんいたが、その内の一人が、「三十三所の巡礼を始められたハナヤマ天皇、後にハナヤマ法皇が・・・」と説明しているのを聞いて、「?」と思う。
ハナヤマ法皇??いえそれはきっと花山法皇(カザン法皇)だと思いますよ・・・。
御朱印ゲット。書いてくださった方によれば、字は見よう見まねで覚えたとか・・・。どこの御朱印も達筆だと思うのだが・・・。
境内に入ったのは、実に20年ぶりくらい??ご存じ、地主神社!地主、というだけあって、もともとこの辺りの産土神(うぶすながみ)らしい。従って、相当な古社であるのだが、第一印象はまったくそうは見えないほど派手派手(笑)。も~う、大々的に縁結び恋愛成就をうたっているからねぇ・・・。わたしが中学生だった頃から派手だったけれど、今はさらにさらにパワーアップ!あまりのキッチュさが笑えるので、大人の方もぜひ(笑)。
修学旅行の中学生くらいの男子と女子が、きゃあきゃあ言いながら、恋占いの石に挑戦していた。楽しそうだった。
大国主命が主祭神であることを、思い出したのか、今日初めて知ったのかどちらか思い出せない。
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mardi 28 avril 2009
午前中は家事をいろいろ。銀行などでの用事を片付けたり、ちょっとお買い物をするために四条烏丸辺りまで自転車で行く。以前はすぐ近くに銀行があったのに、支店がなくなってしまってちょっとしたことでも本店まで行かなければならなくなり、とても不便だ。
用事をすべて済ませて帰りに室町高辻辺りのレオーネにてお昼ごはん。羊のラグーの手打ちタリオリーニ。ひよこ豆も、ころころといっしょに煮込まれている。この店の肉料理はしっかりしていて特においしいと思う。
3種類から選べるパスタに、パンとサラダがついて950円はとてもお得だ。この味を考えれば。。思うに、どこの店とは言わないが、しょーもないパスタ一皿に1300円とか取られることもままあることだ。
自転車はほんとにどこでも行けて便利だ。タキモトまで走って、お祭りのための御神酒を2本と、御旅所へ持っていく小さな「松の翠」のボトルを買う。
伏見稲荷のゴージャスな御神輿5基は、4月19日から5月3日まで御旅所におとどまり。その間に、一度は必ずお参りに行くことにしている。
昔は29日に「お千度」という町内の行事があってそれをとても楽しみにしていた。今でも少ないながら、露店は出ている。たこせんべいとはっかパイプが大好きだったけれど、さすがに今はなさそう。
夜になると、御旅に連れてってとねだったものだった。ここには思い出がある。
小さな御神酒をお供えして、お社と御神輿を丁寧にお参りする。うちの地域の御神輿は、不動堂の、田中社。田中大神(たなかのおおがみ)の御神輿だ。今年もお祭りがやってきて、無事にお参りすることができました、と。日頃のご加護に感謝する。わたしはとにかく稲荷ラヴァー(笑)。5月3日は還幸祭だ。
近所の空き家の庭に、桐の木があり、花がわんさと咲いているのを発見したので撮ってみた。この辺りで桐を見るのは珍しいような気がしたので。
父の田舎の山にはたくさん自生しており、この時期、会津の山間を車で走ると、そこここの薄紫の花がきれいなのだ。桐の箪笥と下駄は、彼の地の名産。
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lundi 20 avril 2009
遅番。弟の家の前の八重桜の並木がきれいだと聞いたので、肉じゃがなどを作ってから、花見がてら並木の近所のパン屋さんへ自転車でパンを買いに行く。
ほんとに「ぼたぼたと」咲いている。昨日、かもめさんから千本ゑんま堂の普賢象の写真を見せてもらったけれど、そちらも今が盛りで、八重ももう明日の雨で散るだろうから、今日が見納めかな。
ここにも御衣黄が何本かあった。最近この桜を植えるのははやりなのかも。
ここは昔からあったアメリカハナミズキに加えて、新たにいろいろな木々を植えたようだ。
こんなきれいな薄紫色の花もあった。何ていう名前の花だろう?わたしは図鑑での同定がとても下手なので、調べてもわからなかった。
昨日の朝は、歓喜桜はもう終わってるだろうな、と思いつつも、雨宝院(西陣聖天)へ行った。
ここは日本最初の聖天さんで、空海が嵯峨天皇(字の上手な天皇ね)の病平癒のために立てた大聖歓喜寺というお寺だった。しかし後に応仁の乱で寺は焼け、その塔頭の一つである雨宝院のみが残って、今に至るという・・・。残ってからも長いな・・・。
説明を読んでいると、こういう説明書きの駒札から、「京都の人が先の戦争では・・・と言うと、それは応仁の乱である」という京都伝説が生まれたのでは?と思えてくる。
果たして歓喜桜は葉桜となっていた。観音桜ももう終わり。御衣黄だけが今を盛りと咲いていた。
去年はなかったのに、境内のあちこちに「三脚禁止」「仏像撮影禁止」「モデルを連れてきて写真を撮るときは一言声をかけてほしい」といった掲示が出ていて、それが大層醜い。
それにしてもモデルって・・・?狭い境内、きっと今まで傍若無人の状況にあったのだろう。嘆かわしいことだ。
ここは古儀真言宗のお寺で、実に様々な神仏が祀られている。そのお堂の一つ一つに、いかにも真言宗らしく、御真言(マントラ)を書いたプレートが貼り付けてある。すべて拝むのはちょっと大変。
お稲荷さん(ダキニ天)の祠があって、その前には鳥居を新しくするための寄進を求める張り紙があった。見ればほんとに鳥居が壊れて、根元を残すのみとなっている。もともとお稲荷さんラヴのわたしなので心がざわざわした。
折りしもその日は伏見稲荷の神幸祭で、本社から御旅所へ御神輿に乗った神様が来られる日なのだ。これも思し召しと思い、日頃のお稲荷さんのご加護に感謝して、極めて些少ながら、鳥居のための寄進をさせていただいた。住職に聞けば、大正6年に建てた鳥居が老朽化したのだそうだ。今年中には新たに建てられる見通しだということだった。ほんとによかった。
さて、あまりに多くの神仏と弘法大師がここにはおられるのだが、御本尊は大聖歓喜天である。当然秘仏。なぜかここに来ると必ず、人に、「聖天さんをよく拝みなさい」みたいな趣旨のことを言われるのだ。あるときは近所のおばちゃんといった感じの人に。昨日は住職に。「聖天さんはよく願いをかなえてくれはりますから」って。
聖天さんをお祀りするには浴油という独特のやり方をしなくてはならなかったり、それはそれは大変なことだと聞くが、ここはこんなに小さな小さなお寺なのに、観音さんはおられるは、不動明王の護摩もやっておられるは、ダキニ天も祀られているは、弘法大師もど~んと座っておられるは、で、住職、過重労働か?とか思ってしまう。いやいや、よけいなお世話だけど(笑)。
ちょっと歩いて今出川通に向かう。本隆寺の立派な山門の前を通るが、日蓮宗のお寺にはあまりご縁なく、今日も中へは入らない。
首途八幡宮(かどではちまんぐう)の隣の公園の藤がとてもきれいに咲いていた。よい香りだ。
わたしが中高と通った学校の校章は藤の花で、そこには「藤の花のように、自らはこうべを垂れていても、人からは見上げられる人になりなさい」という教えがあった。
いつも不機嫌な思春期の女子のこと、その当時は「けっ」とか思っていたのだが、こういう教えは大人になってからその意味に気付き、年々重みを増してくる。
教育というものは往々にして、そういうものだ。
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mercredi 15 avril 2009
御室に住む友人と、妙心寺北門で待ち合わせ。JR花園駅辺りも、もうわたしの中では「懐かしい」といった感覚になりつつある。passent les jour et passent les semaine, すごい勢いで、いろんなことが過去になっていくんだな。
南門から北門へと山内を抜ける。山内は半ば公道だから、それが一番便利で近道。浴室、法堂、たくさんの塔頭。妙心寺を通り抜けるのは大好きだ。お寺の中では歩きながらいろんなことを考えられる。
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北門で友人と落ち合って、ワンダアカフェにて、とっても辛いポークカレーのお昼ごはん。デザートは季節限定、桜のアイス。そう言えば、今年桜のアイスクリームを一度も食べていない。ゆで小豆と抹茶の生クリームが添えられた和風仕立て。
京都の桜のラストを飾る、御室の桜を見に。
そびえたつ山門は、いつ見ても立派。いろいろな季節に何度も来ているわりには、一度も「御殿」などを拝観したことがないんだよねぇ・・・。このお寺も、背後の山を含めると寺地は広い。山には「御室八十八ヶ所」というのがあって、2時間くらいで四国八十八ヶ所になぞらえた巡礼ができるようになっているけれど、これもわたしは未経験。
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ぽってりとした大ぶりの花が、とてもかわいらしい御室桜。背が低いので花束みたいにふんだんに花をつけた枝がちょうど目線の高さに来る。
このあたりは地盤が固く、根を十分に張ることができないから背が低くなるのだと聞いたことがある。
花はほとんどが盛りを過ぎて、落下盛ん。花吹雪が美しい。でも1本だけ、ほとんどがまだつぼみの木があった。今にも開かんとしている濃いピンクのつぼみはとても愛らしい。
桜林の辺りにはたくさんの人がいるけれど、端の方に行けば人影もまばら。広いお寺の散策はこういうところがおもしろいところでもある。
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端っこの方で見つけた、水掛け不動さん。「近畿三十六不動尊霊場」の一つらしい。とっても柄が長くて重い柄杓で水をかけるようになっていたのがおもしろかった。それにしてもいろいろな巡礼コースがあるものだ。
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.御室にも御衣黄(ぎょいこう)が何本かある。この桜も、好きな桜でね、グリーンの花びらが珍しい。
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花梨(かりん)の花も咲いていた。子どもの頃、通っていた日曜学校で、花梨というのを初めて知った。実を家に持って帰って食べようと思ったのだけれど、花梨は生では食べられない。おばあちゃんが花梨酒にしてたっけな。
花を見たのは初めてかも。やっぱりバラ科の花らしい形をしているけれど、こんなに濃いピンクだとは知らなかった。ボケの花に似ているな。
仁和寺の中にはいろんな花がある。紫のミツバツツジも、白いフリルみたいな石楠花もきれい。花咲く春の日だ。
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mercredi 08 avril 2009
今日、4月8日は花まつり。お釈迦様の誕生日だ。小さな誕生仏の像に甘茶をかける。長く仏教系の幼稚園や学校に通っていたわたしには馴染み深く、懐かしい行事だ。
完成させたフレジエを冷蔵庫でかっちり固めている間、小さなお釈迦様に、甘茶をかけに西本願寺へ。
親鸞上人の遠忌を控えて、本願寺は西も東も大々的な工事中。中には入れるけれど、御影堂は、念仏奉仕団が大勢で大掃除中・・・。
阿弥陀堂では法要が行われていた。雅楽の生演奏(?)の入った厳かなもの。お蝋燭も、お祝い事のための赤い蝋燭。
いろいろな宗派のお寺にお参りするけれど、真宗のお寺のしつらいがやっぱり一番馴染み深い。「ホーム」という感じがする。
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ちょっと足を延ばして、渉成園へ。ここは四季折々に美しいけれど、やはり桜の季節の「傍花閣」は、その名にふさわしい眺めだ。
受付で、都道府県のどこから来たのか、ということと、浄土真宗大谷派の門徒かどうかを一人一人に尋ねていたが、大谷派の門徒なら、何か特典があったのだろうか。うちは誠照寺派なので、大谷派の門徒ではない。残念・・・(なのか??)
花を眺めて、茶室の裏の裏まで庭を歩き回り、小さな蛇を発見したのでしばらく観察してから、帰りは東本願寺でまた誕生仏に甘茶をかけて帰る。
家に帰って、フレジエでお茶の時間。たくさんできたので、トモちゃんも呼ぶ。食べてから、ジェノワーズの切り落としや少し余ったクリームでいちごのトライフルを作る。
夕食はトモちゃんが餃子を作ってくれることに。うれしいな(^^)。材料を買いに、二人でお買い物。
トモちゃんの餃子はねぎやしょうががたっぷり入る。野菜類を細かく細かくみじん切りにするので、あんの口当たりがとてもなめらかでジューシーでおいしいのだ。二人で60個の餃子を包み、弟の帰りを待って、餃子パーティー。
今日、外で働いたのは弟だけ。お疲れさま~。
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mardi 07 avril 2009
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春爛漫の絶好のお花見日和。開花は早かったけれど、予想外の冷え込みがあったため満開の時期が遅くなって、見頃は今日あたり。ラッキーなことに、公休日だなんて(^^)!
お昼ごはんを持って、友人と山科へ。山科の疎水沿いの道は知る人ぞ知る、桜の散策路なのだ。ぐっと低く、水に向かう枝は、満開の花の重さでたわんだよう。水面を流れる白い花びらも美しい。のんびりとした風景に、思わず、♪春のうららの隅田川~・・・高歌放吟?
地下鉄の御陵(みささぎ)駅(この「みささぎ」というのはすぐ近くにある、天智天皇陵のことです。どんな昔の天皇やねん・・・。ほんまにお墓ここなんかなあって、来るたびに思う)から住宅街を北へ抜けて行くと、ちょうど疎水が蹴上の方へトンネルに入っていく入り口辺りに着く。今日はここを起点にして、毘沙門堂・山科聖天まで歩くつもり。
疎水の道にはテーブルやベンチも多いし、もちろんシートも地面に敷けるのでお弁当も広げやすい。遠目に花のきれいな場所を見つけてそこでお弁当を食べようと近づいてみると、桜ではなく、満開のアメリカハナミズキだった。やっぱり桜の下がいい、と却下して歩き始めると、「桜でもアメリカハナミズキでもええやん!!」と既に疲れたらしい友人がごねだす。体力のないヤツめ(笑)。もっと鍛えなければ、と説教をしながらさらに歩き、絶好のポイントを見つけてお弁当。
桜の下で、クラブハウスサンドとサラダと太陽と、程よく冷えたギネスビール。最高だ~!乾いた喉に心地よい。デザートには「絹ごしチョコレートプリン」とチョコレート。
洛東高校辺りの桜は特にきれい。
さらに歩いて毘沙門堂へ。もともとは御所の北にあった古刹だが、度重なる戦火で焼かれ、江戸時代にここ山科の安朱の地に移ってきたという。天台宗五箇室門跡の一つで格式のあるお寺だ。話をしていたお坊さんが、「歴史もあって、格式もあって、お金のない毘沙門堂です」とかなんとか言ったので笑ってしまった。
御本尊はもちろん毘沙門天で、11年前の御開帳が、実に333年ぶりだったという秘仏。ごく小さい坐像で、伝教大師最澄の自作だと言われる。
樹齢150年くらいの、「毘沙門枝垂れ」。見事な枝ぶり。幹の形もすばらしい。そう、このお寺も古来、桜の名所として知られたところ。美しい・・・。桜だけを外から見るならただだけど、建物の内部や庭園も見られる。内部はけっこう広く、「逆遠近法」で描かれた襖絵など、なかなかおもしろいものがある。
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裏参道から、山科聖天 雙林院へ。毘沙門堂の塔頭で、大聖歓喜天と不動明王を主に祀る。聖天さんだからなのか、神仏が習合しているからなのかはわからないけれど、お寺だけれども鳥居がある。
近年人が増えて、以前ほど静か、というわけにはいかないけれど、市内中心部と比べれば、それでも人はぐっと少なめ。疎水から毘沙門堂へと向かう桜の散歩はおすすめだ。
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dimanche 05 avril 2009
ニュータウンの住宅街を出たとたん、田園風景が広がるのに驚かされるのが大原野。去年もちょうど同じ頃にここに来た。勝持寺の西行桜はもう満開だろうかと思いながら、今年は大叔父の納骨の法要に出席するため。
場所は、正法寺という、真言宗のお寺。新しそうなお寺だし、いくつもに区切られた座敷は、法要などを待つ人の控え室になっているようで、なんだか料理屋や旅館のような感じすらしたが、そんな第一印象とは裏腹に、このお寺もかなりの古刹で、創建は天平勝宝の頃、唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟、智威大徳 が隠世したのが始まりだという。途中、応仁の乱の戦火で焼けたりもしているらしいが、江戸時代には徳川家の保護を受け、かなりの寺勢であったという。
御本尊は、鎌倉時代に造られた、三面千手観音菩薩。この像は、顔の両脇に二つの化仏(けぶつ:小さな別の顔)を持つ、全国的にも珍しい千手観音像で、国の重文に指定されている。他にも縁起の古いもの多数。新しそうで、裏山の墓地もなんとなく商売っぽく(失礼!)ぴかぴかした見かけに油断ならず。
納骨する前の法要は、桜の季節で、人の出入りが多いので、という理由で、本堂ではなく、「春日不動」と呼ばれる、不動明王のお堂にて。お堂というところは、足元からしんしんと冷えてくる。長い法要。不真面目かもしれないが、お坊さんの所作を見たり、お経を聞いたりするのも含めて、いろいろな事物を観察するのがまたおもしろい。少なくとも外見は、いいオトナであるので、おとなしくしているが、心根は「なんで?なんで?」とうるさい5歳児とあまり変わらないので、必ず興味をひく物や事が見つかるのだ(笑)。
この辺りは市内中心部より幾分気温が低く、朝のうちはコートがいるくらいの寒さだったが、納骨のためにお墓に行く頃にはすっかり暖かく、春爛漫といった感じ。墓地が拡張される前から、散歩の折にこの場所に来て、ここの眺めはすばらしい、大叔父は言っていたそうだから、気に入った土地に眠れて、きっと満足しているだろうと思う。
墓前での回向も大変丁寧なものだった。無事納骨を終え、大原野神社のすぐそばの、「ぶへい」という料理屋さんで、お弁当を囲んで会食。わたしの隣には、大叔父の位牌と遺影。その前にビールが供えられた。大叔父と言うと、大層高齢の親類かと思うが、この大叔父は父方の祖母の、親子ほど年の離れた末弟なので、例えば、カツオとタラちゃんみたいに、父とはほとんど年が離れていない。なので二人は兄弟のように育ち、京都に来てからもよく行き来していた。賑やかなことが好きで、皆でお酒を飲むことが大好きだった大叔父の家での、また我が家での宴会を思い出しつつ、皆で食事をする。
直会(なおらい)という言葉は、神と共にする食事のことのみを指すだろうか。でもわたしにとってはこれも一つの直会。死者とわたしは、いつも親しい。
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jeudi 02 avril 2009
京都国立博物館で開催されている、展覧会、「妙心寺」を見る。開山無相大師650年遠諱記念の企画のようで、1月に東京で先駆けて開催されていたものだ。
友人が妙心寺の近くに住んでいるので、このお寺には、近年になってから頻繁に行くようになった、と言うか、通り道として通るようになった。丸太町より少し北にある門から、一条通に面した北門へ山内を通り抜ける。敷地が広いので、お寺が便宜をはかってくれているのか、山内は半ば公道。門は24時間開いているらしい。建仁寺もよく通り抜けるけれど、こちらも24時間開いているのだろうか。いずれにしても、お寺が閉ざされた空間ではなく、散歩に、通り道に、遊び場に、限りなく日常生活の場になっているというところが京都らしいと思う。
いくつもの塔頭を持つ大伽藍であるということを考えても、「妙心寺」というテーマで展覧会が一つできてしまうほどのものを持っている、というのは考えてみれば、すごいことだ。
わたしも通り抜けるだけでなく、いろいろなものを見たと思っていたが、とんでもない。あることさえ知らなかったものがほんとにたくさんあった。ちなみにわたしは、禅寺の龍の中では妙心寺の探幽の龍が一番好きなのだが、もちろん持ってこられるわけもないので、この展覧会では見られない。698年に作られた、日本最古の鐘、黄鐘調鐘は展示してあった。そして意外かもしれないが、仏像が一体もない。これはちょっと不思議だった。
妙心寺を支えた歴代の高僧の頂相(ちんそう:肖像画)もおもしろいが、やはり後半の白隠禅師の絵や、狩野山楽、海北友松、長谷川等伯らの絵が見所かも。メトロポリタンから来た、狩野山雪の「老梅図襖」も。
わたしが個人的によかったのは、2基出ていた、「瑠璃天蓋」だった。小さなガラスをビーズのようにつなぎ合わせて作った美しい天蓋で、禅宗の荘厳にはよく見られるものなのだそうだが、わたしは初めて見た。禅宗にしては少し派手な感じのするものだった。
わたしにもう少し知識があれば、もっともっと楽しめた展覧会であると思う。21日に展示替えがあり、退蔵院が持っている国宝、如拙の「瓢鯰図」と、狩野山楽の、かっこいい「竜虎図屏風」も出るらしい。見たいかも。
見終わった後は少し散歩。豊国神社と方広寺に行く。実は今まで来たことがない。
この唐門は伏見城の遺構で、国宝。西本願寺の唐門、大徳寺の唐門とともに、国宝三唐門の一つ。
二条城から、南禅寺の金地院を経て、この地に移築されたそうだ。いつも思うのだが、大昔の「移築」ってどうやってやるんだろう?分解して組み立て直すのかなあ・・・?ことあるごとに人に聞いてみるのだが、ことごとく、知らんって言われる。どなたか教えてください。
この大変大きな梵鐘は、徳川家康に言いがかりをつけられたという、有名な、国家安康 君臣豊楽 の文字が刻まれた鐘。東大寺、知恩院の鐘とともに、日本三大名勝鐘とされている。
なかなか今は地味な(?)、神社とお寺ながら実はすごいものを持っていたりする。
これで、東大寺の大仏さんよりも大きかったという大仏さんが残っていればなあ。見てみたたかったなあ。ちなみにここから西へ伸びる「正面通」とはまさに「方広寺大仏の正面」の意なのだ。
散策の後は、トラットリア・セッテでメレンゲなど。まだ冬のメニューなのかな?柚子のメレンゲ。中は、一六タルトを思い出させる、柚子風味のあんこクリーム。
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mardi 24 mars 2009
花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん
寺町竹屋町の街中に立つ、西国三十三所唯一の尼寺、行願寺。京都の人には、行願寺と言うよりも革堂(こうどう)という呼び名の方がよく知られているかもしれない。「幽霊絵馬」の伝説でも有名だろう。
もともとは一条油小路にあったのだが、現在地に移ったのは秀吉の時代。かつては大いに栄えたそうだが、近年まで堂宇は荒れ果てていたらしい。復興を果たしたのは、昭和44年に入寺された、中島湛海尼のおかげであるという。これには少し驚いた。
ここは、「革聖(かわひじり)」と呼ばれた行円上人が1004年に建てたお寺。行円上人は、出家する前はもともと猟師だったのだが、あるとき、鹿を射止めたところ、そのおなかの中には子鹿がいて、まだ生きていた。それを見た行円上人は、深く殺生の罪を思い、出家。殺した鹿の供養のためいつも殺した鹿の皮で作った衣を着ていたという。山号の「霊麀山(れいゆうざん)」の「麀(ゆう)」は、牝鹿の意。
御本尊は、千手観世音菩薩。秘仏で例年は、1月17・18日のみの御開帳。今は特別に3月末まで御開帳されている。行円上人が上賀茂神社の神木で、自ら彫った像だという。それゆえ山内には、上賀茂大明神が祀られている。他に、鎮宅大明神の祠もあり、寿老人の祠もあり、天台宗の神仏はちょっと独特なので、あまりよくわからない。
寺地はとても狭い。本堂も狭い。御開帳はされているが、開かれたカーテン状の布があるのであまりよく見えなくて、垣間見るような感じ。
今回からは勇気を出して(?)、般若心経を読むことにした。なんとか読み終えた直後、どやどやと、西国札所巡礼ツアーの老男女(「若」はいない)に周囲をぎっちり取り囲まれ、身動きが取れなくなった。その集団のガイド役(?)のお坊さんの先導により、さらに般若心経、観音経・・・。読経の只中に独り・・・。
御朱印はゲット。
ツアーの人々は、嵐の如く来て、嵐の如く去って行った。お坊さんが指導してくれるのはよいと思ったが、そんな怒涛のような巡礼のやり方は、まったくわたしの趣味には合わない。
今後、京都の街中の札所にお参りするときは、巡礼ツアーや観光客の来ない朝にすべきだろう。
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lundi 23 mars 2009
重くとも 罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら) ほとけを頼む 身こそやすけれ
千里中央からバスに乗ること45分。箕面の山の、応頂山(おうちょうざん)勝尾寺(かつおうじ)へ。ただでさえ寒い日、ここは大阪市内よりも5℃ほど気温が低いとか。
派手! しかしこの山門は平成に入ってから、建立当時の色に復元されたそうで、お寺と言うと、渋い色合い(?)を想像するけれど、実は退色してただけ、ということはよくあるもの。
もちろん、このお寺も古刹であり、創建は727年。その名の「勝」から、勝運信仰の寺として、源頼朝や足利氏の寄進を受けて、中世には広大な寺領を持っていたと言う。
しかし、古刹の雰囲気を想像して行くと、まずエントランスに驚くだろう。○○会館、とか言う名前でもついていそうな、現代のビル。温泉旅館のロビーにあるようなおみやげもの(?)の売店に食堂・喫茶。フロントのような入山受付・・・。まさかここが入り口だとはわからなくて、しばらくうろうろしてしまった(笑)。
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勝ち運祈願のため、山内のいたるところに、奉納されたダルマが。スポーツ選手の奉納もあるとか。点在する小さいダルマは、実はおみくじで、中におみくじが入っている。聞いてみたところ、ダルマは奉納しても持って帰ってもどちらでもよいとのこと。わたしも一体・・・(笑)。おみくじは吉。裏面には英文。インターナショナル・・・。
自由に鐘がつけるようになっていたので、空気を清浄(しょうじょう)にするため、お参り前に一つ撞いた。静寂の中に響き渡る鐘の音は美しい。
御本尊は、十一面千手観世音菩薩で、やはり秘仏。本堂の前には結縁(けちえん)のための紐が下がっている。残念なことに、本年の御開帳は、3月1日~3日までと、非常に短い間に終わっており、来年の御開帳はないため、拝観はかなわない。
学生さんと思しき娘さんとそのお母さんらしき人が、二人で般若心経を唱えていた。御朱印帳ではなく、掛け軸を仕上げようとされていた。やはりきちんと納経、せめてお経を唱えるくらいはしないと、さすがに掛け軸や笈摺(おいずる)はいただけないなあ、という思いがあるので、わたしは遠慮している。わたしなりの制限だけど。
観音経はまったく無理でも、心経ならば、門前の小僧方式でも読めるだろうか。わたしもチャレンジしてみようか・・・。仲良く読経する二人を見てそう思った。
ちょっと自分的にはずる(?)してすみません、という気持ちはするものの、御朱印はゲット。
書いてくださったのは、まつ毛ばっちりの、20代であろう若い娘さん。「南無大慈大悲観世音菩薩」と唱えながら丁寧に書いてくださった。御朱印を書く人は、老若男女関係なく皆達筆だ。彼女が出家かどうかは知らないし、現代において出家とは、ライフスタイルなのか、職業なのかはよくわからないが、こんな「仕事」は良いなと思った。
薬師堂は、源頼朝が建てたという、山内最古の建物。山内には妙に新しく、現代的に整備された場所と、このようにいかにも古刹だと思わせるような場所が、入り交ざっている。
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二階堂には、法然上人が4年間滞在したそうだ。本堂に入ろうとしたが鍵がかかっていたのであきらめて外から拝もうと思ったら、お坊さんが来て、わざわざ鍵を開けてくださった。
お坊さんのお話によると、法然上人がいらっしゃった頃の御本尊は、阿弥陀如来だったかと思うが、今の御本尊は、仏像ではなく、「法然上人と中国(だったかな)の偉いお坊さん(名前は失念)が対談をしたときの、影が映った杉戸」なのだそう。
そんな御本尊は初めて聞いたので非常に興味深い。やはり秘仏で、毎年4月18日に御開帳されるので、ぜひお越しを、と言われた。そんなこんなで、お寺に行くと、ついつい滞在時間が長くなる(笑)。
他には、日本三荒神のうちの一つ、厄祓荒神でも有名らしい。荒神さんについてはほとんど知らないのだけれども。
もう少ししたら桜が美しいそうで、また紅葉の名所であるそうだから、今日はあまり人がいなくてとても静かだけれども、シーズンにはどっと人が増えるのだろう。
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mercredi 18 mars 2009
後の世を 願うこころは かろくとも 仏の誓い 重き石山
世事にかまけてしばらく休んでいた西国三十三所の札所巡り、実に11ヶ月ぶり。 西国三十三所の巡礼は、奈良時代に、長谷寺の開祖、得道上人によって始められ、その後、花山法皇によって中興されたとされる。2008年はその花山法皇の一千年遠忌に当たり、各札所では2010年の秋までに順次、秘仏である御本尊(ほとんどだ)の特別開帳があるので、上手にスケジュールを組んで、来年の秋までには結願(けちがん)したいものだ。と言っても、もう既に御開帳が終わってしまっているところもあるんだけど。
日差しが明るくなってくると、なぜか水のあるところに行きたくなる。日の光を受けて水面がきらきらと輝くのを見るのが好きなのだと思う。そうだ、湖国へ・・・。
ゆったりと流れる瀬田川。琵琶湖から出る川はこの瀬田川だけなんだっけ?春らしい眺めだ。
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御開帳スケジュールとにらめっこして、訪ねることにしたのは、十三番札所、石光山(せっこうざん)石山寺(いしやまでら)だ。
紫式部ゆかりのお寺としても有名で、「千年紀」の関係で訪れる人も増えているかもしれない。山内の小さな展示館でも、「源氏物語と石山寺」という企画展示をやっていた。与謝野晶子の手書き原稿などの展示もあった。本堂の一角の「源氏の間」に置いてある紫式部のマネキンはなんだか不気味だが(笑)。
山内は広く、散策にはかなり時間が必要。桜のつぼみはまだかたいけれども、三ヶ所ほどある梅林の梅は、今を春辺と咲くやこの花。
苑内には自分以外には誰もおらず、花を愛でるのはわたしのみ。静寂の中で梅の香りに包まれて、陽光の下、大変贅沢な時間を過ごした。正に僥倖。
御本尊は、如意輪観音半跏像(重文)。もちろん秘仏で、なんと33年に一度しか御開帳されないとか。ということは、この機会を逃したら、生きている間には見られないということもありうる。
基本、33年に一度しか開扉されないので、平安時代の仏像ながら、保存状態が非常に良いとのこと。500円の拝観料を払えば、お内陣まで深く入り、間近でお姿を拝見することができる。
高さは301.2cm。「丈六」と呼ばれるサイズ(?)だ。大きくてどっしりとした姿がちょっと意外だった。観音像というと、ほっそりとした造形がまず頭に浮かぶので・・・。ごつごつとした岩の上に座っておられる。これも珪灰石?しゃがみこんで、この岩の間までも覗き込むことができる。
前回、2004年に特別な法要があったときに開扉され、御本尊の調査が行われたところ、なんと胎内から、7世紀に作られた4体の仏像が発見されたそうで、そちらも拝観することができた。
山内には、本堂や多宝塔といった国宝や、お寺の名前(石山)の由来となった珪灰石(けいかいせき)群(天然記念物)など、あまりよくわからないながらもなんだかすごそうなものがたくさんあった。さすが古刹である。
御朱印ゲット!!
どこの御朱印も達筆だ。本当はね、お参りするだけではなくて、きちんと納経できたらいいのだけれど・・・といつも思う。とは言え、曲がりなりにもお参りできたことに感謝。
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lundi 23 février 2009
2月23日は、醍醐寺で行われる、五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)、通称「五大力さん」の日。この日だけに授与される、「御影(おみえ)」呼ばれるお札は、盗難・災難除けのお札として、愛宕さんのお札、壬生さんのお札、祇園祭のちまきなどと同様、京都の家ではポピュラーなお札である。
うちでは特に不動明王への信仰があったわけではなく、また醍醐からは遠いこともあって、わたしも実は行くのは初めてだ。
「五大力」とは五大明王のことで、すなわち不動明王(ふどうみょうおう)を中心に、東の降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、南の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、西の大威徳明王(だいいとくみょうおう)、北の金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)。
仏像などを見ると、これがまたもの凄い憤怒形の仏で、中には鬼神を降伏(ごうぶく)し、踏み付けにしている明王もいらっしゃる。
わたしなど、凡夫の最たるもので、何か行をするでもないわけで、憤怒形の仏とはそうご縁があるわけでもなかろうが、それでもそのお姿を見ていると、もしわたしが今後何かの巡り合わせで、心の中に悪を育てて、悪鬼に変じようとも、こんなふうに降伏してもらえるのなら安心だ、という少々屈折した安心感や、できるなら、このように降伏されたいものだという、エロティックですらあるような思いを抱く。
間断なく唱えられる般若心経と、不動明王慈救咒 (じくしゅ)。終日行者さんの団体によって護摩が焚かれ、受けた御影は護摩の火でさらに加持されるようだ。
むやみにお札やお守りは受けないことにしているし、ただ見ているだけのわたしだったが、ここはヤバいまでの鳥肌が立つような濃密な信仰の空間だった。
「おかげ餅」。五大力さんには、こんな大きな餅が奉納される。軽く撫でれば、健康長寿のご利益があるとか。
また、男子は150キロ、女子は90キロの餅を持ち上げ、タイムを競うというイベントも行われている。仏様に、「力」を奉納する、ということらしい。
エントリーは、当日だったので、気はそそられたが、到底無理そうなので観戦するだけにした。女子の部を数名観戦したが、これは単に力業ではなく、バランスというか、身体感覚の優れた人、体の軸のぶれない人が勝つのだと思った。
お下がりのお餅が授与されていた。左は五色の小餅、右は切った「おかげ餅」。五色の色合いがかわいくて気に入った。
昨年8月の落雷で、上醍醐の准胝堂が焼け、以来、上醍醐への登山が禁止されていたが、今年年頭からようやく再開。
今回は登らなかったが、5月のご開帳時には小学6年生の2月以来、ン十年ぶりに登る予定である。ここは西国三十三所の札所でもあるので。
ちなみにここは市内屈指の桜の名所であるので、シーズンには大変な人出となります。
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vendredi 06 février 2009
今日は初午。稲荷の神様が稲荷山に御鎮座ましましたとされる日で、数ある伏見稲荷の祭礼の中でも5月の稲荷祭と同じくらい重要な祭礼の日だ。伏見稲荷は遠くから近くから、参拝する人で賑わう。
昔、商売をやっていた遠方の親戚はよくこの日にお参りに来て、お参りの後はうちでわいわいとみんなで宴会をしたものだ。うちは商売をしているわけではないが、氏子であるし、お宮参りから始まって、わたしの最も慣れ親しんでいる神様であり、また食物(稲)の神様であることもあってお稲荷さんが好きなので朝からお参りに。
今日は「お山をする」つもり。「お山をする」とは、稲荷山の頂上を通って、くるっと一周、主に五つの神蹟を巡って参拝するというもので、なぜかもう、「お山する」とか「お山をする」とか動詞になってる。お山にはいろんな会社や個人が建てたマイ稲荷が数え切れないくらいあるけれど、伏見稲荷大社が直接管轄しているわけではない(!?)らしく、はっきりとした数はわからないんだって。
初午らしく、たくさんの献上品。冷蔵ケースの中には立派な鯛やまぐろ。エバラからの、「焼き肉のたれ」がうず高く積んであったのが笑えた。すでにたくさんの人がお参りをしていた。ご祈祷は、長蛇の列。今日はお正月と違って、スーツを着たビジネスマンが目立つが、どういった部署の人が業務で来ているのだろう(笑)。今日もご祈祷はパスして、本社、奥社へのお参りを済ませていざお山へ!
新池のところの熊鷹社。大きなろうそくの炎がゆらめくこの場所はいつ来ても大変神秘的で、人の少ないふだんの日にここに来ると、ちょっと恐いというか、圧倒されるような感じがする。
爽やかによく晴れた日。でも寒い。愛宕山ほど険しい山ではまったくない(頂上の一ノ峰で標高233m)けれども、坂を歩いていると真冬でもコートを着ていると大汗をかく。
四ツ辻からの眺め。
荒神峯の田中社(権太夫大神)の御神蹟。田中社がうちの地域のご担当(笑)で、5月には御神輿が地域巡回に・・・。
ここから一ノ峯、二ノ峯、間の峯、三の峯・・・と巡ってまた四ツ辻に帰ってきて、さらに本社に帰る。
荒神峯より先は若干人も少なくなるが、跪いて一心に祝詞を読む熱心な信者さんや、お供えセット(?)を持ち歩いて巡る人も多い。一度その方法や作法などを聞いてみたいと思うのだが、わたしの周りに先達はなし。いまだによくわからない。でも伏見稲荷に来てお山をしていると。必ず楽しい気持ちになるので、きっと稲荷の神様と相性がよいのだろうと思う。
本社へ帰って、御神籤を引いてみる。なんと「大吉」だった。不思議なことに直近2回ともまったく同じ御神意、「凶後吉」で、「神をも恨みたくなるようなことが次々起こるが、ひたすら我慢せよ・・・」みたいなことだったのが、ようやく新たな局面を迎えたのかもしれない。なんだかほっとした。
初午の日に食べるものと言えば、京都では、畑菜の辛子和えだ。わたしも必ず作って食べる。これも日常食の一つでもあるのだけれど、今日はお稲荷さんにちなんで、かりっと焼いたおあげさんを入れてみた。香ばしくて、これもおいしい。おあげは実は大好物・・・(笑)。
ちょっと調べてみると、初午の日のはそれぞれの地方で食べるものがあるみたいだ。たとえば、北関東の方では「しもつかれ」という郷土料理を食べるんだって。
そうそう。お昼には稲荷寿司を食べた。関西(京都も含む?)では初午に稲荷寿司を食べる習慣があるそうなのだけれども、わたしの回りでは聞かなかった。地域性なのかなあ?
京都の人で、初午には稲荷寿司を食べていた(いる)、という方はおられますか?
皆さんのゆかりの土地では、初午の日に食べるものってありましたか?
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mardi 03 février 2009
昼からはお天気が崩れると言うので、午前中に壬生さんへ。持ち物の準備はOK?つまり、家中の、古いお札やお守りなど(他の神社やお寺で受けたものでもかまわないらしい)と、豆だ。豆は、今年なる年齢プラス1(数え年)の分だけ数えて紙に包む。それを家族の分だけ作るのだが、なんとしたことか、自分の分を作り忘れているのに出掛けに気付いた。え~・・・。豆はもうみんな神棚とお仏壇に上っているし・・・。結局、ちょっとくださいと、神棚からもらって、半紙も出さず、別にいいやとばかりティッシュペーパーに包んだ(笑)。
自転車は置く場所に困るし、かと言って歩く元気もなかったのでバスで行く。
壬生寺はけっこう混雑していた。でも節分は夜の方が確実に混む。壬生寺もねぇ、最近どんどん整備して、妙にきれいになっている。新撰組のドラマのおかげだろうか(笑)。晴明神社の拡張ぶりを思い出すんだよね~(笑)。
着いてまず、ほうらくを書く。う~ん、最近は勝手のわからない人が増えたねぇ・・・。昔は地元民しかいなかったのに。でもちょっと聞けば誰でも喜んで教えてくれるのだから、先達はあらまほしきものなり。
素焼きのほうらくに墨と筆で、家の名(○○家)と家族の構成員の性別・数え年を、男○才、女○才・・・というふうに書いていくのだが、我が家の筆頭の祖母は、女九十九才。ほうらくを書くところに設置してある、数え年早見表には祖母の生まれ年である明治44年は既に記載がなく、「女九十九才」と書いたら、なんだかおかしくなって、ぷっと吹き出してしまった(笑)。ともあれ幼少の頃よりのわたしの悲願であった祖母の長寿はかなえられており、感謝する次第である。おばあちゃんもう少し頑張れ!来年の節分には、「女百才」と書くのを楽しみにしている。
古いお札を納め所に納める。納め所は節分にしか設置されないが、今も昔もベルトコンベアに乗せられて回収されていく。あまりにも数が多いのでね。
正しいお参りの順番はたしかではないけれど、次にほうらくを納める。そしてお線香を供えて、お参り。豆はお賽銭といっしょにお賽銭箱に入れる。ご本尊は、延命地蔵菩薩で、重要文化財らしい。オンカーカーカービサンマエイソワカ。
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新しいお札を受けて、節分のお参り完了。
お札を入れてくれる黄色い袋に書いてある、「壬生寺の節分会のいわれ」によれば、
「京都の歳時記の一つである壬生寺の節分会は、平安時代、白河法皇の発願によって始まったと言い伝えられ、九○○年もの永い伝統がある。そして御所から向かって裏鬼門(南西)にあたる当寺は、京都の節分鬼門まいりの一端を往古よりになっている。裏鬼門とは悪鬼が出入りする裏口といわれ、壬生寺がその鬼門を封じているのである。
当寺本尊は重要文化財・延命地蔵菩薩であり、お地蔵さまの誓願である庶民大衆の厄除け・招福を祈願して、古式どうり三日間にわたって「節分厄除大法要」を厳修している。」ということだ。
庶民の味方、お地蔵様。この仏様は地獄まで自らやって来て人々を救ってくださるのだからすごい。「地獄に仏」とはまさに地蔵菩薩のことなのだ。
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dimanche 25 janvier 2009
23日から、1泊の東京行き。出発の直前に風邪をひき、あわや予定キャンセルかとも思ったり、当日は予定の新幹線に間に合わないなど、いつになく幸先のよくない旅の始まりではあったが、どうにか出立。
いつものことながら、あっと言う間に東京到着。新幹線は、ワープ航法を使っているに違いない。今回は名古屋~小田原の間の空間をワープしていたようだった。特に綿密に計画したわけでもなかったが、今回は東から始める西進の旅。
浅草は20年くらい前に一度来たきりだが、外国人も日本人も、本当に観光客の多い街だな。しかしわたしの目指すのは雷門でも浅草寺でもなく、待乳山聖天(まつちやましょうでん)だ。
人々は、実にさまざまな神仏を信仰しているもので、そういった信仰の在り方や、信仰の現場を知り、見せてもらうことは非常に興味深いことだ。ことに現世利益も重視する信仰は大変に興味深いもので、それを通じて人間のありようそのものが見えてくるような気がする。
人間というのは本当にわけのわからない存在だ。そんなわけのわからない人間が、これまたわけのわからない人間に対して、わけがわからない、と悩んだりする。わけのわからない人間がひしめきあって暮らしているのだから、この世界が常に混沌としてわけがわからないのは当たり前のことだ。
聖天信仰のメッカとも言える生駒山があるからだろうか、「聖天さん」(大聖歓喜天)への信仰は、主に関西で盛んなのだという。なるほど確かに、たとえば京都なら、山崎聖天、西陣聖天(「歓喜桜」で有名な雨宝院のことだ)、大阪には福島聖天など、思いつくだけでもたくさんの聖天さんを祀る場所がある。関東では少ないという聖天信仰の場を訪ねてみたかったのだ。我ながらマニアックだが(笑)。
だいたいにおいて、天部の信仰というのは難しく、非常に神経を使わなければならないものらしい。特に聖天さんについては、「聖天さん都市伝説」とも言いたくなるような恐ろしげな話があるからか、会社の屋上にお稲荷さん(こちらも一説では荼枳尼天と呼ばれる天部なのだけれど)のお社は建てても、聖天さんを祀る人はいない。しかし、信仰すれば富貴が得られ、王ともなることができると言う・・・。
待乳山は、浅草の中心地から少しだけ離れたところにあった。観光客は誰もいない。近辺に公園があって、「池波正太郎生誕の地」という看板が出ていた。そうだったのか。
手水舎で手と口を清めて、本堂へ。そっと戸を開けて入ってみる。聖天さんは秘仏なので、直接見ることはできない。ハンガーなども備えてあり、コートを脱いでから中へ。そこは非常にコアな信仰空間であった・・・。
先客が一人。経典を載せる台を前に、静かに、しかし一心不乱に祈っている様子。まだ若い人だ。次に来た人は、社運をかけて祈っているような感じで祈祷(?)の領収書を切ってもらっているようだった。社長なのだろうか。ほとんどの人がお寺の人とは顔なじみの常連さん(?)のようだった。
手を清めるための塗香(ずこう)が置いてあったので、手を清める。よい香りだ。見れば、台の上にたくさんのお花と大根が供えられている。すると新たな人がやってきて、その台の上にお花と大根をお供えした!そうか、これは人々がお供えしているものなのか。
わたしもお供えしたくなり、お寺の人にどこで売っているのか尋ねると、入り口近くのお茶所のようなところで、「お分けしています」とのことだったのでさっそく行って、お花一束と大根1本を「分けてもらって」くる。再び本堂に入るわたしはなんとなく嬉々としていたに違いない。そういうシステムを体験したことがないのでなんとなくうれしかったのだ。
聖天さんと十一面観音は密接な関係がある。それぞれ真言が書かれてあったので唱えて拝む。先客の熱心な祈りはまだ続いていたが、わたしは静かに辞す。
帰りには小さな子どもを抱いた若い母親が、やはりお花を分けてもらって上ってくるのとすれ違った。近所の人も気軽にお参りに来ているようだ。関東では少ないらしいが、それだからこそなのか、ここでは非常に盛んに、熱心に信仰が行われているようだった。観光無縁の、ディープな信仰の世界であった。
生駒には行ったことがないのでわからないが、今までわたしが行ってみた聖天さんのお寺はみな古くて小さくて、ここほどは盛んでもない(すみません。。)感じだったので、少し驚いた。ご祈祷のパンフレットがあったので見ると、きっちり長期間されるようなのに非常に安かったのにも驚いた。
さて。亀十で、あんこマニアの小豆のためにどら焼きのお土産を買い、銀座へ急げ!
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vendredi 02 janvier 2009
晴れたと思えばすぐに時雨る、典型的な京都の冬のお天気の中、運動不足を解消すべく、歩いて伏見稲荷に初詣。家からお稲荷さんまではわたしの足で、約50分の道のり。めまぐるしく変わる空模様に、傘を閉じたり開いたりしながら、てくてくと歩く。
人で賑わう京都駅前を通って、塩小路通を東へ。道沿いの様子を眺めながらいろいろなことを考える。わたしはあとどのくらい、ことごとを見送らなければならないのだろう。日々は去り往き、わたしは残る。塩小路橋の下、鴨川は流れるのだ。
橋を渡り、本町通を南下。JRの線路を越える陸橋の上には、カメラをセットして何かを待ち構える人が多数。どうやらここは、鉄ちゃんたちが新幹線を撮影する、絶好のポイントになっているらしい。わたしにはよくわからないが、「男のロマン」とやらの一形態なのだろう。
古い友人の家の前を通り、東福寺を過ぎれば、お稲荷さんまではもう少し。
今日は先に、本町通沿いにある、田中神社にお参りする。無人の小さな神社だが、ここは伏見稲荷の境外摂社。稲荷山におわす五柱の神様のうちのお一方、田中大神(たなかのおおかみ)の神社だ。わたしの家の付近一帯は、田中社の氏子であり、5月のお祭りの御神輿には田中大神が乗って来られる。
もう少し歩くと、本社の入り口。元日ほどではないにせよ、さすがに大変な人出となっている。
安全を考慮して、数年前からは雑踏整理が強化され、一定の人数しか拝殿への階段を上らせないようにしており、その甲斐あってか、人々の行列は整然としたもの。
近くに並んでいた若者たちが、「ここは後ろから賽銭投げてきいひんからええわ。八坂神社とか、うしろからがんがん投げてきよる」と話していた。へぇ、そんなに違うものなのか。
言うまでもなく、お賽銭は投げ入れるものではない。神様へのお供えなのであるから、静かにお賽銭箱に入れるものだ。今は折からの「和」ブームで、神社の参拝方法などを記した本などもたくさん出ており、そういった作法はかなり知られているのだと思っていたが、まだまだ場所によっては不作法がまかり通っているらしい。もちろん、八坂さんが悪いのではないことは言うまでもないが。
ご祈祷待ちの列も大変な人だ。一年に一回しか来られない、あるいは来ない人はその分きちんとお参りすればよいので、しょっちゅう来ているわたしはあいさつだけ。おみくじを引くと、「凶後吉」不思議なことについ先日、12月に引いたのとまったく同じだった。
奥社へ行くと、重軽石にも長蛇の列。みんな楽しそうに持ち上げている。帰りはもと来た道をまた、50分かけて歩いて帰る。
近所まで帰って、粟嶋さんにお参り。秋に供養をお願いした人形は、どうしているかな。紀州の淡嶋神社とゆかりのあるこのお寺(ええと、説明は省くけれど、神仏習合なので)は、女人一生の守護に霊験あらたかと言う。絵馬などを見るともなしに見ていると、女人であることはそれぞれに立場は違っても苦しいことに違いないことがよくわかる。いったい幾つになったら、女人を引退することができるのだろうか。
家に帰って、稲荷煎餅を食べる。昔から変わらぬ味の、素朴な味噌煎餅だ。やはり飛ぶように売れるらしく、お店では二人がかりで、どんどんどんどん煎餅を焼いていた。
ちなみに、狐の形のほかに、お多福の形、円いの、二つ折り、四つ折、御神籤入り、などがあります。
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vendredi 05 décembre 2008
月曜日から、近くの中学校の二年生の男の子が二人、職場体験に来ている。いろいろと事情もあるので、彼らとはそう接することもなく、かたわらで見ているのがかなり心苦しかったのだが、今日の朝はあれこれカウンター仕事の指示をすべき人はわたししかいなかったので、ようやく彼らに少しは仕事をさせてあげることができた。
予約本のピックアップや、なぜ「別置」をするのか、ということも含めて、「別置」の意味の説明、資料の検索、目録のデータ入力の重要性の説明を実際に端末の画面を見ながら少し話したり。彼ら自身が借りていた本の返却処理や他館から搬送されてきた本の返却スキャン、また、受け入れ雑誌の装備など、個人情報にひっかからない部分の仕事を、この作業をすることの意味や、この操作をすることによってどういう状態になるか、などの説明をしながら、実際に少しづつやってもらった。ほんの少しだったが、彼らの職場体験の「有意義度」が1ポイントくらいは上昇したと信じたい。
彼らは今日まで、端末は絶対にさわらせてもらえなかったので、非常にうれしそうだ。二人とも大変まじめで、かわいらしい少年たちなので、いろいろ質問してきたり、一つ仕事が終わると、何かすることはありませんか?と積極的に聞いてきたり、つまり、なつかれた。今まで思うところも多々あったので、ほんの短時間なのにちょっと情が移って、もう少し何かを伝えて学校に帰したいと思ったが、彼らは今日が最終日。わたしは午後からは外に研修に出るのでいたし方なし。無力でごめんよ・・・。
昼休みと合わせて早めに職場を出て、研修先に向かう。外は風雨。途中で大宮錦を上がったところにある、ピッコロ・ジャルディーノにてお昼ごはんにする。前菜の盛り合わせ(鶏胸肉のマリネ・いわしのマリネ・黄色いプチトマトのリコッタがけ)、地鶏と白菜のオイルソースのスパゲティ。白菜がくたっと柔らかく、ちょっとピェンローのような味。バゲット一切れ。小さなデザートは洋梨のタルト。クレームダマンドは紅茶の茶葉入りで香りが良い。それにコーヒーで、1280円。
今日は14ほどあるテーマの中から好きなのを一つ選んで話を聞きに行く、という職員のための教養研修。『平安京と水』というテーマで、お話は、神泉苑の住職の鳥越英徳師。
ずいぶん前になるが、NHKスペシャルで、「アジア古都物語」というシリーズがあった。その中に、「京都 千年の水脈」という回があり、とてもおもしろかった。それが今回のテーマを選んだきっかけ。下鴨神社~御所~神泉苑を一直線のラインでつないでいるのは地下水脈なのではないかという話から、関大の工学部の先生の、「京都水盆」の研究のことを取り上げていた。今では忘れられているかもしれないが、京都は豊か過ぎるほどの「水の都」なのだ。
名シリーズだったようでDVDにも書籍にもなっているので興味のある方はどうぞ。
講演の内容は、上記のようなものではなかったが、また別の切り口で、おもしろいものだった。神泉苑は、鳥居もあるが、東寺真言宗のお寺だということで、曼荼羅や、東寺で新年に行われる「後七日の御修法(ごしちにちのみしほ)」など、めったに見られない密教の修法の壇の写真などをたくさん見せてもらいながら説明を聞いた。わたしの「萌え」のツボにどんぴしゃりだ(笑)。
修法に「水」というものは大変に重要な意味を持つもので、「灌頂」という儀式は頭に水を注ぐこと、水のことを「閼伽 ( あか )」と言い、閼伽井はその水を汲む井戸のことであって、修法のために深夜二時半に神泉苑の水を汲んで、東寺に運ぶという話など、前半は密教儀式と水との関係について。
後半は、有名な、東寺の空海と西寺の守敏の法力争いの話(この話は非常におもしろく、二人とも、坊さんやのにそんなことやったらあかんでしょ~!?と言いたくなるくらいえげつないことをやっている・笑)や、祇園祭の話など、神泉苑についてのお話をあれこれうかがう。
前は何度でも通るのに、実は中に入ったことがない神泉苑。どうも隣にある料理屋さんの庭にしか見えなくて入ったことがなかったのだが、今日のお話でかなりのワンダーワールドだということがわかったので、帰りに歩いて行ってみた。
やっぱり狭いなあ。。。とは思う。現在の広さは1町足らず(約4400㎡)しかないが、造営された当時は、8町(約130000㎡)あまりの広さだったという。「御池通」の「御池」とはもちろんこの神泉苑の池のことである。
ここの仏様はご本尊の聖観音一体のみで、他に祀られているのは皆神様だという不思議さ。写真の池には、雨を降らせてくださる善女龍王が住んでおられると言う。池が縮小していっているのは、やはり水脈が変わったりしたからなのだろうか。今はほんとに小さな池。どこかに井戸を隠しているから砂漠が美しいように、神様が住んでおられると思えば、小さな池も・・・。
正直、非常にビミョーな空間ではあるなあ・・・と思ったが、縁あってお参りさせていただいたことへの感謝を、そこにおわすすべての神仏の前で申し述べ、神泉苑を後にした。
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samedi 29 novembre 2008
私用で府立図書館に来て、お昼ごはんは、ピッツェリア ナポレターナ ダ ユウキにてナポリ風(式?)のピッツァを食べる。表からも見える場所に薪を使うピッツァの窯がど~んと作ってある。これはすごい!
一番シンプルでおいしい、マルゲリータにしようかな、と思ったけれど、結局、トマトソース、サラミ、サルシッチャ、バジリコ、モッツァレッラ、パルミジャーノの乗った、ピッツァ・テデスカを選んだ。
運ばれたピッツァはソースがまだぐつぐつ言っている。チーズはとろとろでつつ~~っと長い糸を引く。周りの生地はもっちりと香ばしい。トマトソースはあっさりして、フレッシュなトマトのような感じ。そのためもあるのか、かなり大きなサイズながら、1枚食べました。いっしょにグラスの赤ワインを一杯。昼酒飲んで、要するに、なまけている(笑)。このワイン、微炭酸で、葡萄ジュースそのままのような香りがあって、ちょっと変わっていておいしかったなあ。
食後の散歩と称して、金戒光明寺(通称・くろ谷)まで歩く。京都に生まれて○十年、有名な寺社でも行ったことのないところは多い。そんなところをぼちぼち訪ねましょう、というmy企画の一環。だがしかし、要するに、なまけているだけ(笑)。
来て見てびっくり。山内は大変に広い。御影堂と大方丈は昭和9年に火災で焼け、戦時にもかかわらず、同19年にはすぐに再建されている。現代における寺勢の強さを感じさせる。現代において、最も寺勢が強いのは本願寺教団かと思っていたが、浄土宗もかなりのもののようだ。浄土門強し。
幕末に、会津守護職の本陣が置かれたことは言わずもがな。またここはよく、時代劇の撮影などにも使われる。今日も、阿弥陀堂では、テレビ大阪のお正月時代劇、「おんな太閤記」の撮影をやっていた。
山門は今、特別公開しているようだ(見なかったけど)。応仁の乱で焼失し、万延元年(1860年)に再建された。後小松天皇の筆による、「浄土真宗最初門」の額がかかる。
お寺の栄枯盛衰のことなど考えながら、ぶらぶらと散策。
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mardi 25 novembre 2008
八大神社と詩仙堂にはなぜか来たことがなかった。なので、ほとんど通りすがりに、といった感じではあったけれど、行ってみた。
八大神社は、スサノオのミコト、イナダヒメ、ヤハシラノミコガミを祀る。八坂神社と同じ祭神である。
また、宮本武蔵ゆかりの神社。
「一乗寺下がり松」の古木があった。
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詩仙堂は、石川丈山が造営した山荘。 建物も庭もやはりよいものだった。庭は、もみじだけではなく、春のさつきも美しいらしい。
帰りに鳩餅を買って帰る。鳩餅は三宅八幡のものなのに、と思っていたら、何のことはない。山端のお店の出店がここにもあるのだった。
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だらだらと書いている(笑)。
圓光寺へ向かう道で写真を撮ってみる。京都もこの辺りまで来ると、街中とは違う雰囲気だ。かなり高い場所なので、市街が見下ろせる。
圓光寺は小さなお寺だが、十牛の庭のもみじが美しい。少し上にある徳川家康のお墓から見下ろすもみじも良い。
十牛の庭。このところの冷え込みで、もみじは見頃。写真にも石が写っているが、庭の石は十頭の牛を表しているといい、禅の修行の過程を牛に見立てた石になぞらえて表現しているということからこの名がついた。
お寺については一昨年の秋に訪れたときの記事を引用しておこうっと(笑)。
***もと来た道を戻って圓光寺に行ってみる。 徳川家康によって1601年に伏見に建てられたこの寺は、相国寺山内を経て1667年にこの地に移ってきた。庭園には栖龍池(せいりゅうち)という洛北で最も古い池がある。またこの寺は学校でもあったため、「伏見版」または「圓光寺版」と呼ばれる多くの書籍を刊行した際に使われた、日本最古の活字である、1599年に家康に与えられた木活字が残っており、それも展示室で見ることができる。***
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dimanche 23 novembre 2008
なんとなく遠くを散歩したくなって、洛北の圓光寺から、またもみじを見下ろそうかなあ、と思いついてふらっと家を出た。向かう途中でこれまた思いついて、お昼ごはんの後、ついでに曼殊院にも行くことにした。
知っている人は知っていると思うが、この門跡寺院には、昔、滋賀の豪商から持ち込まれたという、持つ者に災いをもたらすという恐ろしい幽霊画があった。有名なものだったので、わたしも弟に「曼殊院を見に行くポイントは、そことちゃうやろ~」と突っ込まれながらも、見に来たことがある。
その後、件の幽霊画は手放されたと聞いていたのだが、果たして幽霊画は今もあった。しかも二枚も。しかし前に見たものとは違うと思うし、しかも二枚もなかったような気がする。二代目なのだろうか。どうなっているのだろう。絵の横には、「後日、撮られた方に差し障りがあるので撮影はやめてください」といったようなことを書いた紙が貼ってあった。非常に効果的と思われる、撮影禁止の文言だ。
以前来てから、15年くらい経ち、観光化が著しく進んでいた。どうやら昨年、JRの「そうだ、京都行こう」のポスターになったらしくそのせいもあるようだ。でもわたしは、部屋にたくさん展示ケースを並べて寺宝や販売グッズを所狭しと並べるやり方は好きではない。
弟の言うように、ここで見るべきは幽霊画ではなく、庭であり、茶室「八窓軒」であり、国宝の「黄不動」であるが、八窓軒を見るには別に1000円かかるし、「黄不動」の本物は、京博に寄託されているはで・・・。もう来ることないかなあ、という感じである。
ただ、12月7日くらいまで、「上之台所」の特別公開をやっており、これは値打ちがあると思う。通常の寺は、庫裏と呼ばれる台所を持つが、曼殊院は門跡寺院であるため、やんごとなき人たちのための料理をあつらえるための台所が別に作られていた。これは他に例がなく、極めて珍しい遺構であるということだ。
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mardi 18 novembre 2008
久しぶりの解放感ある休日。そろそろもみじも見頃かな、と、自転車で、東福寺まで出かけた。伏見稲荷へ行く道とほぼ同じ。ただ今日は塩小路からではなく、七条から本町通を南下。山内へは北門から入る。新ちゃんの家(超ローカル・笑)を越えた辺りから、つまりJRの東福寺駅辺りからは急に人が増える。
まずは塔頭の一つ、栗棘庵(りっきょくあん)へ。ここは公開していないが、もみじのシーズンは、この近所の高澤という料理屋さんが建物を借りて、お昼のお弁当を出しているようだ。店の方に行こうと思って事前に電話したところ、さすがに店の方はいっぱいで無理だったものの、こちらを教えていただいた。
写真は栗棘庵のもみじ。ちょうど見頃のようで美しい。思わず皆、写真が撮りたくなってしまうようだが、写真撮影のみで境内に入ることはお断りだとか。張り紙があったが、それでも門から覗き込んで写真を撮る人もちらほら。客席の隣の部屋に仏像が安置されていた。なかなか由緒のありそうな仏様で、千手観音だったような気がしたけれど薄暗かったのでよくわからない。
3150円の松花堂。
ちりめん山椒をかけたごはん
しんじょうとゆばのお吸物 香の物
紅葉蒲鉾 笹巻麩餅 いくらしょうゆ漬け 鯛子寒天寄せ ヒラメ錦糸巻き 海老煮
粟麩田楽 サーモン塩焼き 水菜・えのき・菊花合え 酢れんこん 春子南蛮漬
出し巻 胡麻豆腐 八幡巻 栗甘露煮
鯛導明寺 菊かぼちゃ 小芋 あなご湯葉巻 きぬさや 紅葉麩
栗棘庵は、北門に近い。臥雲橋を通って通天橋へ。
臥雲橋から通天橋を臨む。
まだ青い葉もあり、少し早いような気もするけれど、近づいて見れば、色づいていない木でも、葉が少し枯れかかっているようでもあり、今年はここまでなのかどうかは判断がつかない。
去年と比べてどうかなと思って調べてみると、去年より来るのが一週早かったようだ。こちらは一昨年の記事。このときは塔頭なども拝観しているので、行かれる方はご参考にどうぞ。このときは第三週に行っているようだ。
通天橋から臥雲橋を臨む。
今日の人出はさほどでもなく。とは言え、観光バスでやってくる団体さんも多い。土日祝は、通天橋が落ちるのでは?と心配になるほどの混雑におそらくはなるだろう。ここはできるなら、よく晴れた平日の、朝一番に行くと良い。
帰りに、退耕庵に行ってみた。小野小町ゆかりの寺で、地蔵堂の高さ2メートルのお地蔵様は、玉章(たまずさ)地蔵と呼ばれ、胎内にたくさんの、小野小町に宛てた恋文が納められていたと言う。
写真は、小町百歳の井戸。碑は元禄年間に建てられたものとか。シャッターをきった瞬間、デジカメの画面が突然おかしくなっって動かなくなった。こういうことがあるとなんとなく怖いんだ~(^^;。
庭や茶室は公開されていなかった。後で調べたら、予約すればOKなのだとか。茶室は、作夢軒(さくむけん)と言い、関ヶ原の戦いの謀議が行われた場所だそう。
同じ「さくむけん」でも、武野紹鴎作と言われる茶室、昨夢軒は、大徳寺の塔頭、黄梅院にある。ややこし(笑)!
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mardi 21 octobre 2008
火曜日のたびに忙しくって、あれもやらなければ、これもやらなければ・・・と、精神的に追い詰められる感じ・・・。でもまあ、どんなときでも一つ一つやっていかなければ仕方のないことだしねぇ。未来のことを心配したって、過去を悔やんだり懐かしがったりしたって、人が生きられる時制は現在だけだ。
よく晴れた休日、今日は弘法さんの日だ。ため息ついていても仕方がないので買い物に行く前に、久しぶりに歩いて東寺に行ってきた。
21日の「弘法さんの日」にはほぼ毎月、祖母といっしょに来たものだ。30年も前の話だが、その頃には、何と言うかそこにはもっと雑多な、今でも韓国の東大門などの市場や、ホーチミンの街なんかに色濃く残る、アジア的なカオス、と言うか、そんなようなおもしろさや魅力があったような気がするのだが、そういったアトモスフィアーが今ではすっかり失せてしまっているような気がする。露店で扱う品物も様変わりし、境内や伽藍そのものもきれいに整備されて、すっかり漂白・脱臭されてしまったような感じだ。近年は行く度にそれを感じるなあ・・・。どうもその、宗教的な「濃い」気配までもが薄まってしまっているような、そんな気すらするのだ。そこらへんがやっぱり、近くに住んでいながらなかなか近頃は足が向かない理由かなあ・・・。
昨日、『近代料理書の世界』 江原絢子・東四柳祥子/著 ドメス出版 2008年 を読了。よい解題書誌だと思う。見開き2ページで資料1点が紹介され、書誌事項もわかりやすい。資料の所蔵先も明記。また必ず抜粋された図版が入れられているのもおもしろい。
明治期の翻訳料理書にはフランスのものが少ないのはなぜだろうと思ったり、料理書の歴史を知ることは、近代の女子教育史を知ることとも重なるのだなと思ったり。また、今ではほぼ、板前割烹と同じようにしか使われなくなった「割烹」という言葉だが、近代においては「料理」という言葉よりも一般的であったようだということに気がついたり。生間流についての項で、「祇園祭や八坂祭」という記述にちょっと疑問を持ったり。次に知りたい、と思うことへの糸口を与えてくれるような、優れた解説だと思う。
読み物としても大変楽しく読んだので、自分でも1冊買うことにした。
昨日と今日飲んだワイン。ローヌフェアで買った赤、ドメーヌ トルーセル コート・デュ・ヴァントゥー 2005。PICARLEさんがこの白を飲まれて、「1620円はお買い得」とおっしゃっていたけれど、赤もなかなかどうして、1620円はすばらしくお買い得!重すぎず、とても飲みやすく、合わせやすい。なめらかかつ華やかさもあり。こういうローヌもあるのだなあと思った。
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このワインにはたいていのチーズはいけそうだ。
今回はこのブリア・サヴァラン・アフィネを。ブリア・サヴァランは熟成させたアフィネの方が断然好き。脂肪の多いチーズだけれど、それをワインがうまく調整する感じかなあ。他にはコンテ12ヶ月、ガレ・ド・ロワールも無理なくおいしかった。
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samedi 06 septembre 2008
マダムUと、ベルクールにてお昼ごはん。ご実家よりおみやげの、小布施のドライシードルと黒瓜(初めて知る瓜♪)をいただく。思えばもう、4ヶ月以上も会っていなかった・・。
ベルクールのお昼の定食にはワインが付くので、ゆっくりと楽しむにはもって来い。もちろんおいしいしね。前菜と主菜、それぞれ違うものを頼んで、半分づつお皿を交換して食べた。
リヨン風サラダ
葉野菜とベーコン、半熟卵、ソーセージのサラダ
もう一つの前菜は、写真はないけれど、うさぎのパテ プラムとフォアグラ入り。
ワインは赤にしたので、どちらもよく合って、おいしかった。
うずらの一枚開きのソテー リゾット添え と 仔羊肩肉の煮込み バジル風味
香ばしいうずらはおいしいので、小さな骨を遠慮なく手に持って細かいところまで食べる。柔らかく煮込まれた仔羊は丸く整形されて上にはズッキーニとトマトが美しく飾られている。たっぷりのソースには細かく刻まれたバジルがたくさん入っていて香りもよくておいしい。パンにもつけてきれいに食べる。
チーズのプラトーから4種類。ロックフォール、コンテ、エポワス、シェーブル(名前は失念)
ワインも既に追加してあるし(笑)、チーズも食べることにした。青かびのチーズ、特にロックフォールは、ちょっと洋梨みたいな返り香を感じて、それが好き。
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オレンジのムース いちじくのタルト ヴァニラアイスクリーム
オレンジのムースはやわやわとはかなげにとろけて、さわやかな香りだけを残す。すごく好み。いちじくのタルトは柔らかなフラン生地で作ってあるようで、これまたおいしい。こんなの、作ってみたい・・・。
最後はエスプレッソ。もちろんバゲットとおいしいバターもついている。
ゆっくりと食事を楽しんだ後は、腹ごなし(笑)に吉田山に登ることにした。山頂の茂庵を目指す。マダムUが、久しぶりに吉田辺りを歩けるのがとてもうれしいと言うのでわけを尋ねると、「あまりにも好きすぎて何にもできなかった人」との思い出があるのだと言う。切なくなるけれど、そういう話はいいな・・・。
神楽岡の方から、大文字山のすぐふもとを通って、てくてく登っていく。この辺りの人は送り火のときはすごく熱そう(笑)。それほど山が間近。吉田山は丘みたいな低い山だけれど、登っていくと景色がきれい。道沿いには古い家が立ち並ぶ。ちょっと京都じゃないみたいな感じもする。
さらに山を登ると、茂庵がある。昔はこのあたりに8つの茶室があったそう(今は2つ)。この建物は茶室ではなさそうだけれど、なんだったのだろう?
2階のカフェからの眺めがきれい。ほんのちょっと登っただけという感覚しかないけど、既に浄土寺辺りが標高が高いから。
一人で来て、ぼ~っと景色を見るのもいいだろうな。お薄を冷水で作ってもらって、さらにいろいろとおしゃべり。桑原武夫先生の椅子の話とか、トーマス・マンについての「え、そうだったの?!」みたいな話(聞いたらちょっと「日記」読んでみようかという気になった←不純)、まんがの話(「八雲立つ」と「シャカリキ!」二人でその昔、「シャカリキ!」にはまって、輪行などした仲ですから。しかしなぜに今ごろ映画化??)などなど。
帰りは吉田神社を通って降りることにする。こっちでいいのかな?という感じだったけれど、道無き道(?)を抜けたら、突然、菓祖神社の横に出た。節分のときはこの末社でお菓子とお茶の接待をしていて大賑わいだけれど、ふだんはこんなに静かなんだなあ・・・。
菓祖神はお菓子の神様、田道間守(たじまもり)。常世の国から、トキジクノカグノコノミ(橘の実)を持って帰った人(だった神?)。ここにはもう一柱祀られていて、林浄因。この人(だった神?)は、よく知らないけれど、たしか饅頭を伝えた人。菓祖神と言えば、田道間守と思っていたけれど、他にもおられるっていうことをその昔、初めてここに来たときに知った。菓子好きのわたしなので、もちろん吉田に来れば必ずお参り。
偶然にも今日は、今年、買ったはいいものの今日初めて着る、ケーキ柄のTシャツなんぞを着ている(笑)。うってつけの菓祖神デーだ。そんな柄の服をいったいどこで見つけて買うのだとマダムUにはあきれられたけど、まあ、ええやん。自分もあきれてるし(笑)。
ぱらぱらと突然のお天気雨。傘を出したらほんの1分足らずで上がってしまった。次は近くの山蔭神社へ。この末社には、料飲食の神、藤原山蔭を祀る。もともと吉田神社そのものも、藤原山蔭さんが建てた。ここまで来ながら、八角形の大元宮には行かず。ここに行けば、全国の神社にお参りしたことになるそうだけれども。
最後に本社にお参りして帰る。これがほんとの本末転倒。
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samedi 23 août 2008
地蔵盆の日に雨が降り、こんなに涼しいのは珍しいことだ。
6時半起床。今年はうちのお地蔵さんをおまつりするだけではなく、町内の役にも当たっており、地蔵盆×2で忙しい。
町内のお飾りは9時からとばかり思っていたが、念のため朝食を食べながらスケジュール表を確認すると、なんと8時からだった。10時半にはうちにあんじゅさんがお参りに来られるし、それまでにうちのお地蔵さんのお飾りを整え、お膳も作り終えなければならない。少し急いで身支度を整えて、さっそくお膳の準備に取り掛かる。
そうしているうちに8時前になり、町内のお飾りに行く。30分ほどの予想が、雨のため急遽会場が変更になるなど、難航し、終わったのは9時過ぎ。お赤飯を各戸に配る時間なのでうちの組の分を配ってから帰宅。
写真は、町内のお地蔵さん。道具類の箱書き(達筆)によれば、三具足は大正3年新調となっている。まだ祖父もこの町内に来てはいない頃だ。
帰宅して慌ててうちのお地蔵さんのお飾り。台や幕はすでに弟が出しておいてくれているので、軸を飾って、花や卍菓子を買いに行き、お供えの果物やお菓子をきれいに並べる。お膳の料理も最後の一品を作って、お供えする。お仏壇も同時にお参りしてもらうので、そちらの準備も。
こちらがうちのお地蔵さん。昨年表装をやり直したばかりなので、きれい。このお地蔵さんは、祖父が若い頃に、町内の没落したお金持ちのおばあさんに見込まれて託されたものらしい。
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オン カーカーカー ビサンマエイ ソワカ
上部にはこんな文字が書いてあるけれど、書いた人の名前や来歴を示す手がかりはない。元の持ち主のおばあさんが書いた仏画かも(笑)。
毎年夏になると、このブログの検索ワードに、お盆、しょらいさん、お膳、お供え、飾り、地蔵盆・・・などの言葉がとても多くなる。今までそういったことを担ってきた家族が亡くなったり、新盆を迎えることになったり、町内の役員になったり、さまざまな事情で役割を担うことになって、困っている人が多いのかな、と思う。わたしとて、正式なやり方などは知らなくて、祖母がやってきたことを単純にやっているだけだし、お膳も少々趣味が入っているが、ちょっとでも誰かの参考になれば幸いと思う。
白飯
おあげとみょうがの味噌汁
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野菜の揚げびたし
切干し大根のたいたん
胡瓜の中華風
10時半頃、あんじゅさんが来られてお参りしてもらう。毎年、お参りが済むとほっとする。何しろこの日は毎年朝から忙しいから(笑)。11時からは町内のお参りなので、あんじゅさんと共に移動。
数年前から外孫もOKにしたため、地蔵盆に参加する子どもの数は23人。近隣の町内でも特に数が多く、盛況。皆でよく遊び、年長の子になると配り物の手伝いなんかもしてくれる。これだけ数がそろえば、数珠回しも賑やかで楽しい。
この子たちもまた、楽しかった地蔵盆の記憶を持って大人になり、またここで、わたしたちの世代がそうであるように、次の世代の子どもたちのために世話役をしたりするのだろう。わたしも、もう何十年という単位で会っていない小学校時代の同級生に会って話をした。みんな立派な、子の親だ。
京都の子は、こうやって育つ。地蔵盆のような行事は、京都で生まれ育った人が持つ、文化資本なのかもしれない。文化資本という言葉は、ある意味身もふたもない言葉であるし、文脈によってはひどく下品に聞こえる言葉だとも思うので、適切な表現ではないかもしれないが。
お参りが終わった後は、子どもの昼食の配布など。家にとって返して昼食。薬局に父の薬を取りに行ったり、食事の後片付けをしてからまた町内へ。今日は休む間もなく家と町内の往復だ。子どもたちは、ストラックアウトやスーパーボールすくいに興じている様子。
すいかの切り分け、敬老のおやつの配布、メインイベントの子ども福引と行事は続く。福引は今も子どもたちの大きな楽しみであるようで、押すな押すなですごい熱気。
それが終わると家庭福引の世話、お下がりの配布に、最後の後片付け・・・と終わったのは6時過ぎ。なかなか楽しい地蔵盆だったなあ。町内会長や会計ではないのでね(笑)。
家に帰って、お地蔵さんにお水とお光を上げてから、夕食。お下がりでもらった紅白のお餅がまだとても柔らかかったので、かちかちにならないうちにつけ焼きにして食べる。
洗い物などのあとは、うちのお地蔵さんの掛け軸を外す。本当は23・24日と両日できればよいのだけれど、近年は23日のみのおまつりにしている。お下がりを持っていくべきところは、昔は何軒もあったけれど、今は一軒のみ。そこにお下がりを持って行く。後は幕を下ろしたりして、細かいお道具類は明日父が片付けると言うので(ようやく動いてみようという気になったようだ)今日はおしまい。
地蔵盆、コンプリート!!
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samedi 16 août 2008
京都では、16日の早朝、送りだんごをお供えしてから、おしょらいさんを送っていく。祖母が言っていたことには、朝遅くなってはいけないのだそうで、いつもすっかり送ってしまってから祖母は朝ごはんを食べていた。祖母の行くところ、どこにでもついて行くわたしももちろん一緒で、しょうがを乗せた胡瓜の古漬けの香りや、冷やごはんのお茶漬けや・・・、とここまで書いて、去年と同じようなことを書いていることに気付いて苦笑する。
「送っていくのが遅くなってはいけないのだと、いつも祖母は言っていた。なぜかは知らない。だから祖母はまず、おしょらいさんを近くの粟嶋堂に送って行ってから、朝食を食べていた。もちろんわたしもいっしょ。夏休みだったのでいつにも増して祖母に朝からくっついていたわたしは、そのとき祖母が朝ごはんに食べていた、しょうがをかけたきゅうりの古漬けの匂いと、毎年ほとんど同じような景色で繰り返された、16日の朝の様子を、今朝のことのように思い出せる。」
ともかくも、いつものように朝、粟島堂に行った。お盆の間のお供物は、花や槙、お菓子、野菜や果物、毎日のお膳の料理もすべて保管しておき、16日の朝にすべてまとめて、うちの近辺では粟島さんに納める。昔はお供物をすべて川に流していたのだそうだが、今やればそれは不法投棄なのでしてはいけないことになっている。またここでも迎えたときと同じようなお塔婆を書いて納める。帰りには花屋さんで、新しい仏花を買って帰る。
紀伊国、淡島より、粟島明神を勧請し、縁あって、宗徳寺の鎮守社、粟島神社としてこの地に祀られてきたのだが、明治の神仏分離により、粟島堂と名前を改めたという経緯があるため、小さな境内にはお稲荷さんの祠もあったりと、未だに神仏習合の名残りを色濃く残す。
またここは加太の淡島神社と同じく、人形供養の寺としても知られており、規模は小さいものの、淡島神社と同じように、何体もの人形が境内に並べられている。女人の一生を守護する神である。祖母の若い頃には、8のつく日に縁日があったと聞くが、定かではない。
夕方、仕事から帰って夕食を済ませ、船岡山へわざわざ送り火を見に行く。送り火が全部見える場所はほとんどないが、ここでは、大文字、妙法、船、左大文字が見える。鳥居は市内中心部から見るのは難しく、やはりここでも見えない。
子どもの頃は、近所の公団住宅の屋上に上がれば、送り火が見えた。今はぶっそうなので、どこのマンションやビルでも外部から人を入れたりしないし、入れたとしても周り建物の高層化で、ほとんど見ることはできないだろう。
送り火すらも、わざわざ、観光名所に行くみたいにしなければ拝むことができなくなってしまった。今年は土曜日で、人も多かったようで、押し合いへし合いして見ていると、送り火に付きものの、亡くなった人がまた帰っていってしまうのだ・・・というもの悲しさと、夏の終わりのうら寂しさも感じられない。
わたしは今でも必ずそうするが、人々が送り火を拝む姿を見るのも珍しくなった。「おじいさんが帰っていかはるえ・・」と祖母が言い、いっしょに手を合わせたのはそれほど遠い昔のことでもないはずなのに。
わたしたちの世代が、祖父母からかろうじて継承した思いなり習慣なりは、急速に消えていってしまっている。
送り火を、毎年繰り返される日常として見るということはもはや、かなわぬ贅沢になってしまったのだろうか。少し暗い気持ちになって帰ってきた。
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vendredi 15 août 2008
ガールズ・トークか、OBACHAN・トークか?しゃべれどもしゃべれども止まらないのが小豆とのトークなので、3時過ぎに寝て、7時半に起きる。すぐに近くのおまん屋さんで白むしを買って来て、おしょらいさんにお茶とお光をあげる。
その後、小豆と朝ごはん。せっかくなので先日トモちゃんからもらった、S・コヤマのコンフィチュールを開けてみた。パイナップルとタヒチアン・ヴァニラのコンフィチュール。この組み合わせはいい組み合わせだ。パイナップルにはマダガスカルのヴァニラよりタヒチのヴァニラの香りの方がよく合う。さらりとした、濃い目のコンポートのような感じのコンフィチュールで、香り高く、とてもおいしい。パンに付けるより、わたしはあまり食べないけれど、ヨーグルトに入れるとか、いっそのことそのままスプーンですくって食べるのがいいかも。
小豆チェックアウトの後は、現地集合にて、弟夫婦とお墓参り。お盆にお墓に行っても留守ちゃうん?という疑問は未だにぬぐえないが、ともかく行く。父が腰を悪くする前は、母の月命日には必ず行って、掃除とお参りをしていたのだが、最近では誰も行っていない。たぶん春のお彼岸以来か。おそらくは草がはびこっているだろうし、掃除も大変だろう。
はたこ家の宗派は、細かく言うなら浄土真宗誠照寺派なのだが、京都のお墓は本願寺派の、大谷本廟(通称・西大谷)にあり、母方の祖父と母が入っている。鳥辺野に広がる、広大な墓地だ。
先日までの雨の予報は大きくはずれ、かんかん照りの日。炎天下で草抜きをしていると、だらだらと汗が流れる。暑さにはとても強いので、わたしにとっては炎天下も悪くない。草はやはり茂っていたが、ある程度長く伸びていたためにかえって抜きやすかった。歯ブラシなども使って、細かく刻字のくぼみなども掃除する。
お花、お光、お線香、お供えにおけそくさんとペットボトルのお茶を上げて、お参りする。長いこと来られなくてごめんね。(留守かもしれんけど)。
滞在時間は基本、お線香が燃え尽きるまで、あるいはおろうそくが終わるまで。ほっとした気持ちで、西大谷を後にする。
帰りに、ハイアット・リージェンシーの、THE GLILLでお昼ごはん。今はやりのグルメバーガー、和牛のグリルハンバーガーを食べる。焼き加減を聞いてくれるので、レアにしてみた。既に精進落としてどうする?なのだが、まあいいでしょう。厳しさ無縁の浄土真宗だ(笑)。
お肉はいいの使ってます、といった感じの、赤身のあっさりしたパテで脂っこくはないのだけれど、いかんせん巨大。おいしいんだけど巨大。ハンバーガーはたぶん半分から4分の3とじゃがいもは半量ほどが適量かと・・。隣に弟がいるのでもったいないことにはならなかったのでよかった。
いっしょに帰宅し、天井裏から来週の地蔵盆のお飾り一式を下ろしてもらうなど、雑用をやってもらう。
その後、1時間半ほどのシエスタの後、父のところに行ったり、植木に水をやったりと、活動再開。
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mardi 12 août 2008
8日のこと。『西国三十三所―観音霊場の祈りと美』を見に、奈良国立博物館へ行ってきた。
西国三十三所の巡礼は、奈良時代に、長谷寺の開祖、得道上人によって始められ、その後、花山法皇によって中興されたとされる。今年はその花山法皇の一千年遠忌に当たり、各札所では9月より順次ご本尊が開帳される。それを受けて開催される展覧会が、今回の特別展だ。
2年前の夏、ご縁あって、一番札所である和歌山の青岸渡寺を訪ねたのを期に、いつかは始めたいと思っていた札所巡りをついに始めた。以来、休み休みで、ほんとにぼちぼちしか回れないのだけれど、じっくりと楽しみながら札所を巡っている。
どうして三十三ヶ所なのか。それは、観世音菩薩が三十三通りの姿を現し、衆生を救済するということに由来するのだそうだ。聖観音、千手観音、馬頭観音、准胝観音・・・。わたしも三十三身全部は知らないけれど。
いずれも貴重な秘仏や寺宝が出展されているが、今回一番わたしが魅了された観音様は、清水寺の奥院に安置されている、千手観音坐像。秘仏で、しかも寺外での公開は初めてらしい。札所の観音様は、秘仏が多いけれど、今回、至近距離でじっくり拝観して、秘仏の秘仏たる由縁が少しわかったような気がした。うまく言えないけれど、とにかく美しいのだ。おそろしく人を誘う。
千手観音の手には、衆生を救うのに必要な多種多様な道具が握られていて、ちょっとドラえもんのポケットみたいでおもしろいのだが、この千手観音の道具は特に精緻な細工で、惚れ惚れするようだ。左手に持つ髑髏が特に目をひいた。通常、これは持っていただろうか。剣、三鈷杵、筆、蓮、斧、何種類かの植物の一枝、瓶、など、一つ一つを眺めだすともう、止まらない。
フランス人の団体さんがやって来て、若い男性ガイドがすらすらと説明をしている。限られた時間で見学しないといけないのだろう。ピンポイントで回っている。ちょっとどんなものを見るのか興味を引かれたので見ていると、「え?そこか? え?それか?」というのがけっこうあっておもしろい。わたしたちが外国の文物を見るときにも言えることだが、異文化を見るのはとても難しいし、理解するなど、ほんとにできるのかどうかすらわからない。
どのような団体さんなのかはわからないが、彼らは毘沙門天がお気に入りのようだった。ここでは観音さんを見てほしかったな、と思ったが仕方ない(笑)。他には、参詣曼荼羅や、来迎図などの、(多くは雲で区切られたような)前方斜め上からの俯瞰(?)が、視点としてとても気になるようだった。
「参詣曼荼羅」も12点ほど出ていた。室町時代から安土桃山時代にかけて作成されたこれらの図は、寺内の様子を名所や人物を取り混ぜて楽しげに描かれ、勧進聖によって全国にもたらされ、人々を巡礼の旅に誘ったという。
細かく描かれた絵を見ていると、絵の中の世界に自分も入り込んでいくような気分になる。生き生きとした表情の小さな人々、花、橋、瀧、山、海。全面に配置された堂宇・・・。当時の人と同じように、わたしも魅了されているらしい。
さあ、次はどこの札所に行こうかなあ・・?
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jeudi 07 août 2008
仕事が終わってから、六道さんへ、おしょらいさんを迎えに行く。これは夏の、マスト中のマストな行事。もう十年以上、8日の朝に行くことを習慣としていたのだが、今年は大変に久しぶりに、夜行った。
「おしょらいさん」というのは、お盆にお迎えするご先祖の霊のことで、漢字ではたぶん「お精霊さん」と書くのだと思う。他の地方でどのように呼ぶのかは知らないが、京都では、「おしょらいさん」と呼んでいる。お盆の前、7日から10日の間に、京都の人はおしょらいさんを迎えに行く。その場所は市内に何ヶ所かあり、ここ、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)、通称「六道さん」もその一つ。
ここには、昼は朝廷に、夜は閻魔大王に仕えたという、小野 篁(おののたかむら)卿が、夜な夜な通って冥府通いをしたという、冥府の井戸があることはけっこう有名な話。しかし、寺の創建の経緯は定かではなく、どうやら平安京以前からあったようである。
写真の小野 篁像(江戸時代作)の隣には閻魔大王の像がある。この辺り一帯は、その昔、鳥辺野(とりべの)と呼ばれた葬送の地なれば、このような伝説が生まれてもおかしくはない。また、この寺のある町に隣接する町の町名は、轆轤町(ろくろちょう)と言い、一説にこれは「髑髏町」が変化したものとも。
お迎えには一定の手順がある。まず、境内で売っている槙を買う。これはうちの場合なぜか省略されていたが、おしょらいさんは槙に乗って家まで帰ってくるということなので、重要だったんじゃないかと思う(笑)。
次に、薄いへぎでできたような、水塔婆に故人の戒名などを書いてもらう。戒名の字を伝えるのはけっこう時間がかかるので、あらかじめ紙に書いて持っていけば便利。
おろうそくをあげる。長い取っ手のついた籠にお代を入れると、お兄さんが「大一丁~」とか「小一丁~」とか、元気よく後ろに声をかけ、後ろの人々が火のついたろうそくを立ててくれるという仕組み。
次は場を変えて、お線香を買い、その煙で水塔婆を清める。
そしていよいよ迎え鐘を撞く。いつもはさゝ木の前くらいまで伸びる長い行列なのだが、それに比べれば今日の行列は非常に短かかった。いつもは炎天下で30分以上待っている。順番が回ってきたら、ご~ん、ご~んと2回撞く。
その後で、上の写真の、お地蔵さんがたくさんおられるところに行って、水塔婆を並べて、置いてある槙を使って、塔婆に水をかける。これで無事、お迎えが完了。あらかじめきれいに掃除を済ませた家の仏壇にお迎えするのみだ。お供えをしたりするのは13日からとなる。
この寺には夕闇が似合うような気がする。この世とあの世の境目がはっきりしなくなる逢魔が時・・・。飾ってある大きな「六道図」も白日の下で見るよりも何やらおどろおどろしい。おばあさんが、小さな孫に、ここは極楽、こっちは地獄・・・と説明している。しつけを兼ねた、半ば脅し(笑)?それもまた懐かしい。当然のことながら、祖父が亡くなってから毎年欠かすことなく、ここには祖母と一緒に来たのだ。
京都には、まだまだ観光客に見せない顔がある。これもその一つだろう。
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jeudi 24 juillet 2008
今日は祇園祭の、還幸祭の日(古くは後祭りの日でもある)で、一週間御旅所におとどまりになっていた三基の御神輿が、各氏子地域を回って、八坂神社にお帰りになる。
今年も好日さんのご好意で、中御座の「みこし弁当」をありがたくいただいた。しかも暑い中、遠路はるばる、職場に届けてくださったのだ。
「みこし弁当」とは。しおりによると、
***祇園祭 中御座 みこし弁当 三若神輿会 御神輿渡御の砌り、供奉の役員並びに輿丁の昔ながらの食事です。疫病祓いと安産のまじないとして一般氏子の方々に大変喜ばれています。(この弁当は、精進潔斎して氏子の男衆のみで作っております。この弁当を御賞味いただき、今夏をお健やかにお過ごし下さいます様お祈り申し上げます。)***
こんなところで作っておられます。
そう、これは売っているものではなくて、本来は御神輿をかつぐ方々と八坂神社の氏子さんたちのもの。それをご縁あって、ありがたくちょうだいしているというわけだ。
ごはんにたくわん、梅干、ごまといういたってシンプルなお弁当。御神輿をかついで地域を回る途中の休憩時間に食べる食事。わたしは今日は遅番だったので、遅いお昼に、がっつりといただきました!御神輿かつぐ人と同じ分量食べました。あかんや~~ん(笑)!!同じくらいは動かねば!
いっしょにいただいたのが、御札、ちまき、御神稲。御神稲を煎じて飲めば、疾病等の下熱に大変効果があるそうだ。昨日の夜、咳が出て眠れなかったので、さっそく煎じて飲むことにしよう。
好日さん、本当にありがとうございました。
父と弟家族の分までいただいたので、トモちゃんに来てもらって持って帰ってもらう。
今日は土用の丑。何かと話題の鰻だけれど、やっぱり鰻食べたいなあ・・・と昨日話していたら、鮒元の鰻を持ってきてくれた。松原商店街の鮒元川魚店の鰻は数年来のお気に入り。身の柔らかさ、焼加減、たれの味と、どれもわたし好みでおいしいと思う。
夕ごはんに半分。鰻はひつまぶしか、白焼きをわさびと醤油で食べるのが好き。ひつまぶしは、細かいうなぎがごはんとよく混ざってなんともおいしいのよねぇ・・・。わさびや葱、きざみ海苔などの薬味を入れるのもまた一興。トモちゃんもわざわざありがとう。みこし弁当と鰻で風邪も治りそうです。
遅番の帰り、8時半前に四条大宮まで帰ってくると、きっと東御座の御神輿に出会うはず。おととしは知らずに出会ったけれど、今年は知ってる。交通規制の笛の音、太鼓の音、ほいっとほいっとの掛け声が聞こえる。しばらく待つと、南から御神輿がやって来て、わたしの目の前を通って、大宮通を上がって行った。四若さんの東御座にはスサノヲノミコトの奥さんの、クシイナダヒメノミコトがおわす。決まったところ、決まった日、決まった時間に神さんと会えるのはよい。
神仏にかかわることを大事に思ったり、一人でも行事食をやってみたり。わたしの中のその理由は多くが重なっていると思う。決まった日に神さんと会う。決まった日に決まったものを食べる。決まった日をこうして今年も迎えることができたということ。「無事」ということへの感謝も、その一つだ。
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jeudi 17 juillet 2008
父の夕食を監督し、点滴を1本見張ってから最終帰宅。今日は家と病院を何往復したことか(笑)。
夕食を食べてすぐに家を出る。目指すは大体9時頃に、四条通の御旅所に到着する、好日さん率いる中御座神輿。
昨年と同じく石段下でお迎えするつもりだったのだけれど、できなかったので、今年は御旅所のすぐ西側のロープのところで、ほいっとほいっとの掛け声を聞き、御神輿の到着から差し回し、神事、そして無事御旅所にお入りになるまでを間近で拝見。
稲荷祭のときと同様、自分のコンディションは悪いがもとより這ってでも行くつもり。ともあれ、今年も無事拝めたのだから、これも神仏の御加護があったものと思う。
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mercredi 16 avril 2008
今年、見たいと思った桜があった。その桜とは、「二尊院普賢象」。普賢象とはまったく別の系統の桜で、嵯峨の二尊院で古くから栽培されていた、珍しい桜だということだ。先日の休みに二尊院まで出かけてみたが、遅咲きのこの桜はまだ咲いておらず、本数もそうあるわけではないのだろう。どれがその木とは見分けられなかった。
調べるうちに、千本ゑんま堂にもこの木が1本あるとの情報を得て、ならば、と、今日は遅番だったので、出勤前に千本ゑんま堂へ行く。千本ゑんま堂、正しくは「引接寺(いんじょうじ)と言う。小さいが、夏のおしょらいさんを迎えるお寺としても、ゑんま堂狂言でも有名なお寺である。
毎月16日は閻魔大王の縁日らしく、ご本尊が拝める日らしい。
迫力の閻魔大王。これはすごい。しっかり拝んだあと、すぐ近くまで行ってまじまじと見ていると、住職がやってきて法要が始まるようだった。集まっていた人たちは主にご近所の信者さんらしかった。ちなみにここは真言宗。
閻魔大王の本地は地蔵菩薩であることを、張ってあった本地仏の表を見て思い出した。「本地」とかのことばがわかんない人は、「神仏習合」とか「本地垂迹説」といったキーワードで調べてみてね
普賢象
造幣局の、今年の桜にも選ばれた桜。突然変異種らしく、種ができない、花はあっても実のない桜。花は散るのではなくて、そのままの形で落ちるのだとか。
今日初めて知ったことであるが、ここ、千本ゑんま堂は「普賢象」の発祥の地だということだ。ここの普賢象を「ゑんまどうふげん」と呼び、室町時代からあると言う。
ではなぜ、この桜を普賢象と呼ぶのか?
普賢菩薩の図像を見れば、この菩薩は必ず白い象に乗っている。「普賢象」とはこの象のこと。神仏と動物の決まった組み合わせというのはよくあって、他には、文殊菩薩と獅子、孔雀明王と孔雀などというのがある。
重なった花弁の中心から長く伸びる、葉化した雌しべが、象の鼻や牙に似ていることからこの名がついた。非常に古い品種で、室町時代からこの名で呼ばれていたのだそう。
二尊院普賢象
中心部のピンクの色が濃い、菊咲きの桜。まだもうちょっと開き切っていない感じ。確かに、普賢象とは雰囲気の違う桜だ。珍しい桜だそうで、ここと、二尊院と、大阪の造幣局にもあるらしい。
風かよふ寝覚めの袖の花の香にかをるまくらの春の夜の夢。
八重はそろそろ花の盛りですね。
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いろいろな種類があって楽しいのが八重の桜。造幣局に行けば、たくさんの種類の桜がいっぺんに見られるけれど、京都のそこここにあるさまざまな桜を一つ一つ見に行くのもおもしろい。
ゑんま堂から歩いて、雨宝院へ。去年と同じく、御衣黄(ぎょいこう)を見に・・・。この小さなお寺は、西陣聖天とも呼ばれ、大聖歓喜天を祀る。
歓喜桜に、観音桜、花の盛りには狭い境内は桜の花で埋まるよう・・・。
御衣黄
緑の桜。よく見ると花びらの真ん中に濃いピンクの筋がある。初めて見たのは造幣局でだった。なんとなく目立たないのだけれど、好きな桜の一つ。
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lundi 14 avril 2008
お昼を過ぎる頃には厚い雲の隙間から、明るい春の日が射し、晴れて、絶好の和歌山日和となった。和歌山は、太陽の光にきらきらと輝いている明るいイメージ。だからこんな日は和歌山日和(笑)。出かける前は、根来寺に行こうかなと思っていたのを急遽変更。やっぱり、加太へ行こう!
加太という土地の名を、そこで結婚式を挙げた友人から初めて聞いたのはもう15年近くも前のこと。それ以来、何人もの人が、どういうわけかわたしに加太の話をする。その人たちがお互いに知り合い同士なわけでもないのに。最近では読んでいた酒井順子さんの本にも加太の名が・・・(笑)。そんなわけで、ずっと気になっていたのだけれど、どんなところなのだろうと想像するばかりで行ったことのなかった土地。暖かくなったら、一度行ってみようと思っていた。和歌山日和を待っていたのだ(笑)。
和歌山まで戻って、井出商店(有名店らしい)という店で、最近メジャーな和歌山ラーメンとめはりずしで遅い昼食。バスで、南海の和歌山市駅まで行って、さらに南海加太線に乗り換えて20分少々。これものんびりと町の中を走る電車だ。加太は終点。海がきれいだと聞く。途中でちょっとだけ海が見えたけれど、すぐに隠れて見えなくなってしまって、駅の周辺を見ただけでは、海の近くだということはあまりわからない。観光案内所でマップをもらって、淡島神社まで歩いてみることにする。
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しばらく歩くと海が見えた。果たして加太は、漁港であった。停留する漁船、友ヶ島へ渡る連絡船、風に揺れるわかめに、潮の香り。和歌山市内なのに、なんだか遠くに来たんだなあ、という感じがして、そんな気分が、まさに旅。京都市内に住む人にとって、海は日常の風景ではないから、それだけでも旅の気分がするものなのだ。
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陽光きらめく加太の海は穏やかでとてもきれい。想像していたのはもっと断崖絶壁(なんで?)の海だったので(笑)、やさしげな海の風景にちょっとびっくり。
いいなあ。海ってこの前はいつ見たっけ?春の海ひねもすのたりのたりかな。ゆったりした気分になるみたい。
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3月3日の雛流しで有名な淡島神社。うちの近所の粟島堂も、こちらとつながりがあって、やはり女人守護と人形供養の寺となっている。
粟島堂の駒札によれば、
「寺伝によれば、応永年間(1349~1428)南慶和尚が紀伊国(和歌山県)淡嶋から淡嶋明神を勧請して上洛する際。当地あたりで急に御神体が重くなったので神意としてここに祀ったのが起こりといわれている。以来。宗徳寺の鎮守社。粟島神社として祀られてきたが、明治時代の神仏分離により粟島堂と改められた。」
粟島堂は子どもの頃から馴染んだお寺だし、そういうゆかりのあるところにお参りできたのは本当によかった。
さすがは人形供養の神社。そう広くはない境内のそこここに、人形がびっしりと並んでいる。こうして年に一回の供養の日を待っているのだろうか。わたしも。祖母に2歳のときに買ってもらった赤ちゃん人形を今も持っている。ぼろぼろになってしまっているのに未だに手放せないでいる。人形は、人の思いの籠るもの。形代だからね。そうそう捨てたりできるものではない。
初めて訪ねた加太は、こんなところでした。
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ちちははの 恵みも深き 粉河寺 ほとけのちかひ たのもしの身や
春の和歌山へ、西国三十三ヶ所札所巡りの旅。1番・青岸渡寺、2番・紀三井寺、そしてこの3番・粉河寺で、和歌山の札所はすべて回ったことになる。
8時36分京都発のオーシャンアローに乗って一路和歌山へ。特急に乗ると和歌山は近い(注・南紀に行くのでなければ)。和歌山から和歌山線に乗り換えてさらに30分ほど。二両編成の電車は家と畑の間をのんびりと走る各駅停車。整理券を取る方式のワンマンカーのJRの電車は初めて見たし、初めて乗った。こんなローカル線にのんびりと揺られていると、女テツになったような気分(笑)。
和歌山らしく、沿線の桃の林では、かわいらしい桃の花が濃いピンクの花をつけている。粉河に着いて南の山を見れば、山の中腹が桜の花で白く見える。外山の霞立たずもあらなむ・・・。いいなあ、こういう春の風景。
粉河寺は、鎌倉時代には七堂伽藍が立ち並ぶ偉容を誇ったが、豊臣秀吉の紀州攻めで伽藍や寺宝の多くが消失。そのときにご本尊の千手千眼観音菩薩も消失し、今は頭部のみが残っているのだそう。でもそれは永遠の秘仏だそうで、決してご開帳されることはない。
300円の志納金を払えば、内陣を拝観できるのだが、これはお金を払っても見ておくべき。とにかく間近で仏像などが見られるのがすごい。何もかもが目の前に、手に取って見られるところにある。ちょっと京都のお寺などでは考えられないことだ。法具が大好きなので、まじまじと近くで見る。
粉河寺と言えば、国宝の「粉河寺縁起絵巻」!ぜひ見なければ、と思っていたら、なんとこれは、京都国立博物館に寄託中。←よく調べておけよ~(笑)。
お参りを済ませ、御朱印をいただいた後は、のんびりと境内を散策する。着いたときには札所ツアーの団体さんがいたのだが、彼らが帰った後は広い境内にほとんど人はなく、非常に静か。名残の桜が、風が吹くたびはらはらと空に舞う。時折雨のぱらついていた曇天も、正午過ぎからは急速に晴れて、雲間から明るい春の日も射してきた。
京都のお寺を見慣れているため、他の地方のお寺に行くと、ちょっと雰囲気が違うことをよく感じる。たぶんそれは建築様式であったり、建物の造りであったり、東北などに行くと顕著であるが、仏像の持つ雰囲気であったり、いろいろ。
この写真は、桃山時代に造られたという、3種類の大きな紀州石を配した枯山水庭園。見ればソテツの木が植えられていて、こういったところも南国らしく、京都とは違う雰囲気を醸し出していると思う。
参道の脇には、お寺の名前の由来となった粉川(長屋川)の流れ。
ゆったりと、静かな時間が流れる。
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dimanche 06 avril 2008
一時間に一本のバスに乗り、また灰方まで戻って乗り換え、今度は大原野神社へ向かう。
春日大社から分霊した、洛西の古社である。拝殿は美しい朱赤に塗られ、やはり春日大社とよく似ている。狛犬も鹿(狛鹿?)、御手洗の上に彫られているのも鹿。
思ったほど境内に桜はなかったが、それでもそこここできれいな花を咲かせている。「千眼桜」はまだつぼみ。背の低い枝垂れ桜で、咲くとさぞかし美しいだろうと思わせた。
「瀬和井(せがい)」
清和天皇の産湯の清水と言われている名水。多くの歌に詠まれた名泉だったらしいが、今はびみょ~、な雰囲気(笑)。
大原野神社の参道から勝持寺へ抜ける近道があったのでそこを通ってみる。竹林を抜け、整備されたゆるやかな坂道を登って行くと、行く手に桜が見えてくる。
通称「花の寺」とも言われる、西行ゆかりの寺、勝持寺。鳥羽天皇の北面の武士、佐藤義清(さとうのりきよ)が、この寺で出家し、西行と名を改め、庵を結んで一本の桜を植えたことから、その通称で呼ばれるようになったという。
約100本あるという境内の桜は満開で、「花の寺」の名に負けない見事な花景色。染井吉野だけではなく、何種類かあって、淡い桜色と、紅しだれの濃い桃色が交錯する様子も美しい。
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名桜、「西行桜」。
背が高く、複雑な細い枝ぶりをした見事なしだれ桜で、下から見上げると、花のシャワーのよう・・・。午後遅い時間の、弱まりつつある光の下で見るとさらに柔らかな陰影が増して、しみじみと美しい。
見る位置を変えながら、何度も何度も桜を見上げ、長い時を花のもとで過ごした。
願はくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 西行
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野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 よし峯よりも 晴るる夕立
春の訪れと共に、西国三十三ケ所札所巡り復活!
洛西バスターミナルからバスに乗り、灰方で降りて、乗り換えのバスを待つこと30分。乗ってしまえば、険しく細い坂道を登って、5分ちょっとで善峯寺のかなり近くまで行けた。このお寺に来るのは二回目。でもそのときはまだ札所巡りをしていなかったので、御朱印をもらっていないのだ。
市内を、また、晴れた日には大阪までもが一望できるという高い山の上に建つお寺。札所は多くの場合、行くのに不便な険しい山の中にあるが、考えればそれは当たり前のことで、俗世間から距離を置くためにわざわざそうしているのだ。
登って、降りて、回遊する庭園にはいくつものビューポイントがある。よく晴れてはいるが、春なので薄く霞がかかったような感じの眺めだ。
ご本尊は、千手観世音菩薩。本堂でお参りして(本当はちゃんと観音経が納経できればよいのだけれど)、無事、御朱印ゲット!!
この御朱印は、書く人によって好みはあるけれども、どの人が書いてもやはり達筆。各札所に、老若男女書き手はおられるようだが、どのような方々なのだろうか。
善峯寺と言えば、この、天然記念物の「遊龍松」。なぜ天然記念物なのか。左の写真のどれが松なのか。正解は、画面の左端から右端まで水平にまっすぐ伸びているのが松。枝が長く長く、横に伸びて、松の枝をくぐって道があったりする。なんとも不思議な形が龍に似ているというので、遊龍松と呼ばれる。樹齢は約600年。以前はもっと長く、54mあったのだそうだが、平成6年に松くい虫にやられて15mほど切られたのだとか。
また、ここは桂昌院ゆかりのお寺。桂昌院というのは、徳川5代将軍綱吉の生母で、元は京の八百屋の娘なのだとか。名前は「お玉」。だから「玉の輿」??
「桂昌院お手植えの枝垂れ桜」
今を春べと咲くやこの花・・・。
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mardi 12 février 2008
今日は初午。和銅4年の初午の日に、稲荷の神様が稲荷山に鎮座ましました日で、 お稲荷さんの大きな祭の日である。昨年同様、今年もお参りに行く。
昨日とはうって変わった冷たい雨の降る悪天候だったが、午前中に出かけた。雨なのでお山はどうかなあ・・と思っていたのだが、ガッツだぜ~パワフルだましい~♪と、お山もしてきた。
上の写真は、初午のお供えものの山。色とりどりの野菜や果物、魚、お酒、お菓子、中には食べ物でないものまでがきれいにうず高く積まれている。さすがに境内に人は多く、ご祈祷も既に順番待ちの列が長くなっている。お参りを済ませ、奥宮にも行く。おみくじを引けば、13番・大吉で(初詣のときにひいたのは「凶後吉」だったのでよく当たっている。既に吉になったようだ)、重軽石は軽かった。すばらしい!よい神意が告げられたときにこそ、気をひきしめて生活するべきことである。
さてお山へ・・・。熊鷹社はいつ来てもろうそくの大きな炎が何本もゆらめき、神秘的な雰囲気がただよっており、並々ならぬ気配のようなものを感じるのだが、ここはいったいどのような神様が坐すのだろう。よほど神威が強いのか、今日も神前に座って一心不乱に祝詞(?)を唱える男性あり。
四つ辻からの眺め。どんよりと雲が垂れ込め、市街は雨で暗くかすんでいる。
この四つ辻にあるのが、荒神峰の田中社の御神蹟。わたしの住む地域はすべてこの田中社の氏子であるので、まずここをお参りしてから、一の峰、二の峰、三の峰へと、ぐるっと一巡する。
一の峰は、上ノ社の御神蹟。ここが稲荷山の頂上(239m)に当たる。次は二の峰、中ノ社の御神蹟。次は間の峰、荷田社の御神蹟。そして三の峰、下ノ社の御神蹟。
すべての峰でお参り。稲荷の神様がこの地に鎮座ましまし、永きに渡って坐すこと、そして今年もこの初午の日に、ここまで自分の足で山を登って来られるほどの、体力、気力や元気といろんな意味での余裕があったことについて感謝を申し述べる。神仏にお参りする第一義は、決して祈願」ではない。間違えちゃいけない。まずあるのは、今、無事あることへの感謝だ。神仏の前は、他者によって支えられている自分を認識し、自らを戒める場でもあるとわたしは思う。
ここで疑問。この五つの御神蹟の内、荷田社は少し系統が違う(?)と思うのだけれど、稲荷の神様五柱の内、四大神(しのおおかみ)の御神蹟はどこにあるのだろう。もっと下の方に、今は殿社はなく、周辺一体を祀る形であるらしいのだが、また今回もわからなかった。
三の峰のお参りを済ますと、すぐにまた最初の四つ辻のところに、ぽん!と出る。コンプリート!
産湯を経由して本社に戻る方の道を行く。途中、毎日新聞社のお社である「毎日稲荷」があって、今年もまた新聞社の社員さんが大勢いて、その場の焚き火で炒ったごまめと、御神酒を配っていた。お隣は「広告稲荷」。うながされるまま、両社にお参り。お山をした後でのどが渇いていたので、つい御神酒を全部飲んだ。ほぼイッキ飲み・・・。
途中、「足腰不動尊」が目に止まったので、腰を悪くしている父のためにお参りしてからケータイストラップのような、足腰のお守りを受ける。続いて荒木神社にもお参り。まるでお稲荷さんの末社のように並ぶ、新興宗教の施設には決して立ち入らず、本社に戻ってあいさつして帰る。
さて。初午の日に食べるものは何でしょう?
それは畑菜の辛子和えです。香ばしく焼いて刻んだおあげも加えよう。お稲荷さんのお祭りだからね。器は祖母が結婚したときに買ったという、ざっと75年くらい前のもの。とても丈夫なのでまだ現役(笑)。畑菜もこの器も、子どもの頃からのわたしのお気に入り。
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dimanche 03 février 2008
「月も朧に白魚の、篝もかすむ春の空。冷たい風もほろ酔ひに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽。塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹の滴(しずく)か濡れ手で泡。思ひがけなく手に入る百両。
ほんに今夜は節分(としこし)か。西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし。豆沢山に一文の、銭と違つた金包み。こいつァ春から、縁起がいいわへ。」~三人吉三廓初買 by河竹黙阿弥
声に出して読んでこそ真価がわかる河竹黙阿弥。気持ちいい~(笑)。いいゼ、黙阿弥!
早いもので、もう節分。梅はまだかと、嫌いな冬にも先が見えてきてちょっとほっとする時分である。
節分に壬生さん(壬生寺)に、古い御札類と豆と炮烙(ほうらく)を納めに行くのはわが家のマストな行事。朝、神さんと仏さんに豆を上げて、壬生さんに持っていく豆を数える。今年の満年齢+1個。祖母の分98個を数えたら、ちょうど豆がなくなった。
昼食後、散歩がてら歩いて行く。日曜日ともあって、かなりの人出。最近は観光客の姿もちらほら。まず古い御札を納めてから炮烙を書く。いつも上手に筆を使えなくて、小学生の習字みたいになってしまう。書けたら奉納。お線香を上げて、煙を体に擦り付ける。そしてお参り。お賽銭と持ってきた豆をお賽銭箱に入れる。真言、「オンカカカ ビサンマエイ ソワカ」と書いてあるので唱える。べつに「南無地蔵菩薩」でもいいと思う。
これが炮烙。裏に、○○家 家内安全(などの願い事) 家族構成(性別と年齢)、たとえば、「女 98歳」とかを炮烙の店に張ってある便利な表を見て墨で記入する。これが壬生狂言の「炮烙割り」で派手に割られる。
水掛け地蔵、弁財天など、一通りお参りしておしまい。いつものことながら、マストな行事を終えると、大げさだけれど、肩の荷を降ろした気分になるものだ。やれやれと思ってまた歩いて帰る。
盧山寺の鬼の法楽を見たことがなかったので、今年は行ってみようかと思っていたが、天候が悪いので断念。壬生さんは、マストなので雨が降ろうが槍が降ろうが行かなくてはならないが、蘆山寺や吉田は言わばオプションというかむしろ観光であるので行かなくても特に問題はなし。もちろん、こちらがマストなおうちもたくさんあることは言うまでもない。
家に着いて玄関をあけたその瞬間、あああ~~~!!!新しい御札を受けてくるのを忘れたあ~~!そのまま今度は自転車で壬生さんへ逆戻り。止んでいた雨もまたぽつぽつ降り出して、ああ、なんてこったい。マストな行事はかくも厳しい。
御札を無事受けてきました。最近どうもぼけているような気がするので心配だ。
夕方は、横浜からのお客様に会う。証券ビルのイノダコーヒにて。わたしのブログを読んでいてくださるそうで、お話がはずんで楽しかった。なんとその方も、わたしと同じ時間帯に、壬生さんに行っていたということがわかっておもしろかった。厚かましくもおみやげまでいただいてしまった。ありがとうございました。引き続き楽しい京都滞在を・・・。
夕食はひさご寿司の巻き寿司。かんぴょう、厚焼き、しいたけ、ほぐした焼き穴子、おこうこ。シンプルな具の巻き寿司はおいしいと思う。今年の恵方、南南東に向かって丸かぶり。子どもの頃はこんなことしなかったけど、こんなふうに、忘れられていたらしい大昔の習慣が復活することもあるのだからおもしろいものだ。
そしてお約束のいわし。子どもの頃はこのいわしを食べるのが苦行だったが、食べないと怒られるのでいやいや食べた。もともと好きではない上に、この骨の多さが大嫌いなので、ぜんぜんうれしくない。でも食べねばならない。マストな行事は、かくも厳しい。
食後は焙じ茶といっしょに、年の数だけ豆を食べる。わたしのお気に入りは、柳桜園の「光悦」もしくはその上の。雁がねの焙じ茶でとても香りがよく、ごはんの後に飲むとほっこりする。
豆まきは、もうしなくなった。だんだんと行事も簡略化されてしまって寂しいような気がするけれど。余談だが、我が後輩の出身地秋田県では、節分の豆は炒り大豆ではなく殻付きの落花生。狭い日本だけど習慣もさまざまだ。
明日は立春。早く暖かくならないかなあ・・・。
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mercredi 09 janvier 2008
今日は1月とは思えないほどの暖かで穏やかな一日。お散歩をかねて、ゑびすさんにお参りに出掛けた。今日はまだ宵ゑびすで、人もそんなに多くはない。今宮とちがって、京都のゑびす神社はほんとに狭いから、混むと大変。笹を渡すときにくるくる舞われるお神楽も、今日は人が少ないので、巫女さんも少なくて、回り方がどうも足りないなあ。しかも低速(笑)。
笹につけるお飾りを見て回るのは今でもわくわくする。にぎやかで、めでたげで、小さくてかわいい。子どもの頃、これが欲しくて欲しくて(笑)。お商売をしているわけでもないし、海に関わる仕事をしているわけでもないので、特にゑびすさんの信仰はないのだけれど、ここ数年は毎年いずれかの日にはお参りに来ているかな。
決まった日のお参りや決まった日に食べるものをわたしはできる限りスルーしない。一年間、なんとか無事にやってきて、またこの日がめぐり、この拝殿の前に立ち、「ありがとうございます」と言うことができた。同じように、去年と同じ食べ物を味わうことができた、ということの有り難さを思う。
いつもと同じ、何も起こらない、平凡、凡庸、単調な、マンネリetc・・・。否定的に語られることの多い言葉たち。でも考えてみれば、一日一日を無事、何事もなく過ごせたということはすごいことなのだ。そんな一日一日を大切にするということが、「生きる」ということではないのかな。
遅いお昼は、たこ甚のたこ焼き。お参りの前だけど食べてしまった。辛ソースにしてみたらけっこう辛かった~。表面がかりっと香ばしくて、蛸の味もよくって、ほんとにここのたこ焼っておいしいなあ・・・。
クープのKさんから前に教えていただいたお店。すっかり気に入ってます。多謝!
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mercredi 28 novembre 2007
忙しくはあっても、やはりその季節には、一つ二つなりとももみじは見ておきたいもの。夕には鳥辺野にたなびく煙、蓮台野の露にならぬとも限らず、この刹那刹那を大切にしないのであれば、一体「いつ」を大切にするというのか。
夜もみじ。天龍寺の塔頭、宝厳院の「獅子吼の庭」のもみじ葉。季節も深まったというのに、まだところどころ青もみじなのが不思議。
朝もみじ。東福寺のもみじ葉。名立たる名所も朝は人もまだ少なく、ゆっくりもみじが楽しめる。禅寺はいい。でも禅味を味わうなら、この季節はだめ。と、「味わう」ものではないのかも。お寺に行くとどうにも邪な心が・・・(笑)。
通天橋あたりはもみじの海。錦秋という言葉がぴったりだ。
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mardi 18 septembre 2007
お休みの最後を飾るは・・・ってたまたまこの日しか予約が取れなかったということなのだけれど、マダムUと共に、さゝ木のお昼ごはん。お昼は6年ぶりくらい?夜は当然すばらしいとして、お昼にはお昼だけしかない楽しみがある。
お店に着いたのは12時。でも驚いたことにまだ一組しかカウンターにはいらっしゃらない。今日はスタートが遅くなるみたい。
外は今日も暑かったので、冷酒でスタート。涼しげな竹の器に入った、富山の「立山」。何回か飲んでいるけれど、飲みやすくおいしいお酒だと思う。
前菜 くりきんとん 衣かつぎ 根芋と菊の胡麻和え 秋刀魚の小袖寿司 鱧のフリット 銀杏
紫の萩の花が添えられて、お皿の上には初秋の風が吹いているよう。菊の花は、黄色いものと、紫色をした山形の「もってのほか」。なぜ「もってのほか」と言うか。天皇家の紋が菊だからだそう。思わず二人、「不敬罪だな・・・」と。菊の花の料理は好き。根芋というのは、ずいきの根っこの芋の芯の部分だそうだ。
揚げ湯葉と炙った鱧のお椀 薄切りの甘酢みょうが 吸い口は青柚子の皮
お造り 広島の鱸 岡山の蛸 九州のよこわ 黄菊 大葉、わさびなど
鱸の身がとてもきれい。夏の名残かなあ・・・。
かますの焼き物 山芋 エリンギ 伏見唐辛子 大根おろし
冬瓜の冷製すり流し
しょうががよく効いていてさわやか。浮き実はみじん切りのきゅうり。お湯のみみたいな器に入って、一瞬お茶かと(笑)。
蓮餅 三つ葉あん わさび
蓮根の旬は年に二回あるそう。春の蓮根はでんぷんが少なく、しゃきしゃき。秋の蓮根はたっぷりでんぷんを蓄えて、とてもおいしいのだそう。確かに・・・。一人用の土鍋でぐつぐつ言う三つ葉あんに、ほくほく、もっちりした、香ばしい蓮餅。
湯葉ちりめんの混ぜご飯 きゅうりと茄子の古漬け
先ほど、お昼だけしかない楽しみ、と書いたのがこれ!デザート御殿盛り!
さゝ木に行きたいと思ったきっかけが、6、7年前に「家庭画報」で紹介されていたこのデザートだった。「御殿盛り」と言う名で紹介してあったと記憶しているから、たぶんそれでよいのだろう。記憶が違ってたらごめんなさい。
その当時は今ほど予約が取れないこともなかったので、すぐに夜に行ってみたけれど、が~ん。夜は御殿盛りはなかったのねぇ・・・。傷心のわたしは二ヵ月後にリヴェンジを果たした(笑)。今でも、夜にも御殿盛りがあればいいのに・・・と思うのだ(笑)。並々ならぬ思い入れに自分でもかなりあきれるな(笑)。でも、ヘタなお菓子屋やフランス料理屋よりもずっとおいしいのだから・・・。さすがさゝ木!
フルーツ(キウイ・オレンジ・パイナップル)のカルピスゼリーがけ 黒胡麻のプリン かぼちゃのチーズケーキ スイートポテト わらびもち
よろしければ少しづつ全部どうぞと・・・。はい!そういう心づもりでまかり越してございます。
とろとろのカルピスゼリーは懐かしい~郷愁の味がするし、スイートポテトはほんのり温かくふわっとバターとお酒が香るし、黒胡麻のプリンはまったりミルキィ。
かぼちゃのチーズケーキはニューヨーク風で予想外にしっかり濃厚でとても好み。そして特筆すべきはわらび餅で、口に入れたときのとろ~っと舌にまとわりつくような食感は比類なし。溶けた後に残るのは豊かな黒糖の香り・・・。ああ、詩でも一編書けそうだ(笑)。
すっかり幸せな気分になり、建仁寺に散歩に行く。デジカメも持っているし、観光だ(笑)。
ここはほんとにいい。いつも愚にもつかない話、ヴェルサイユと禅寺の塔頭なら絶対わたしは禅寺に住む!と言ってしまうのだが、今日も言ってしまった。ほんとに愚にもつかないな。それだけ禅寺の寺内は魅力的だということだ。
500円払えば、開放感あふれる空間で、何時間でもぼ~っとしたり本を読んだり、ほんとはだめかもしれないけれどごろごろしたりだってできるのだ。しばし座って、風神雷神のレプリカの話(ちなみに本物は京博に寄託されています。今月30日までなら、京博の常設展で見られるはず)とか、四つ頭の茶会の話とかをする。昔から見たい知りたいと思っていたくせに、今もって放置してあることが多すぎるなと思う。
小泉淳作氏の描いた「双龍図」。
禅寺の法堂の天井に、龍が描かれるようになったのはそう古いことではなく、桃山時代頃からだそう。また、二匹の龍が描かれることはないそうで、「双龍」なのはここ、建仁寺の法堂のみ。
漆黒に、ほのかな光を含んで浮かび上がる螺鈿のような美しさ。
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dimanche 19 août 2007
地蔵盆は、8月24日の地蔵菩薩の縁日にちなんだ行事であるから、本来は23日と24日の両日にわたって行われるのだけれど、最近では世話役の大人の都合で、直前の土・日に行われることも多い。また子どもの数の減少などによって、規模が縮小され、1日しかやらないところもある。子どもの健やかな成長を願って行われる、子どものためのお祭りだ。
京都で生まれ育った人ならば、子どもの頃の夏の思い出に地蔵盆がたぶん入っているはず。京都を中心に、滋賀県、北摂地域、遠くは北陸、長野にもあるという。京都市内にはざっと5000体ものお地蔵さんがあるそうだ。たいていは各町内に一体あるのだから、地蔵盆というのは全市一斉行事のようなものだ。詳しい記録は、伝統行事保存に尽力されている、好日さんのところで。
町内のお地蔵さんばかりではなく、うちのように個人でお地蔵さんの掛け軸を持つ家というのもある。うちの町内でもかつては三軒、個人所蔵のお地蔵さんを持つ家があったが、事情で一軒(確か、軸ではなく石仏だった)は、手放され、今ではうちともう一軒になった。そんな家でも毎年地蔵盆には掛け軸を飾り、お寺さんに来てもらって、地蔵盆を行うのだ。うちも、町内の地蔵盆に合わせて、23日を待たずにお祭りをする。
これはうちのお地蔵さん。去年表装を新しくしてもらった。住職はしていなかったが、在家の僧(?)であった祖父が若い頃、同じ町内の、既にその頃には没落していた元お金持ちのお婆さんから、どうしても、ということで預かったものらしい。由来はもはや誰にもわからないが、江戸時代のもののようだ。写真ではわからないけれど、柔和なとてもよいお顔をされている。一年に一回、ご尊顔を拝すると、なんだかうれしくなってしまうのだ。
お飾りはこんな感じで。蓮の花入りのお花、紅白の小餅、紅白の卍型のお菓子や、いろいろな果物。子どもが喜ぶお菓子やジュースなどがお供えの定番。このお供えは、後で、お供えをしてくださった方々に配る。天井には、子どもの名前を書いて奉納された提灯がかけられる。
数珠回し用の長い数珠。お経を読んでもらっている間、皆で輪になって、この長いお数珠を回す。大きな珠(仏さんを表す)が来たら、頭に押し頂く。
今年は久しぶりにうちでも数珠回しを復活させてみた。
来てもらうお寺さんは、うちの町内及び、うちでは「あんじゅさん」と呼ぶ。たぶん「庵主さん」の意ではないかと思われるが、庵というよりもずっと大きい、浄土宗の尼寺の尼さんが来てくださる。たぶん「お寺さん」の言い方は、「おじゅっさん」とか、「おっさん」とか、お町内によってさまざまなのだろうと思う。
もちろん、お地蔵さんのお膳も作る。今日は7時10分に起きて乾物戻しから初めて、お飾りと同時進行。
白飯
美しく丸く盛るのにはちょっとしたテクがいる。
蓬麩の白味噌汁 溶き芥子
切干大根のたいたん おあげ 干し椎茸 にんじん
揚げ出し豆腐 ねぎ しょうが
三度豆の胡麻よごし
弟夫婦も遊びに来ていたので、お昼は皆でお地蔵さんと同じものをいただく。これも一種の直会(なおらい)なのかもしれない。
こちらはうちのお町内のお地蔵さん。やはり掛け軸で、江戸時代のものらしい。こういう掛け軸のお地蔵さんではなくて、石のお地蔵さんの場合は、お体を洗って、お化粧をして、よだれかけをかけて・・・といった準備をするらしいけれど、わたしはする機会がなかったのでやり方などを知らない。
妹・トモちゃんがインド料理が好きだと言うので、夜はサーガルでカレーなどをテイクアウト。ナンに、タンドリーチキンに、カレーが4種類(サーガルバターチキン、マトンドピアザ、ベイガン(茄子)、プラウンチリー)。
ベルギービール、ヒューガールテン・グランクリュや、リンデマン・クリークなどと共に。
皆でにぎやかにしてこそ地蔵盆だしね。近い将来、甥っ子や姪っ子が生まれたら、ちょうちんも作って・・・などと考えて、楽しみ♪
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jeudi 16 août 2007
今日は最終日。送りだんごをお供えして、朝、できるだけ早くにおしょらいさんを送っていく。
送っていくのが遅くなってはいけないのだと、いつも祖母は言っていた。なぜかは知らない。だから祖母はまず、おしょらいさんを近くの粟嶋堂に送って行ってから、朝食を食べていた。もちろんわたしもいっしょ。夏休みだったのでいつにも増して祖母に朝からくっついていたわたしは、そのとき祖母が朝ごはんに食べていた、しょうがをかけたきゅうりの古漬けの匂いと、毎年ほとんど同じような景色で繰り返された、16日の朝の様子を、今朝のことのように思い出せる。
もう、家に糠床はない。薄く切っておろししょうがとしょうゆをかけたきゅうりの古漬けは今もわたしの好物であるのに、それももう失われた味になってしまった。
6時20分に起き、送りだんごを買いに行って、最後のお光を上げ、おしょらいさんにあいさつをする。朝食を食べてから、お花や槙も含めて、お盆のお供えをすべて下げて、ひとまとめにして粟嶋堂に急ぐ。
粟嶋堂では、お供物を納め、六道さんでお迎えしたときと同じように塔婆を書いてもらって納めるが、ここでは水回向はしない。お線香を上げて、仏さんを拝んでおしまい。送るときの方がシンプルだ。帰りに花屋さんで、新しいお仏花を買って帰る。
昔はお供物を本当に川に流していたらしい。今でも大量のお供物が納められているというのに、きっとあれ以上のものを流したなら、16日の堀川はごみ捨て場みたいになっていたに違いない。
そのあとのあれこれを父に任せて、出勤。朝から暑いが、がらがらの道路はすっきりして走りやすい。
夜には、弟夫婦と送り火を拝みに行く。船岡山に行くか、松尾橋で鳥居を見るか、西大路を北上して左大文字のすぐそばまで火を見ながら車で動くか。家で軽く夕ごはんをたべながら検討し、左大文字コースに決定。これは移動しながらなので、タイミングがなかなか難しいが、ベストなタイミングで行ければ、煙が見えるほどの場所から、迫力の火を見ることができるのだ。今回はちょっとだけ遅かったかな。
車の中から、送り火にそっと手を合わす。今年もお迎えできてよかった。寂しいけれど、肩の荷を下ろしたような気分でもある。また来年・・・。
あの世に帰っていくおしょらいさんと、往く夏、弱まり行く火・・・。いろいろなことを思い出し、少し泣きたくなる。一年で一番、あの世の誘惑に負けそうになる日。
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mercredi 08 août 2007
誕生日の朝。今日のわたしは昨日までのわたしとは違うのよ。
嘘。今日のわたしは昨日までのわたしの連続でしかない。春の終わりは既に夏の気配を色濃く含み、夏の終わりは秋の気配を早くから忍ばせる。これと同じく、人生の季節も、ゆるやかに移り変わっていくものだ。
8時頃、ゆるゆると起きる。神棚とお仏壇には赤飯。これも毎年変わらぬ習慣だ。
今年も福島の叔父より桃がたくさん届いたので、よく冷やした桃とすいかで、ほとんど水分だけの朝ごはん。ナイフを片手に皮をむき、果肉をそぎながら食べる。たっぷりとした甘い果汁が乾いたのどを心地よく潤し、少しづつ体が目覚めていくようだ。桃やすいかは、夏の朝に食べるのが一番おいしいと思う。
朝から、たくさんのお祝いのメールやバースデイカードをいただいて、しみじみとうれしく思う。自分の誕生日を覚えていてくれて、おめでとうと言ってくれる人がいるのは本当に幸せなことだ。年々周りの人に対する感謝は深くなる。わたしは、一人で大きくなったんじゃないから。
午前中に、お精霊さん(おしょらいさん)を迎えに六道さん(六道珍皇寺)へ行く。お盆前のマストな行事で、8日にわたしが行くのは年課のようなもの。水塔婆を書いてもらって、迎え鐘をつく。迎鐘はいまだすごい行列だ。最後尾は裏門から出て、ささ木の前を越えたところ。炎天下に日傘をさし、30分並んで鐘をつく。
もう少し細かく、お迎えのプロセスなりを記録しておいたほうがいいのではないかとも思いつつ、今年もなんとなく写真も取らずにお迎えをすます。ああ、こうやって、ある時代の市井の人の「当たり前」は、言わずもがなのこととして記録もされず、埋もれていってしまうのだな。「特筆すべきことでもない」ことが一番失われやすいのだ。
後日、補足。こんなふうに記録したかったのです。さすが好日さん。
引き続き、祖母のところへ行く。誕生日というとやはり一番思い出すのは祖母のことだ。子どもの頃の幸せが、ぎゅっと凝縮されたような日が誕生日の一日だった。
クーラーなどなかった、暑い夏の日暮れどき、玄関から裏庭へ抜ける、昔ながらの走り庭の土間の台所。祖母が忙しそうに立ち働いている。わたしはただうれしくて、祖母にまとわりついて料理の「お手伝い」と称する邪魔をする。
いつもは帰りの遅い母がこの日は早く帰宅するのもうれしい。台所にご馳走が並ぶ。尾頭つきの鯛に赤飯はもちろん、とんかつやビフテキなどの、由緒正しき昭和のごちそう(笑)。ナイフやフォークをところ狭しと並べて、わくわくしながら食事の始まりを待っていた。祖母はとても料理の上手な人で、昔ながらのおかずから、ハイカラな西洋料理まで、それはそれは上手に作ったものだった。
食後の後片付けが済むと、母がお茶とケーキの用意をしてくれる。ケーキはもちろんホールで、タカラブネの、バラのクリームとチョコレートのプレートが載っているのを定番に、今は無きメーゾン・フランスで作ってもらった、ちょっと塩の効いたバタークリームのケーキのときもあったなあ。少し大きくなってからは、北白川のサンドリヨンのケーキを母はよく買ってきてくれたっけ。この店も今はないようだけれど・・・。
ろうそくをともして電気を消し、一、二の三、で吹き消して・・・。特別な一日。思い返せばすべてが懐かしいものだ。
祖母は今日も絶好調。「今日、誕生日やねん」と言うと「おめでとう。幸せでありますように」と言った後、しばらく考えて、「あんた、20代かいな?」・・・ええ、そうだったらいいんですけどね、おばあちゃん。いつものとおり、散歩に行ったり歌を歌ったり耳そうじをしたり、なぜか頭をなでなでしてもらったり(笑)。
祖母のもとは、わたしが今も子どもでいることを赦された、わたしが無条件で愛される存在であることを赦された、永遠の約束の地なのだ。
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mercredi 01 août 2007
八朔です。しっかりつかまえないと、夏はすぐに行ってしまうから、寸暇を惜しんで夏の日を楽しもうと思う今日この頃。
今年も去年に引き続いて、愛宕山の千日詣に行く。ただし今年は日をまたがず、31日のうちに下山した。右膝を少し傷めていることもあって、今年はどうしようかかなり悩んだが、「行けるときに行かないと・・・」の思いから、今年も登ることにした。とはいえ、あのしんどさを思うと、内心かなりブルーだったりする(^^;。年寄りも子どもも登るとは言っても、標高924mもある、京都で一番高い山なのだから・・・。ご一緒するのはM嬢とKさん。さあ、今年はどれくらいで登れるかな?
18時5分、登山口のある、清滝に到着。
涼しげな音を立てて流れる清滝川。もう既に蜩が鳴いている。カナカナカナ・・・。すぐ近くで鳴くせいか、声に力があって、晩夏に聞くちょっと寂しげな声とは違って聞こえる。
今年もトレーニング・パンツ、髪はしっかり二つに結わえて、リュックを背負って首にはタオル。かなり恥ずかしいが、愛宕山に登るにはこれが一番。背に腹は代えられないのだ(笑)。
18時10分、一の鳥居を出発。
ここから頂上まで4キロほどの道のり。ほとんどが急な登りで、平坦な場所は少ない。もう既に、今のうちに帰ろうかな、と思う。
登り始めてわりとすぐのところにある、大杉神社。名前のとおり、大きな杉がご神体なのだけれど、雷が落ちて、中が空洞になったんだって。
18時45分、二十五丁目。しんどいのと、木の根や岩で足場が悪いので、しっかり足元を見て歩く。一定の間隔で、「40分の20」とか、「40分の23」とか 、どれくらいの地点かを示す札が立っているが、確認するついでに分数を約分してみたりする(小学生のよう)。「40分の23・・・。」約分できないと、かすかにむっとしたりする。23。素数か。4n-1・・・。いらんこと考えるか、禅の境地にならねばしんどくて自分に負ける。
それでも「お登りやす~」「お下りやす~」の声も高らかに、果敢に攻める。
19時、三十丁目。持ってきたペットボトルの水は500mlが二本。それがどんどんなくなっていく。
19時20分、七合目。
このあたりに市内を見渡せる絶景ポイント。画面中央あたりには小さな小さな京都タワーが見える。遠いんだなあ、ここ・・。もうひとがんばりだ。
19時30分、水尾わかれ。最後の休憩所があるところ。
19時45分、愛宕神社の門。
19時55分、頂上の本殿に到着!
記録は去年と同じ、1時間45分だ。一年のうちに、すごく登りがしんどかったというイメージが心の中で増大していたからか、幾分勝手がわかっていたからか、今年は案外楽に登れた感じではある。でも1時間45分。元気盛りの中学生は、40分ほどで駆け登るというから、やはり年には勝てないもの。
無事に登り切れたことに感謝。本殿に参って、お神酒の授与を受け、奥の若宮にもお参り。ここには「雷神」と火の神、カグツチノミコトと、名前を失念してしまったが、よく知らない土の神が祀られている。
しばらく頂上にて休憩する。下界よりは気温はだいぶ低い。水をかぶったように汗を吸ったTシャツが体からどんどん熱を奪っていく。こうなることは去年でわかっていたので、着替えはある。物陰で乾いたシャツに着替える。
さあ、御札を受けて、そろそろ下山だ。
これは今年受けてきた御札。京都の家の台所や飲食店などでよく見る御札だろう。
登ったら下らねばならない。しかしこれが問題だ。下りの方がずっとしんどいのだから。既に膝も少し痛い。すべるのが怖いから、慎重に慎重に、歩を進める。それでも滑って手をついたり、しりもちをついたり・・・。
頂上近くで、21時からの神事を待つ修験者の集団に萌え萌え♪♪。もう少し下では、軽やかに駆け上って行く衣姿の若い僧侶に萌え♪
登りと同様、「お登りやす~」「お下りやす~」の声を掛け合って下りていく。
下りのタイムは記録していないが、登りよりはずいぶん時間がかかっているはず・・・。右膝はもう限界。ともあれ、無事下山。FELICITATIONS!
今年は担架で運ばれる人をよく見たような気がする。前日の雨で足場が悪いための怪我くらいだとまだましで、心臓とか脳の血管とかだったら怖いなあと思う。
飲んだ水は1.5リットル。帰宅後お風呂に入ってさらに汗をかき、水分を取ったので、もう体中の水分が入れ替わった感じだ。よいデトックスになっただろう。
さて、明けて今日。筋肉痛などはまったくないのだが、膝に湿布を張って寝たにも関わらず、やはり特に右膝をかなり傷めているようだ。階段の下りは言うに及ばず、通勤の自転車のペダルの踏み込みにもかなりの痛みを感じる。昨日M嬢が耳元で、鮫軟骨だのグルコサミンだのコンドロイチンだの、いや~なことをささやいていたが、ほんとに軟骨が磨り減ってたりして。やだなあ、ほんとに・・・。
膝を傷めないで済む、うまい下り方ってないのだろうか?
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lundi 30 juillet 2007
仕事が終わって、三条通を東へ走り出したのは8時頃。東には大きな丸い月。土用の丑の日。暑さはピークの頃と思われるのに、空気は冷たくて、半袖では寒いくらいだ。
帰りに、蚕ノ社に、足つけに行く。ふだんは怖いくらい静かな境内も、夜店が出てたくさんの人で賑わっている。たぶん下鴨神社の足つけなんかだと、そこそこ観光客もいるのだろうけれど、ここはほとんどジモティー・オンリー。吉祥院天満宮の天神祭と同じくらい。夜店が出るものだから、小中学生もたくさんいて、常連さんに声をかけられそうな雰囲気だ。わたしも5年の間に土着化が進行。
闇に浮かび上がる三柱鳥居。やっぱり奇妙な鳥居だなあ。5月に来たときは、元糺の池は干上がってまったく水がなかったのだけど・・・。今日はけっこう水があるようだ。本殿にお参りしてから池に来て、靴を脱いで足をつけると、水がとても冷たい。暑い日ならよかったのに・・・。今日の気温では少々冷えるかも。そのせいかあまり長時間つけている人はいないようだ。っていうか足湯じゃないから。
帰りに150円のアイスクリン(ヴァニラ味とメロン味)を食べてみる。正しきお祭り風味に満足する。と、目が釘付けになったのは、「かめすくい 1回500円」。金魚すくいと同じ、すぐ破れる紙の道具で、かめなどすくえるわけもなかろうに(笑)。でも小さなミドリガメがかわいくて、ほしくなる(すくえなくても1匹もらえるのだ)けど、かめを買う道具は何一つ持っていないのでかろうじてやめておく。
足つけ初心者の得た教訓は、足つけにはゴムぞうりで行くことだ。
もちろん夕食は鰻。午前中に鮒元でちゃんと調達しておいた。店先では朝から香ばしい匂いを周囲に拡散させて、鰻がどんどんどんどん焼き上がっていて、それが見る間に売れていく。鰻受難の日だ。
ふんわりと柔らかくておいしいので、わたしはこのお店のがお気に入り。食べ方は、ひつまぶしで。他には、ししとうの中華風焼きびたし(みょうが入り)と、冬瓜の冷製あんかけ。冷やしておけるものも遅番の日に向いている料理。
*鮒元川魚店
京都市下京区松原通西洞院東入ル
TEL 351-2772
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samedi 30 juin 2007
諸々の都合で、式を挙げてからひと月ばかり週末婚を続けていた弟も、今日ですっかり引っ越して、本格的に新居に移って行った。がらんとした部屋を見るのはやっぱりちょっと寂しいな。「空の巣症候群」?お母さんでもないのに気持ち悪!(笑)
「玉子焼き器、有次のん(結婚式の引き出物だ)、使ってくれよ」と言っていた。「あれはわたしの嫁入り道具にするから」と答えると、「はん!」と鼻で笑われた。有り得ないことだと思われているらしい。
今日は夏越の大祓(なごしのおおはらえ)、半年の穢れを祓って、次の半年に備える日。今日は新しい自分になる日。明日からの新生活、ちゃんとやりなさいよ~、なんて、水無月食べながら思ってみる。この日には必ず食べる水無月。
3時より、「大祓式(おおはらえしき)」があるというので、自転車で伏見稲荷まで行く。神職が執り行う式の後で、神職に続いて大きな茅の輪をくぐる。人々の会話を聞くともなしに聞いていると、「茅の輪」を「知恵の輪」と誤解している人多し。「知恵の輪くぐるしな~」って、それを子供に説明するのはいかがなものか。第一知恵の輪、くぐれへんし。
記念、ということでもないが、せっかくなので晩ごはんをいっしょに食べようということになり、弟夫婦と近所にできたフランス料理の店に行くことになった。
そろそろ用意しないとね。
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vendredi 29 juin 2007
以前から、稲荷祭について、なかなか調べがつかなくて自分の中でペンディングになっていたことについての回答をようやく得る。明日の「夏越の大祓」について資料を当たっていたときの副産物。
現在は毎年、4月20日に最も近い日曜日に、「神幸祭」、5月3日に「還幸祭」が行われ、この二つを合わせて「稲荷祭」と呼んでいる。しかしもともと日程は固定ではなく、移動祝祭日(まさに)のように年によって違うものだった。
その日程を覚えるための言い回しを、若かった祖母が時折言っていた。
それは、「○○○○○と来て、ウカウカと帰らはる」というような文言だったが、わたしもはっきりとは覚えておらず、いろいろな資料を当たっても、伏見稲荷大社のサイトを見ても、まったく出てこない。もちろん、今となっては祖母もまったく覚えてはおらず、父は地の人ではないのでそもそも知らない。
今まで何度も見たはず、の『伏見稲荷大社』(日本の古社) 三好和義・岡野弘彦ほか/著 淡交社 2004年。ちなみにこの本、「RAKUEN」の写真家、三好和義さんが写真を撮っている。
本文にはまったくその文言の記述はなく、巻末の「年間行事・祭礼案内」の一覧表の中にさりげなく記述されていた・・・。何たる見落とし。何たる不注意。資料はもっと丹念に当たらなければ・・・と痛感する。耄碌・・・?
同書・131ページの記述、
「稲荷祭は、もともとは還幸祭をさすものであったが、今日では神幸・還幸の両祭に用いられる」
しかし現在でも、「お祭り」と言ったときには還幸祭(おかえり)を指すように思う。
「昔から、稲荷祭というと「うまうまと神幸(おいで)、うかうかと還幸(おかえり)」といわれ、
これだ!!これこそが探し続けていた文言。祖母流に言い換えるなら、「ウマウマと来て、ウカウカと帰らはる」のだ。
すっきりした。祖母にも言いに行こう。言えばきっとまた思い出すだろう。
「明治までは三月の中の午の日に神幸祭があり、御旅所に二十日ほどとどまって、四月の中の卯の日に還幸された。」
にしても。通常のレファレンスなら、惨敗といったところ。
藪司書の藪司書たるゆえんである。
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jeudi 14 juin 2007
そして、世界遺産、宇治上神社。拝殿と本殿は鎌倉時代に建てられたもので、日本最古の神社建築にして国宝。しかし境内には人も少なく、社務所もなく(おそらくは下の宇治神社にあるのだろう)、とても落ち着いている。
名水「桐原水」。生では飲まないでくださいと書いてあるが、煮沸すれば飲めるようだ。ただ、あめんぼがいっぱい泳いでいる(^^;。
「三間社流造り」??だったっけ。神社の建築って、注意深く見てもあまりよくわからないなあ・・・。ただ様式の名前を覚えるだけでは無意味。
こちらは近くにある宇治神社。平等院の鎮守社で、明治維新までは、宇治上神社と隣接し、一対であったとか。本殿は国の重要文化財。
宇治まで来たんだから、何か抹茶のお菓子を食べましょう。今回はさて、どこの何を食べるか?
通圓の抹茶パフェに決定・・・したのはお昼頃。本店に行こうと思っていたのだが、宇治上神社のすぐ近くで「さわらび店」という支店を発見。ここで食べることにする。
陶器のマグに、栗の甘露煮、お砂糖をまぶしたぎゅうひ、粒餡、ウエファース、生クリーム、抹茶アイスクリーム、ヴァニラアイスクリーム、白玉。寒天。そして底の方には激甘のあんこがたっぷり隠れていた!かなりのヴォリューム。
鮎宗(あいそ)のうなぎいいむしをテイクアウトして晩ごはんに。もちもちした白むしに山椒の実、うなぎの蒲焼。もち米はおいしいなあ・・・。
あさぼらけ うじのかわぎり たへだへに あらはれわたる せぜのあじろぎ
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mardi 15 mai 2007
葵祭を見に、下鴨神社に行く。満員のバスの車窓からは、下鴨神社へ向かう本列が見える。糺の森でバスを降りて、そのまま境内へ入り、有料観覧席のすぐそばで行列を見る。参道周辺はぎっしりと人。ところどころでは場所争いもあるようで、おっちゃんやおばちゃんが怒っている。源氏物語の昔から、場所争いは葵祭名物なのか(笑)。六条御息所、あれはくやしかったろうね。
本列、女人列を見た後は、グリル生研会館にてお昼ごはんを食べる。どれもおいしそうだったけれど、ここはオーソドックスにハンバーグとえびフライのランチを。ドゥミグラスソース、タルタルソースともにとてもおいしい。ハンバーグの種の味も食感も上々。ほんとに懐かしい、子供の頃に食べた洋食の味がした。内装もかなり昭和のかほり(?)。
再び境内に戻り、河合神社にお参り。そして、17頭の馬が疾走する、走馬の儀(そうめのぎ)を見る。駿馬を神様にお見せする神事だそうで、走る馬の速いこと速いこと・・・。馬上の人もかっこよかったりする(笑)。どこの国の人かはわからないが、外人さんの乗り手も。
賀茂の神の祟りを鎮めるため、馬に葵の葉を飾り、鈴を付けて走らせたのが祭の最初というから、葵と馬は必須アイテム。
17頭が無事走り終えたのを見てから、本殿、相生社とお参りする。下鴨神社は何十年も前に父母が結婚式を挙げたところ。あまり来ないけれど、ご縁はある神社なのだ。平成27年には、21年ごとだったかの、式年遷宮が行われるらしい。
2時20分に上賀茂神社に向かって出発した行列を追ってみる。本列ははるか先だけど、どんどん歩いて行くうちに、女人列に追い付いた。
加茂街道を行く、斎王代の御腰輿(およよ)。現代の御腰輿はタイヤがゴム製。というかもともと御腰輿は車輪が付いているものなのだろうか。
上賀茂神社にもたくさんの人。行列が着き、これから社頭の儀が行われるので、境内には入れそうにない。
葵家でやきもちを買って帰る。今日はわりとよく歩いたなあ。
*グリル生研会館
京都市左京区下鴨森本町15 生産開発科学研究所ビル1F
TEL 721-2933 木休
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dimanche 13 mai 2007
「九州うまかもん市」に行って来た秋田嬢より、おやつの差し入れあり。スイーツダイニング2月14日というちょっと変わった名前のお店のロールケーキ。一日80本限定だそう。小さなナイフで切るのが難しいほど生地はふわふわ。中身は砂糖入りの生クリームのみのいたってシンプルなロールケーキだった。ロールケーキの流行はここ数年続いているらしい。
先日このブログで、蚕の社のことを話していたので、ふと思いついて仕事帰りに蚕の社に行ってみた。まだ十分明るいが、境内は人っ子一人いない。お参りを済ませて拝殿左の三柱鳥居を見ていると、風が強く吹いてきて元糺の森が、ざわわ~、ざわわ~と音を立てる。やっぱりここはなんとなく怖いな。黄昏時に来るのはやめよう。もっと怖いのは、いや、怖いと言ってはいけないのかもしれないが、本殿手前、左側の末社の鳥居正面の祠だ。お堂(?)みたいになっていて、中に入って拝むのだけど、これがまた・・・。数秒も経たぬうちにぞわぞわぞわ~っと・・・。狐が何か言ってきそうだったのでお参りしてそそくさと出る。一人で来るのはやめよう。神のいますところは、怖くはないけれど、畏れ多い。
また今日は、松尾大社のお帰りの日なのだそうだ。夕方なのでもう御神輿は松尾に帰られた後だったが、明かりがついていたので、七条千本辺りの御旅所(?)を訪ねてみた。伏見稲荷と違って、御神輿が皆、一つの御旅所に集合するわけではないようだ。松尾さんについてはほとんど知識なし。
夜に飲んだのは、ゼロ・シリーズ第一弾、ヴィルマールのブリュット・ゼロ。ゼロ・シリーズを飲んでいつも感心するのは、ドサージュしていないのに、まったくとげとげしくないことだ。もちろんこれもそう。ヴィルマールらしい(って3回ほどしか飲んでないけど)複雑な香りとしっかりした重さ(?)。一瞬なぜかミントのような香りも感じた。とてもおいしい。
シャンパーニュとの名コンビチーズ、シャウルスをお供に。周りはとろ~っとクリーミー、中身は白くてちょっとしっかり。塩気がほんの少し効いているけれど、それがミルクの香りと甘味を引き立てる。相性は抜群。
桃と苺のホワイト・スティルトンはデザート代わり。これはまさにチーズケーキでお菓子みたいにいくらでも食べられてしまう危険なチーズだ。ヴィルマールと合わせれば贅沢な気分♪
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mercredi 09 mai 2007
例えばここに一枚の熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ)がある。この裏に「私はたこは今後ケーキを食べるときには必ず1個でやめておきます。」と書く。そしてその後に、その約束がちゃんと履行されるかどうかを監視する神仏のリストを書く。つまり「勧請する」。その後に、もし約束が履行されない場合はこうこう、とifの従属節、例えば、リストに挙げた神仏の(この神符を用いる場合はおそらくは熊野権現の)「罰を毛穴ごとに蒙ってもよいです」、とか自らを呪詛する言葉を記す。ちなみに、熊野権現への誓約を破るとお使いである烏が一羽亡くなり、破った本人も血を吐き、地獄に落ちるらしい。ひぃ~~~!!
以上のようなものが「起請文(きしょうもん)」と言われるもの。
『起請文の精神史―中世世界の神と仏』(講談社選書メチエ3609 佐藤 弘夫/著 講談社 2006年
裏表紙より「なぜ天照大神に誓いを立ててはならないのか。神と仏はどちらが上位か。本地垂迹の本質とは何か。中世日本の巨大なコスモロジーは、1片の起請文の中にある。」
以前読んでとてもおもしろかった本。しかしわたしはこの「起請文」というものを実際に見たことはなかった。しかしありましたよ、この展覧会に!
国宝 「東大寺世親講衆等連署起請文」 鎌倉時代 奈良・東大寺、という「東大寺文書」の中の1枚。
講(?メモしそこね、詳細はわからず)のメンバーが一致団結することを誓ったもので、紙背(つまり裏側)に二月堂の牛王宝印、ifの従属節は、「大仏、八幡三所を始め、仏法を護持する春日権現、八大明神、日本国中大小神祇、殊に二月堂観音の懲罰」とある。すごい。日本国中の大小の神々の懲罰だって。そんなのいやだ(>_<)。
ともあれこれを見て、上記の本を思い出し興味津津、こういうものだったのかとまじまじと見る。
国宝はほかにも何点も出ていた。たとえば厳島神社の、「平家納経」。これはちゃんと「内大臣平朝臣清盛」のサイン入り。清盛好きにはうれしい。
高山寺の「明恵上人樹上座禅像」。まさか奈良でお目にかかろうとは。聞いたことはあるけれど見たことはなかったもの多数。予想外のものも出ていて、大変に充実した展覧会であった。これで1000円は安いだろう。
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mardi 08 mai 2007
時代が下がっていくと、そのうち具体的な信仰対象がいるので、神像が作られるようになり、浄行僧という、「神域としての山に分け入り、神を感得することが可能な山岳修行僧」によって山岳信仰と仏教は習合され、平安時代には密教の影響を受けて、修験道として体系化されていく。
また、御霊信仰(管公とか早良皇子とか)が起こり、御霊会(ごりょうえ)が盛んに行われるようになるが、これも神仏習合の性格が顕著なものであった。神前読経では、十六善神が守護する大般若経がよく読まれた、とのことで、会場には奈良国立博物館が持っている立派な大般若経厨子(重要文化財)が展示されてあった。
仏教とは少し距離を置いていた伊勢も、東大寺中興の祖、重源上人(昨年の御遠忌のスカパラライブではお世話になりました(笑))が多数の僧を引き連れて伊勢へ参詣したことから、ぐっと距離を縮める。
そして「本地垂迹説」が出てくると、鏡像・懸仏(かけぼとけ)=御正体(みしょうたい)という信仰対象物も生まれてくる。神社との結びつきもますます強まり、宮曼荼羅が盛んに製作される。
おもしろかったのは、三十番神像 室町時代 個人蔵。「三十番神像は一ヶ月三十日間を一日一人の神が守護するという考えから集合画像で描かれるようになったもの」で、「平安時代に天台宗で起こった」のだそうだ。初めて見る。
三十日分の桝目に、神の絵を描いたカレンダーのようなもので、よく見れば、女性も、公家風の神も、中国風の神もいる。ちょっとカトリックの聖人カレンダーを思わせておもしろい。三十日間すべての神の名を知りたい。
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lundi 07 mai 2007
特別展『神仏習合―かみとほとけが織りなす信仰と美』を見に、陽光降り注ぐ奈良へ・・・。会場は奈良国立博物館の新館である。「はたこさん必須の展覧会ですね」とマダムUに言われたが、そのと~り!!こうやって1時間かけて奈良まで来ている(笑)。
博物館なので、美術鑑賞とはまた違って、いつになく薄暗がりでメモをたくさん取るほど内容の濃い展覧会だった。とにかく知らない言葉や知らないことが多すぎて理解に四苦八苦。ブログにも何から記してよいのやら。
わたしたちはなんと幾多の神仏が創り出す豊饒の世界に生きていることか。一神教に作り変えられなかった、この国の多様な精神の豊かさを思う。
「神仏習合」と言うと、まず思い浮かべるのは「本地垂迹説」であるが、これは最初からあったものではなく、「中世から近世にかけて神社と寺院が一体化していくなかで広まった神仏習合を説明するもっとも一般的な説」とのこと。神仏はもっと前からすでに習合していたのだ。
会場には、ボランティア解説員の女性がいて、質問すれば、丁寧に回答と解説をしてくださる(なんと気前よく!)。その方によると、「仏教はインドでの成立時点ですでにインドの神との神仏習合だった」と。改めて言われてみればそのとおり、ブラフマン=梵天、ラクシュミー=吉祥天など、インドの神々は既に仏の世界に組み込まれていた。それがさらにわが国の神々と習合するのである。
「奈良時代、豊前国宇佐地方の神だった八幡神を東大寺の鎮守神として迎え」、「ここに『神仏習合』が本格的な幕開けを告げることになる」。「そして神社の境内にも「神宮寺」呼ばれる仏教寺院がさかんに建立されることになった」。
最初に目をひかれたのは、東大寺の「二月堂神名帳(にがつどうじんみょうちょう)」 大永8年(1528)(重要文化財)である。言わば、神々の名簿。
なんのための名簿かと言うと、「神々を二月堂へ勧請し護法善神として道場の守護と法会の成満を願う」ための名簿だ。
これは、日本全国の神々の名が列記された、ただただ列記されたもので、お水取り(修二会)の際に毎夜、節つきで読み上げられる。つまり、全国の神々が毎夜勧請される。ボランティア解説員の女性に質問すると、節つきで読み上げてくださった。この方はお水取りが大好きで、毎年、連日通われるらしい。なかなかにディープな方である。「これは二月堂声明と言いますが、わたしは「過去張」よりも「神名帳」のほうが好き」なのだそう。聞いてみればなるほど耳に心地よく入ってくるメロディーである。一度、お水取りにも行ってみなければね。
日頃親しんでいる神の名も見つける。○○○大菩薩、○○○大明神、と、神の名がフルで記されるのは各々の最初の一行のみで、以下は、○○○・・・・・、○○○・・・・・、と敬称(?)は・・・・・で略されている。読み上げるときは敬称ももちろん略さない。
熊野、住吉、白山、名智 竹生嶋は大菩薩。
下賀茂、稲荷、松尾(マツノヲ)、木嶋(コノシマノ)、大原野、平野は大明神。
大菩薩と大明神の違いを尋ねてみると、より東大寺と関わりの深い神が大菩薩とされているらしいとのこと。大菩薩の方が格(?)が上らしい。
興味深いのは、松尾(まつお)と言い慣わしている松尾神社に、「マツノヲ」と読み仮名がふられ、今も氏子さんたちが「マツノオジンジャ」と呼ぶように、「マツノヲ」が正しい名称であることがわかることと、木嶋神社(このしまじんじゃ)、いわゆる「蚕ノ社」が、今は小さな神社であるけれど、由緒正しい古い神なのだということがよくわかること、である。
畏れ多いことではあるが、神名帳に記された神々に会いたくなった。
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jeudi 03 mai 2007
今日は稲荷祭の還幸祭。約二週間の間御旅所におとどまりになった神様が、また御神輿に乗って伏見稲荷にお帰りになる。今は日通のトラックの乗っての巡行だけれど、祖父が若かったころはかついでいたという。
朝から神棚にはワインのお神酒とお赤飯。昼には鯖寿司をお供え。伊勢丹に買いにいったらちょうどさいき家さんのが出ていたので鯖寿司といっしょにだし巻きも購入。わたしは鯖寿司を食べないのだけれど、父によれば、とてもおいしかったらしい。祖母が元気だったころは朝からせっせと何本も鯖寿司を作って配っていたものだ。
お昼を食べたら御旅所へ向かう。
御旅所では供奉の人たちも、御神輿も出発の準備が整い、1時40分、出発の神事が執り行われる。神官たちの耳には葵の葉。お稚児さんもたくさんいる。
田中社もトラックに乗せられてスタンバイ!五基の御神輿はどれも精巧で美しく、立派。田中社は五基の先頭を行く。
無事出発を見送ったら、次は東寺東門前に移動。2時15分からここで神供が行われる。
門前にずらっと居並ぶお坊さんと五つの供物。
明らかに去年よりギャラリーが多い。御神輿に先駆けてお稚児さんなどを乗せたトラックが通り、色とりどりの花吹雪や、しるしの杉(たぶん)をまいて行く。なんだかうれしく、懐かしくなる。
御神輿が到着すると門前にしばしどまる。般若心経が読まれる。しばらくして御神輿は出発。大宮通を五条まで北上。
やはり今も御神輿が通ると柏手を打って拝む人も多い。おばあさんに抱かれた子供の姿も多く、おばあさんが孫であろうその子に、「神さん帰らはる、また来年って・・。」とか「ばあばのとこ(住んでいる地域)の御神輿はあれ」などと話している。そんな様子にほっとする。
外国人・日本人の観光客も写真を撮っている。「御神輿っていうレベルじゃない(ほど立派なもの)ね~」という声も聞こえる。そうなんですよ~。あれはわたしたちのおじいさんが担いだ御神輿なの~、とちょっとうれしく、誇らしくなる。
ああ、お祭りはやっぱりいいものだ。去年は御神輿の後に続いて歩いて伏見稲荷に行って還幸祭を見た。今年はこれから自転車で行ってきま~す!
伏見稲荷ご到着は午後4時ごろ。境内はお迎えの人々でにぎわっている。わたしは今年もちょうど、御神輿と同時の到着となる。
旅装を解かれる御神輿。
御神輿を飾っていた杉も希望者に授与される。神棚にあげておくといいんだって。わたしも田中社のをいただいた。
田中社から順番に、御神体を本殿にお移しする。神官は白いマスクを着け、ご神体の入った箱は白い布で覆われた上にすっぽり傘をかぶせられて、それはそれは厳重に・・・。
田中社のお帰りを見届け、帰途についた。
本町通にある、伏見稲荷の境外摂社、田中神社。稲荷山におわす田中社は、その成立など、謎が多いらしい。この境外摂社の田中神社と深いかかわりがあると言われているようだ。
なにせ古い神社の古いお祭りなので知らないことだらけで、それがまたおもしろい。
神様、ありがとうございました。また来年!
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dimanche 29 avril 2007
伏見稲荷の氏子地域の家々に、こんな張り紙が貼られ始めると、そろそろ稲荷祭の季節。お祭りは5月3日のお帰りの日で、今日は御神輿が各氏子地域を回る、氏子祭の日。
油小路東寺道の御旅所に、御神輿は22日から5月3日までおとどまり。
露店も並んでなんともノスタルジィ。子供のころにはお千度という町内の行事もあって、連れて行ってもらうのをとても楽しみにしていた。
お千度をやっていた古い集会所(知ってる人は知ってるでしょう)はなくなって久しいが、その跡地に今年は真新しい御神輿の格納庫が建っている。
敷地も石が敷かれてきれいになっている。
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