探しものはなんですか?
今月末で有効期限が切れるタダ券を使い切ってしまいましょう、と小豆に声をかけられ、ブライトンホテルのラウンジ、クー・ド・ミディでお茶をする。
ケーキセットを注文する。わたしはいちごのタルト、小豆はチーズケーキ。紅茶はアイスのグレープフルーツのお茶と白桃のお茶。ケーキーはおいしく、紅茶は、ホットに変えても可の、お代わり自由で、さすがに高いだけのことはあったのだが、肝心のケーキの選択肢が三つしかなかったのはちょっとびっくりだ。
小豆は含みのある(笑)人なので、わたしのことなど、何もかもお見通しよ、といった感じ。いらんことまでしゃべってしまったのでまったく心が痛いことだ。
さて、出かける前から、ちょっと思い出したことがあって、引き出しの奥などあさって、探し物をしていた。帰宅後、その続きで、押入れの奥を探っていると、すっかりもう「ない」ものと思っていた数冊のノートと、印刷物、写真を入れた袋を発見した。
それは思うところあって、数年前に捨ててしまったとばかり思っていたものだ。若気のいたりだったと、近頃になって捨ててしまったことを後悔していたものだったので、本当に驚いた。
よくよく当時のことを思い返してみると、ばっさり処分してしまおうと、その紙の束をまとめて袋に入れて、ごみに出す寸前まで行ったのだが、すんでのところで「これも自分の歴史である」との思いにかられ、捨てないでいたのだ。その代わりに封印するかのように、押入れの奥深くにしまい込んだのだった。
おまけに驚いたこともまだある。わたしはケチなので、余ったノートがあると、その続きをつい違うことに使ってしまう癖があった。出てきたノートの何冊かもそんなノートで、その内の一冊などは、四分の一ほどを、びっしりと数学の練習問題を解くのに使っている。ご丁寧に消しゴムのかすまではさまって。確かにどのページを見ても自分の字で数字や記号や図が書いてあるのだが、意味がまったくわからない。それどころか、こんなことを習った記憶すらなく、それが数学の中のなんという科目だったのかもわからない。記憶喪失?軽く衝撃を受けてしまった。
そしてそのノートは、一瞬、oil語群とかoc語群、などといった言葉が書き込まれた大学のときの基礎演習のノートとなり、(さすがにこれは改めて違うノートを作ったようだ)、さらには、黄身時雨や月餅の調製法が記され、それでもってようやく本来のノートの5冊目となるようだった。
本来の探し物はまだ見つかっていないのだが、これが見つかったのならそれも必ずどこかにあるはず。逆に、あると思い込んでいて実は処分してしまっていた、ということがなければの話だが。
しかし今日は思いもかけぬものが見つかったので、捜索は打ち切り。これからじっくりと発掘された遺物を吟味するのだ。
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