lundi 21 décembre 2009

第十五番 新那智山 観音寺〔今熊野観音寺〕

  昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり010

 先日、秘仏の御本尊、十一面観世音菩薩の特別御開帳の折に、ありがたく拝観することはできたのだが、御朱印をもらわなかったので、今日いただいた。既に御開帳期間は終わっていたので、御本尊の御厨子の前には、御前立ちの仏様が。

 天長年間に弘法大師が開いたと伝わる古刹。現在は泉湧寺の塔頭だが、かつては二十町の広大な境内であったと言う。その後も栄えたが、京都史おなじみ応仁の乱(!)で全山焼失し、今に至ると言う。

 こちらの観音さまは頭痛持ちの後白河法皇の頭痛を癒されたとのことで、「頭の観音さま」と呼ばれる。おもしろいことに、祈祷済みの枕カバーが授与されており、それを使えば、頭の病気が治ったり、また、別のヴァージョンとして頭が良くなったりするらしい。

 進捗状況を確認すると、現在、33分の18だ。まあ、行きたくても行けない時期もあったので仕方がないが、この超ぼちぼちなペースではいったいいつコンプリートできるのやら・・・。

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mercredi 12 août 2009

第二十九番 青葉山 松尾寺

  そのかみは 幾夜経ぬらん 便りをば 千歳もここに 松の尾の寺001    

 三十三所中、唯一、馬頭観世音菩薩を本尊とするのがこの松尾寺(まつのおでら)。この観音様は、珍しい憤怒形で、交通を守護するために、交通の要所に祀られていることが多い。

 京都府と福井県の県境にあるこのお寺の縁起は古く、708年(和銅元年)に、唐の僧、威光上人が馬頭観世音菩薩を感得し、草庵を結んだのが始まりと言う。005

 御本尊はやはり秘仏で、今回の結縁御開帳が、実に77年ぶりの御開帳で、次回は33年後とのことだから、わたしが再びお参りできる可能性はそんなに高くない。

 頭上に馬の頭をかかげる馬頭観音は、観音様と言えども憤怒形であるため、明王像のような迫力と威圧感がある。

 拝観料は、内陣深く入れてもらって、間近で御本尊を拝観してもまったくの無料だ。お盆直前とは言え、山内はそう混雑するでもなく、落ち着いた気持ちで納経できるほど静かである。本堂の中で、じっと上を見て、奉納された額や打ちつけられた札(本来的には、巡礼のしるしに人々は木札を打ち付けた。だから今も札所を巡礼することを「札を打つ」と言う)や、千社札を見ていると、お寺の人に話しかけられ、少し説明を聞くことができた。

 額は屋内に奉納されているので保存状態がよく、はっきりと文字や絵がわかるものがほとんど。明治時代のものが目立ったが、天保や文政といった年号のものもあった。商人が納めたものが多かったが、それはやはり北前船とかとも関係があるのだろうか。千社札もたくさん貼られていたが、お寺の人の話によると、千社札というのは、関東の文化であるらしい。010

 御朱印ゲット!これで丹後の国の札所は完了。

 お寺には国宝1点と重文がたくさんあるようだったが、宝物館は秋にしか開かないらしい。

 住職は、徒歩での巡礼を勧めておられるのだが、ここは徒歩で行くにはちょっとしんどい場所。でも若い巡礼の男の子がリュックを背負って山道を登ってきているのはすごいと思った。交通の便が悪いので、わたしは2時間5000円の観光タクシーに乗った。そうしてやってくる人は多いようだったが、小さなお寺だからか、皆、一通りさっと見てとっとと帰ってしまうようだ。なんだかもったいないなあ、と思った。011  

 少し時間が余ったので、運転手さんが、鹿原(かはら)の金剛院というこれまた古いお寺に連れて行って下さった。室町時代に建てられた、美しい三重塔があった。ここは紅葉の名所だということで、今は青紅葉が爽やかだった。

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 次は軍艦を見に。東舞鶴は、海軍によって作られた街。運転手さんの話によれば、東舞鶴と西舞鶴はもともと違う町だったのを、海軍主導で昭和19年に合併させられたのだそうで、そのため今も東と西では、互いにあまり交渉がないとか。

 街の中心部の通りは碁盤の目になっており、京都に似せてか、一条から九条まで名前のついた通りが京都市内よりはずっと狭い感覚で並んでいる。それが終われば通りは明治時代の軍艦の名前になる。

 イージス艦「あたご」と補給船「ましゅう」。軍艦って、たぶん初めて見ると思うけれど、ちょっと独特な感じがする。軍艦が派手ではだめだけれど、全身灰色で地味。この色が海の色に一番溶け込むのだそうだ。それにむちゃくちゃ大きい。ちょっと乗ってみたくなった。

 019 そろそろ時間となり、観光もおしまい。タクシーを賑やかな三条通で降ろしてもらう。運転手さんが、お昼ごはんに、その辺りの加賀料理でもないのに「百万石」という名の中華料理屋さんの、「いためそば」(焼きそばではない)が独特でおいしいから、と勧めるので、素直に行ってみることにした。

 百万石は、地元の人しか行かなさそうな小さな店だった。「いためそば」は、多めの油でさっと炒めたというか焼き付けた中華麺に、八宝菜がかかっているといった感じの麺だった。ちょっと油っこい気もしたけれど、野菜たっぷりでけっこうおいしかった。

 まだ少し時間があったので、帰り道に前を通った、舞鶴市立東図書館に行ってみることにした。時折、府下の相互貸借で資料を借りる図書館でもあるので、どんな館かな、と思って。碁盤の目なので道は簡単。現在地から1キロほどだった。

 舞鶴市の大きさからすると、図書館の規模が合っているのかどうかはわからないが、印象としては、大きな地域館、といった規模。絶版などで入手不可となった資料は別として、それ以外のいまだ流通している資料を、この規模の図書館から京都市が借り受けるっていうのは、ちょっとレヴァレッジのかけ過ぎなんじゃないかと、相互貸借のあり方を考えたことであった。

 また歩いて駅まで戻り(1.5キロの道のり)、綾部乗り換えで帰る。

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lundi 29 juin 2009

第十一番 深雪山 上醍醐 准胝堂

  逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな

 醍醐山と言えば、小学校の頃、毎年2月に「耐寒マラソン」という行事があって、6年間年一回欠かさず登った山である。それだけ登ったのに、今となってはどんな山だったのか、まるっきり覚えていない。三十三所中、随一の難所と言われる、上醍醐に、6年生の2月以来初めて登る。なぜかかなり緊張している。今は入山料600円がいるようだが、昔はそんなのなかったのかもしれないし、いったい、境内から続くあの山のどこで大人数が集まってお弁当を食べていたのやら、見当もつかない。

 御本尊は、准胝観世音菩薩。秘仏で、毎年5月18日の前後合わせて3日間しか開扉されない。准胝観世音菩薩は、母性と深いかかわりのある観音様。あまりお会いしたことがないなあ、と思っていたら、仏像としての作例が少ないらしく、三十三所中でもこの観音様をお祀りしているのは上醍醐のみである。002

 今年は特別御開帳をやっているので、11月までは下醍醐の、国宝の金堂の薬師如来前に安置され、御朱印もここでもらうようになっている。大きな薬師如来との対比でより小さく見えるのかもしれないが、像はとても小さい。この像は、もともと女人堂に祀られていた、准胝堂の観音様の分身だからか・・・。

 昨年8月24日に、落雷が原因と言われる火災で、准胝観世音菩薩はお堂もろとも焼けてしまったのだ。003

 桜の頃とはうって変わって、広い広い境内は人も極めて少なく、とても静かだ。お堂の周りも、中も静寂。心静かに納経をして、御朱印をいただいた。

 本来ならば上醍醐まで行かなければ、御朱印はもらえなかったはずだし、もともと登る気はまんまん(笑)。奥の登山口へと向かう。だいたい山頂まで1時間の行程とか。 006_3   

 上醍醐への登山口。もともと醍醐寺の発祥は上醍醐なのだ。ここからそんなに険しくはないが、舗装されていない坂道と階段が長く続く。五丁辺りは、秀吉が醍醐の花見をしたところで、たくさんの花見用の建物が建てられたそうだが、今はその栄華を忍ぶ影もない。

 山道は、愛宕山基準で行くならそう辛くはないが、稲荷山基準ではかなりしんどい。すれ違う人々が、「こんにちは」と声をかけて行くくらいには山(笑)。

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 こんな地層?みたいに地面に岩が見えているところがあっておもしろかった。

 夏なら、着替えとタオルは持って行ったほうがいいし、ぴったりとしたジーンズで行くよりは、ジャージとか、むしろスカートの方が足が楽に登れると思う。16丁までは登りだがここから少し下る。尾根伝いの道になるのかな?道中、考え事をしながら、あるいはちょっとゾーンに入ったような感じで無心に歩を進める。021 020

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 頂上は、標高450m。標識によれば、ここから山道を通って石山の第十二番 岩間寺に抜けられるようなのだが、何時間かかるのやら・・・?上醍醐にもいくつかのお堂や醍醐水があるのであちこち見て回る。一通り見終わったときには登り始めてから2時間は経過していた。わたしを拘束しておきたければ、書庫か寺に入れておけばよい。一日中出て来ないだろう。004

 下醍醐の、国宝の五重塔。府内最古の建築物だ。天暦5年(951年)に建てられて以来1058年もずっとここに建っている。昨日も建ってて、今日も建ってて、明日も建ってる、たぶん。

 でも、必ずそうだっていうわけじゃない。

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 緑の塀で囲まれたところが、かつて准胝堂のあった場所。昭和14年に焼けた後、昭和43年再建されたお堂だったが、昨年8月に准胝観世音菩薩もろとも燃えてしまった。去年の5月の御開帳のときに無理してでも行っておけば・・・と悔やまれる。

 昨日あって、今日もあったから、長い間そこにあるからと言って明日もあるとは限らない。何か一つことが起これば何もかもすっかりわや。これも、果ての国から月並みの国に飛来した黒い白鳥の一種だろうか。

 今この時を大切にする。次は、ない。

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vendredi 12 juin 2009

第二十七番 書寫山 圓教寺

  はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん022

 西国三十三所の西の端、札所の旅もついに播州へ。JR姫路駅から書寫山ロープウェイの乗り場まで住宅街を通ってバスで行く。なぜかこの辺りはちょっと大きめのティールームというかコーヒーハウスといった感じの店が多いような気がする。乗り合わせた女子学生が課題か予習かができなかったようで、「先生にしばき回される~」と言っているのにそこはかとなく播州を感じつつ、30分弱で乗り場に到着。ロープウェイに乗れば、書寫山は371mの低い山なので、4分ほどで山上駅。降りて仁王門まで急な坂を登る。004

 仁王門からさらに山道を登っていくと、本堂、摩尼殿へ登る階段がある。よくパンフレットにもなっている場所だけれども、やはりすばらしい構図と言いましょうか、何とも絵になる風景だ。下から眺める木組み(?)が圧巻で、ちょっと清水の舞台を思い出させる。

 御本尊は、六臂如意輪観世音菩薩。秘仏で、通常は毎年1月18日のみにしか御開帳されないが、今月30日までは、四天王像と共に、内陣の深くまで入って、間近で拝観できる。しかも入山料500円以外は追加料金なし。これはすべての建物でそうだったのでうれしかった。

 御本尊は一度焼けてしまっているとかでまだ新しかったが、優しいお顔をなさった木の観音様だった。四天王像は古く、平安時代の作であるとか。お寺の人の話では、この観音像のほかに、絶対秘仏となっている観音像があるそうで、近年では開基、性空(しょうくう)上人の1000年(?)の御遠忌のときにあったきりでこれから先も御開帳の予定はないとか。死ぬまでには拝みたいものだ。 010_2    

 いつものようにたどたどしく小さな声で般若心経の後、御朱印ゲット!

 ここまではどちらかと言うと体力を使わないイージーなコース。前回は三十三所きっての難所と言われる施福寺へ行っているのでそう思うだけかもしれないけど。

 ところが、さすがは西の比叡山と呼ばれる巨刹、ここからの行程が長かった。受付で山内のマップをくれたので見ながら山内を巡る。大体が山道で、人っ子一人いない場所も多々。すごいなあ、と思いながら歩いていると、   014_2                  

 突然視界が開け、大きな建物が三つコの字に建ち並ぶ広い場所に出た。三之堂(みつのどう)という場所だ。大講堂食堂(じきどう)常行堂の三つが並んでおり、特に食堂は長堂(ながどう)とも呼ばれる長さ40mもある建物で、圧巻だ。ここは珍しく2階建てで、1階が一般向けの写経の道場、2階が宝物館になっており、ちょうど6月いっぱいまで、部分ではなく全編を公開するのは初めてという、「書寫山縁起絵巻 絵・詞 各一巻」(江戸時代)を公開していた。

 また、講堂では、このたび国の重要文化財となったという性空上人の像が二体、特別公開されていた。その内の一体は鎌倉時代に作られたもの。像の前に頭部のエックス線写真がおいてある。頭部に何か入っているようで、その写り方がいかにも頭蓋骨みたい・・・。何が入っているのかと、お寺の人に聞いてみると、どうやら性空上人のご遺骨らしいとのこと。昨年、エックス線写真を撮って調査したところわかったのだそうだ。非破壊検査?

 開山堂は工事中であいにく見られなかったが、結局山道を歩くこと2時間半、山内のほとんどすべてを見て回った。門まで降りて山内の地図板で確かめると、頂上近くの白山権現まで行っていた。

 前日まで上醍醐に登るつもりでいたところを急遽変更したのだが、そのおかげで6月中しか見られない宝物をも見られたのでとてもよかった。観音様の、今来なさい、というお導きだろうか。あまり予備知識もないまま行ったので、その大きさ・広さに驚いたしだい。ラストサムライのロケ地だからか、外国人もちらほら、あと、若い学生風の男の子もいて、他の札所(京都の清水寺とかは別)とは違った雰囲気だった。

 ここはぜひ、再訪してみたい。

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lundi 25 mai 2009

第四番 槙尾山 施福寺(槙尾寺)

003_2 深山路や 檜原松原 わけゆけば 槙尾寺に 駒ぞいさめる

 趣味の巡礼に出かける。今日は三十三所随一と言われる難所、和泉の槙尾寺(まきのおでら)へ。

 朝6時45分に家を出て、JR→地下鉄→泉北高速→南海バス→オレンジバスと4回と乗り継ぎ、3時間後に山門の少し下あたりに到着。遠っっ!バスの名前もオレンジバスだし、道沿いには「激うま!甘夏」と書かれた柑橘類の販売所はあるし、柑橘試験場はあるしで、ここは大阪と言えども、ほぼ和歌山。005

 山門をくぐってから、20分~30分の行程の山道を登る。登山の装いの人や杖をついて登っている人もいる。山頂までは楽な道とは言えないけれど、とにかく目の前にある「この一段」を上がることに専心する。その繰り返しの果てに山頂がある。歩きながらいろいろなことを考えられるから、巡礼の道は少々厳しい方がよい。

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 登り切れば、広がる金剛・葛城連峰。

 参拝を終えて、景色を見ながら食べたお弁当がおいしかった。                   

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 境内は狭い。寺の創建は古く、欽明天皇の時代に遡り、天正年間には寺領2万石、3000人の僧を抱えるほどの繁栄を見せたが、信長に焼き討ちされた。

 ここもか・・・。信長はほんとになんでも焼くな。と思っていたのだが、しばらく前に、僧侶の身体性に注目するというちょっと切り口の違った仏教史の本を読んでいたら、寺や僧侶というのもたいがいだったようなので、どっちもどっちなような気もする。

 本堂は、安政年間、幕末になってから信徒によって再建された。本尊は、観世音菩薩ではなく、弥勒菩薩。その御本尊の右に文殊菩薩、左に十一面千手観世音菩薩がおられ、この観世音菩薩は、通常は毎年5月15日にしか御開帳されない秘仏である。

 ちょうど裏手には馬頭観音。この、ちょっと珍しい憤怒形の観世音菩薩は交通の要所に祀られていることが多い。なぜこんな山の中に?と思って調べてみると、播磨の国の行満上人というお坊さんが創建してから、航海安全祈願の道場として発展したということがわかって納得。また、元々は先日行った竹生島にあったものだが、いつ頃、どのような経緯でここに祀られることになったかが不明の弁財天像もあって、興味深かった。007

 御朱印ゲット!

 参詣するに当たっては、先達、H嬢が事細かに乗換えや山の様子などを教えてくれた。おかげさまで不安もなく、参詣することができた。あらまほしきものは先達なり。このような人に恵まれていることも、きっと御利益なのだろう。

 仏教徒だけでなく、キリスト教徒もイスラム教徒も巡礼をする。人はなぜ巡礼に向かうのか?その意味とは?

 わたしのような、趣味のへなちょこ巡礼者にはわからないけれど、ごく私的に、巡礼を始めてから、それまで以上に「有り難い」と思う心が増したのは確かだと感じている。

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jeudi 07 mai 2009

第三十番 巌金山 宝厳寺

  月も日も 波間に浮かぶ竹生島 船に宝を積むここちして002

 竹生島(ちくぶしま)へは船で行く。湖北、長浜と近江今津のちょうど真ん中辺りにちょこんと浮かぶ周囲2キロの小さな島。古来、「神の住む島」と言われている。観音霊場としてよりも、もしかすると、日本三弁財天の一つである弁天さんの島としての方が有名かもしれない。

 あいにくの悪天候ながら、秘仏御開帳に合わせて、今日は巌金山 宝厳寺(がんこんざん ほうごんじ)へ。新快速の時間が迫り、船の時間が迫り、行きは小雨の中、走る走る(笑)。 003_2

 長浜港から船に乗って上陸!前にニュースでやっていたのを見たような気がするが、島の松(?)が鳥の糞害だか病気だかで、どんどん枯れているのだとか。う~ん、そう言えばそんな感じ?

 島には港と数軒の土産物屋さんと、お寺+神社(習合しているので)以外は何もない。010 005

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上へ上へと登っていく。本堂には弁天さんが、観音堂には観音さんが祀られている。

 観音さんは、千手千眼観世音菩薩。今年と来年は特別に御開帳があるが、通常は60年に一度の巳年のみの御開帳。これを逃すとあと28年待たなくてはならない。お顔に特徴のあるきれいな観音さんだった。細部をじっくり見たい人はオペラグラスを持っていくといいと思う。人がほとんどいない時間帯ができるので、じっくり見られる。

 島までの交通手段は便数の限られた船しかないので、当然複数の巡礼ツアーと重なり、狭いお堂は一時に大変混雑するが、帰る便を一便遅らせれば人もあまりいなくなり、ゆっくりと参拝・拝観ができる。わたしもそうしたので、お坊さんやお寺の方からいろいろと話をうかがうことができた。

 60年に一度の御開帳というのは、ほんとに60年に一度しか扉そのものをを開けないらしい。それは公開しないという意味ではなくて、本当に開けない。住職ですら、任期中(?)御開帳の年に当たらないと観音様を見ないということもあるそうだ。今の住職も、前回の昭和52年の御開帳のときは若すぎてあまり覚えていないとおっしゃっていた。

 その間、仏像のメンテナンスはどうするのか?と聞いてみたら、驚いたことに、メンテナンスも60年に一度だけなのだそうだ。しかもただほこりを払うだけなのだそう。建物の構造と、岩盤の上に建っているということにも遠因があるとのことだったが、保存状態は良好なのだそうだ。風通しはよくない方がよいのだろうか。

 秘仏が秘仏となる由縁を尋ねてみた。住職は「わたしが思うに・・」以下、最初は秘仏ではなかったのかもしれない。しかし仏さんを大切にしようとする信仰心の高まりとともに、そのありがたみを増すようにと秘仏としていったのかもしれない、とおっしゃった。

 「ありがたみを増す」。確かに。わたしの場合は単に貧乏性なので「ありがたみ」つまり「めったにない」という付加価値を大事にするが(例えば上等のケーキはたまにしか食べないようにするとか・笑)、きっとそれとは似て非なるものなのだろう。006

 都久夫須麻(つくぶすま)神社の本殿とは、この「舟廊下」でつながっている。なぜ舟かと言うと、豊臣秀吉の御座船、日本丸を活用したものだから。何かと豊臣家とのゆかりがあるようだ。

 ほとんどが撮影禁止なので写真はないけれど、観音堂の唐門もこちらの本殿も国宝。唐門は、豊国廟を、豊臣秀頼が移築したもの。遠く京都から、解体して船で運んできたそうだ。まあそれしか考えられないが、大変な事業だと思う。

 神社(浅井姫命など三柱が祀られているが、当然浅井姫命というのは、浅井家の姫なのだろうね)。弁天さんも参拝し、宝物殿も見る。009 

 そして御朱印ゲット!雨の中わざわざ来た、というのでまたありがたみが増す(笑)。007_2   

 淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ。

 途中、薄日が差して、湖がやわらかく光る。観光とはまさに、光を見ること、と思う。

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 長浜に戻って、遅いお昼ごはんに、名物の「のっぺいうどん」を食べる。かまぼこ、湯葉、麩、もみじ麩、三つ葉、おろししょうが、そしてとても大きな椎茸が入ったあんかけうどん。

 写真の器の真ん中に見える黒い影。この椎茸がのっぺいうどんの特徴のようで、だいたい24平方センチメートルはあったと思う・・・。

 長浜は、2年ほど前に盆梅を見に来て以来だが、駅が新しくなっているようだった。盆梅の季節も終わり、梅は大切に大切に養生されているようだった。なんせ鉢植えなのに樹齢350年とかだもんねぇ。

 近江八幡の記事でも書いたと思うが、やはり琵琶湖の近くの古い町はどことも似通った雰囲気があるみたいだ。

 ここは石田三成の出身地ということで、三成を強力に押し出していた。きっと三成好きのレキジョが大挙して訪れるのだろう。レキジョの集合と腐女子の集合の重なりの部分はかなり大きそうだ。集合の図(ベン図と言ったか?)などを思い浮かべた。戦国時代はやおいネタの宝庫だから。

 ・・・・・。くだらぬことを考えつつ歩く、雨の近江路であった。

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jeudi 30 avril 2009

第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺

006  重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば

 市内の札所巡り。会期があまりにも短かったために、六角堂の御本尊の136年ぶりの御開帳を逃してしまい、無念の涙を飲むわたし・・・。目の黒い内は決して拝めまい・・・。

 六波羅蜜寺はその二の舞を踏んではならない。会期は4月26日から5月6日までだ。ただしこちらの御本尊、十一面観世音菩薩は、12年に一度巡ってくる辰年ごとに御開帳がある。市の聖、空也上人が市中をひいて歩かれた像だとされている。

 大和大路松原の角辺りに立つ道標。市内にはこういった古い道標がけっこうあって、注意して見てみるとおもしろい。

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 いかめしい山門や塀がないこのお寺は、とてもオープンな雰囲気。本堂は国の重要文化財。南北朝時代(1363年)に建てられたもの。昭和44年に解体修理されているのでそんなに古くは見えないのだけれど。

 宝物館を見るには600円かかったが、秘仏の御本尊の拝観は無料。今でも市の聖の精神が生きていると見える。

 小さな声で(笑)般若心経を唱えて、静かにお参り。日々いろんなことが降りかかってきても、こうしてお参りに来られた今がある、ということこそが感謝すべき御利益だと思う。008

 一足遅ければ、また三十三所巡礼ツアーの渦中に巻き込まれるところだったが、無事逃れ、御朱印ゲット!

 わたしは観音様の周りに一つづつ御朱印をもらって仕上げる掛け軸がほんとは一番いいなと思っているのだけれど、今日は隣で書いてもらっていた人の御朱印帳が、巻物だったのがかっこよくて、ガン見してしまった・・・。

 さて、六波羅蜜寺と言えば、空也上人。空也上人と言えば、口から「南無阿弥陀仏」の六字の名号を表す六体の小さな仏様を吐き出す像。せっかくなので、宝物館に会いに行こう。そして、六波羅蜜寺と言えば、平清盛公。こちらの像も宝物館に。

 歴史や美術の教科書に載っている有名な像なので、修学旅行生にも人気のようだったが、ここまで来るとはかなり踏み込んだ寺社見学だなあ。

 さて、十一面観音様のおられるところには、聖天さんもおられることが多いが、こちらも別棟にお祀りしてあるようだった。ただしそこは「関係者以外立ち入り禁止」となっていたのでお参りできなかった。厳重管理だ。絶対の秘仏なのだろう。

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mercredi 29 avril 2009

第十六番 音羽山 清水寺

  松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん001_2004_2 005 

 三十三所中、もっとも観光客でにぎわっているのはたぶん、このお寺。京都見物一回目の人はほとんどの人が行くだろうし、写真もガイドブックなどでおなじみのはずなので、載せずもがなかも(笑)。江戸時代には本当に清水の舞台から飛び降りた人が何人かいたらしいよ。でも死んだ人はいないんだって。

 ここはちょっと珍しい、北法相宗のお寺。御本尊は、十一面千手千顔観世音菩薩。十一の顔と千本の手と千の目を持つ観音様。秘仏で、基本は三十三年に一度の御開帳なのだけれど、特別御開帳をしょっちゅうやっているような気が・・・。

 御本尊とは、10年くらい前に清水寺で、そして昨年、奈良の国立博物館でお会いした。門外不出の御本尊が初めて外に出られたとき。このときに、この仏様が秘仏である理由がよくわかったような気がしたのだ。とても美しいと思った。千の手には、衆生の苦しみを救うためにさまざまな道具を持っていらっしゃる。その一つ一つまでもが精緻で美しかった。

 内陣に深く入って拝観できる。ちょっと珍しく、裏側から入る。真裏にも観音像が安置されている。表に回って、静かにお参り。前回から、つたないながらも、門前の小僧方式で読み方を覚えた般若心経の唱えることにしている。まだ肝が座っていないので、小さい声(笑)。003

 説明をするガイドさんがたくさんいたが、その内の一人が、「三十三所の巡礼を始められたハナヤマ天皇、後にハナヤマ法皇が・・・」と説明しているのを聞いて、「?」と思う。

 ハナヤマ法皇??いえそれはきっと花山法皇(カザン法皇)だと思いますよ・・・。

 御朱印ゲット。書いてくださった方によれば、字は見よう見まねで覚えたとか・・・。どこの御朱印も達筆だと思うのだが・・・。002

 境内に入ったのは、実に20年ぶりくらい??ご存じ、地主神社!地主、というだけあって、もともとこの辺りの産土神(うぶすながみ)らしい。従って、相当な古社であるのだが、第一印象はまったくそうは見えないほど派手派手(笑)。も~う、大々的に縁結び恋愛成就をうたっているからねぇ・・・。わたしが中学生だった頃から派手だったけれど、今はさらにさらにパワーアップ!あまりのキッチュさが笑えるので、大人の方もぜひ(笑)。

 修学旅行の中学生くらいの男子と女子が、きゃあきゃあ言いながら、恋占いの石に挑戦していた。楽しそうだった。

 大国主命が主祭神であることを、思い出したのか、今日初めて知ったのかどちらか思い出せない。

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mardi 24 mars 2009

第十九番 霊麀山 行願寺(革堂)

  花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん005

 寺町竹屋町の街中に立つ、西国三十三所唯一の尼寺、行願寺。京都の人には、行願寺と言うよりも革堂(こうどう)という呼び名の方がよく知られているかもしれない。「幽霊絵馬」の伝説でも有名だろう。

 もともとは一条油小路にあったのだが、現在地に移ったのは秀吉の時代。かつては大いに栄えたそうだが、近年まで堂宇は荒れ果てていたらしい。復興を果たしたのは、昭和44年に入寺された、中島湛海尼のおかげであるという。これには少し驚いた。

 ここは、「革聖(かわひじり)」と呼ばれた行円上人が1004年に建てたお寺。行円上人は、出家する前はもともと猟師だったのだが、あるとき、鹿を射止めたところ、そのおなかの中には子鹿がいて、まだ生きていた。それを見た行円上人は、深く殺生の罪を思い、出家。殺した鹿の供養のためいつも殺した鹿の皮で作った衣を着ていたという。山号の「霊麀山(れいゆうざん)」の「麀(ゆう)」は、牝鹿の意。

 御本尊は、千手観世音菩薩。秘仏で例年は、1月17・18日のみの御開帳。今は特別に3月末まで御開帳されている。行円上人が上賀茂神社の神木で、自ら彫った像だという。それゆえ山内には、上賀茂大明神が祀られている。他に、鎮宅大明神の祠もあり、寿老人の祠もあり、天台宗の神仏はちょっと独特なので、あまりよくわからない。

 寺地はとても狭い。本堂も狭い。御開帳はされているが、開かれたカーテン状の布があるのであまりよく見えなくて、垣間見るような感じ。

 今回からは勇気を出して(?)、般若心経を読むことにした。なんとか読み終えた直後、どやどやと、西国札所巡礼ツアーの老男女(「若」はいない)に周囲をぎっちり取り囲まれ、身動きが取れなくなった。その集団のガイド役(?)のお坊さんの先導により、さらに般若心経、観音経・・・。読経の只中に独り・・・。006

 御朱印はゲット。

 ツアーの人々は、嵐の如く来て、嵐の如く去って行った。お坊さんが指導してくれるのはよいと思ったが、そんな怒涛のような巡礼のやり方は、まったくわたしの趣味には合わない。

 今後、京都の街中の札所にお参りするときは、巡礼ツアーや観光客の来ない朝にすべきだろう。 

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lundi 23 mars 2009

第二十三番 応頂山 勝尾寺

  重くとも 罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら) ほとけを頼む 身こそやすけれ001

 千里中央からバスに乗ること45分。箕面の山の、応頂山(おうちょうざん)勝尾寺(かつおうじ)へ。ただでさえ寒い日、ここは大阪市内よりも5℃ほど気温が低いとか。

 派手! しかしこの山門は平成に入ってから、建立当時の色に復元されたそうで、お寺と言うと、渋い色合い(?)を想像するけれど、実は退色してただけ、ということはよくあるもの。

 もちろん、このお寺も古刹であり、創建は727年。その名の「勝」から、勝運信仰の寺として、源頼朝や足利氏の寄進を受けて、中世には広大な寺領を持っていたと言う。

 しかし、古刹の雰囲気を想像して行くと、まずエントランスに驚くだろう。○○会館、とか言う名前でもついていそうな、現代のビル。温泉旅館のロビーにあるようなおみやげもの(?)の売店に食堂・喫茶。フロントのような入山受付・・・。まさかここが入り口だとはわからなくて、しばらくうろうろしてしまった(笑)。008 002

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 勝ち運祈願のため、山内のいたるところに、奉納されたダルマが。スポーツ選手の奉納もあるとか。点在する小さいダルマは、実はおみくじで、中におみくじが入っている。聞いてみたところ、ダルマは奉納しても持って帰ってもどちらでもよいとのこと。わたしも一体・・・(笑)。おみくじは吉。裏面には英文。インターナショナル・・・。

 自由に鐘がつけるようになっていたので、空気を清浄(しょうじょう)にするため、お参り前に一つ撞いた。静寂の中に響き渡る鐘の音は美しい。009_2   

 御本尊は、十一面千手観世音菩薩で、やはり秘仏。本堂の前には結縁(けちえん)のための紐が下がっている。残念なことに、本年の御開帳は、3月1日~3日までと、非常に短い間に終わっており、来年の御開帳はないため、拝観はかなわない。

 学生さんと思しき娘さんとそのお母さんらしき人が、二人で般若心経を唱えていた。御朱印帳ではなく、掛け軸を仕上げようとされていた。やはりきちんと納経、せめてお経を唱えるくらいはしないと、さすがに掛け軸や笈摺(おいずる)はいただけないなあ、という思いがあるので、わたしは遠慮している。わたしなりの制限だけど。

 観音経はまったく無理でも、心経ならば、門前の小僧方式でも読めるだろうか。わたしもチャレンジしてみようか・・・。仲良く読経する二人を見てそう思った。006

 ちょっと自分的にはずる(?)してすみません、という気持ちはするものの、御朱印はゲット。

 書いてくださったのは、まつ毛ばっちりの、20代であろう若い娘さん。「南無大慈大悲観世音菩薩」と唱えながら丁寧に書いてくださった。御朱印を書く人は、老若男女関係なく皆達筆だ。彼女が出家かどうかは知らないし、現代において出家とは、ライフスタイルなのか、職業なのかはよくわからないが、こんな「仕事」は良いなと思った。004

  薬師堂は、源頼朝が建てたという、山内最古の建物。山内には妙に新しく、現代的に整備された場所と、このようにいかにも古刹だと思わせるような場所が、入り交ざっている。

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012  二階堂には、法然上人が4年間滞在したそうだ。本堂に入ろうとしたが鍵がかかっていたのであきらめて外から拝もうと思ったら、お坊さんが来て、わざわざ鍵を開けてくださった。

 お坊さんのお話によると、法然上人がいらっしゃった頃の御本尊は、阿弥陀如来だったかと思うが、今の御本尊は、仏像ではなく、「法然上人と中国(だったかな)の偉いお坊さん(名前は失念)が対談をしたときの、影が映った杉戸」なのだそう。

 そんな御本尊は初めて聞いたので非常に興味深い。やはり秘仏で、毎年4月18日に御開帳されるので、ぜひお越しを、と言われた。そんなこんなで、お寺に行くと、ついつい滞在時間が長くなる(笑)。

 他には、日本三荒神のうちの一つ、厄祓荒神でも有名らしい。荒神さんについてはほとんど知らないのだけれども。

 もう少ししたら桜が美しいそうで、また紅葉の名所であるそうだから、今日はあまり人がいなくてとても静かだけれども、シーズンにはどっと人が増えるのだろう。

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