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vendredi 30 mai 2008

寄贈本

 寄贈で、岩波書店刊の『寺田寅彦全集』 第Ⅰ期 全17巻をもらった。言ってはなんだが、図書館を本捨て場と思っている人もけっこういるけど、今回はよいものをもらったものだ。出版されてから10年くらいしか経ってないし、本はきれいだし・・・。

 「船頭多くして、船山に登る」という言葉を常に忘れないわたしではあるが、この本については早く出したいような気がして、担当者の許可を得て、装備などをやった。布装なのでブッカーの付きが悪いのだが、仕上がりは上々。前の職場からここへ、さらしに巻いて持ってきたブッカー鋏の切れも鋭く、とても気持ちのよい作業。

 寺田寅彦、名前は知っているけれど、読んだことはなかったと思う。もしかすると短い文をぱらぱらと読んでいるのかもしれないが、まとまっては読んでいないはず。

 最近読んだ本の中で、寺田寅彦が、「東京の市電のだんご運転の状況を調べたことを書いた一文」、というのが紹介されていたので探してみると、なるほど、あったあった。さすが全集だ。これを「芋蔓式読書」と言う。

 せっかくなので2、3の短い文章を読んでみると、これがまたとてもおもしろいので、どんどん読みたくなる。読みたい本が増える一方で、まったく困ったものだ。

 好きなだけ読むためにも早く隠居したいものであることよ・・・とおやつにもらった、長崎は匠寛堂のカステラを食べながら思った。

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mercredi 28 mai 2008

アマンディーヌ

001_3 今日は焼き菓子塾の日。午後からのクラスに行って、アマンディーヌを焼いた。お菓子ももう1ヵ月以上作っていなくて、かなり久しぶり。

 タルトの空焼きの説明。先生が、切り込みを入れた紙を手に持ちながら、「今日はこのシキガミを使います」と言った。

 ??

 シキガミが敷紙であることを理解するのに2秒はかかったような気がする。式神を使えば、お菓子作りにも非常に便利ではあるだろうけど(笑)。 

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 今日一番勉強になったことは、パート・シュクレを作るときは、台で作らず、ボウルで作るときも、できるだけ空気を含ませないように作る、ということだ。そうすればざっくりとした食感に焼き上がる生地ができる。以前家で作ったときに、もうひとつやわらかくて頼りない感じの焼き上がりになってしまったのは、配合の問題ではなく、作り方に問題があって、空気を含ませ過ぎていたことがわかった。やはり使うのはシリコンへらで、決してホイッパーではいけない。道具の選択は非常に重要だ。

 空焼きをした、ざっくりしたおいしいパート・シュクレに、ラム酒入りのクレーム・ダマンド。こちらはできる限り空気を含ませるように作る。小麦粉が少し入った配合。小麦粉なしではどんな食感になるのだろう?もっときっちり目が詰まる?クリームの間には木苺のジャム。表面にはアーモンドスライス。仕上げはシンプルに粉糖で。うっすら振り掛けるのが一瞬力が入り過ぎて、一部豪雪地帯となる。

 わたしにとってお菓子を作ることはある意味「闘い」といった部分もあるので、「癒し」というわけではない。でもきちんと身支度を整え、手を洗い、材料と道具の前に立つと、気持ちがしゃっきりして、ぼんやりした脳細胞も目覚めるような気がする。集中・・・。よい心のリハビリができたみたいだ。

 お菓子は一人一台作り、そのままお持ち帰りなので、おすそ分けをしようとトモちゃんを呼んだ。せっかくなので会社帰りの弟も呼び、いっしょに晩ごはんを食べる。弟夫婦に会うのも1ヵ月ぶりくらい。ほんとにPassent les jours et passent les semaines だ。 ずっと寝てたような気がするな。006_2

 調子に乗って、もう1ヵ月以上も飲んでいなかったワインを開けた。

 マルク・クライデンヴァイス アンドロー リースリング 2005。酸もしっかりあるおいしいリースリング だったのでお寿司ともOKだった。一杯目でちょっと酔ったけど、おいしいので3杯飲んだ。

 が・・・。しばらくするとビミョーに痒くなってきた!お酒はもうしばらくやめておいた方がよさそうだ。調子に乗るべからず。

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『仏果を得ず』

51fjwkvnrvl__sl500_aa240_  『仏果を得ず』 三浦しをん/著 双葉社 2007年

何年か前、国立文楽劇場でパンフレットを買ったときに、三浦しをんが文章を寄せているのに気がついて、あれ?と思った。三浦しをんと文楽、意外なつながりだなあと思っていたのだが、彼女の傾倒ぶりはかなりのものだったらしく、その後、『あやつられ文楽鑑賞』を出版、続いてこの『仏果を得ず』という、おそらく初めての(?)「義太夫小説」(笑)を書き上げた。義太夫にたずさわる国立文楽劇場の技芸員が主人公のこの小説には、ほんとに、義太夫と文楽に対する彼女の思いがあふれていて、読後感が非常によい。

 歌舞伎は、まだ子どもと言ってもよい自分からちょくちょく見ていたのだが、関西に生まれ育ちながら(とは言っても、大阪の子は何かにつけて文楽に小学生くらいから親しむ(親しまされる?)ものらしいが、京都の子はそうでもない)、文楽を初めて見たのは、恥ずかしながら、30も越えてからだった。

 生きているかのような人形の動きに魅せられ、義太夫の語りに手に汗握り、時には涙し、三味線の音に心震える・・・。命を持たない人形に命が吹き込まれ、無表情な顔にいろいろな表情が見える・・・。

 そんな経験をわたしは実際にしたので、三浦しをんが『仏果を得ず』の中で書いていることは、本当のことで、大げさでもなんでもないような気がする。

 近松門左衛門の作品はいいなあ、と思う。でもたぶん、字では読めないと思う。しかし歌舞伎では役者が演じ、義太夫では太夫が語って聞かせてくれるから、大昔の大坂の町に生きた人々にシンクロして、心地よく、時には切なく、苦しく、物語世界に入り込むことができる。いつも、語りの力は偉大だなあと思う。「聞く」力は、人生の早いうちから最後まで人が持ち続けることができる力。

 さっそく義太夫が聞きたくなってる(笑)。

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lundi 26 mai 2008

「フランス伝統の・・・」

32030452  『ランジェ公爵夫人』 オノレ・ド・バルザック/著 工藤庸子/訳 集英社 2008年

 「フランス伝統の」という枕詞をつけたくなるような小説。久しぶりに心理小説をたっぷり楽しんだような気がする。この作品は、確実に『クレーヴの奥方』の系譜につながっていそうだ。

 立て板に水のように語るランジェ公爵夫人の饒舌なセリフが、地の文をしのぐ勢いで事細かに心の内を鋭く分析して言葉をもって明らかにしていく怒涛のような展開は、まさに心理小説の醍醐味、といった感じ。おフランスざんすね・・・。

 フランス文学で何か一つだけ、これはという作品を挙げるなら、わたしは今も昔も、ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を挙げる。そう言うと、「渋いですねぇ」などと言われることもあるけど、渋いと言うより、これは「王道」、この作品が書かれた1678年以来脈々とその系譜は続いている。・・・とかえらそうなことを書いているけれど、要するにわたしは『クレーヴの奥方』が大好きなので、その子孫であるところのroman d'analyse(心理小説)には大変に親しみがわくのである。

 『ランジェ公爵夫人』の中には、抜き出してもそのまま箴言としてもよさそうな文がいっぱいあっておもしろい。

 「神さまは神さまの居場所にそっとしておかれたらどうです、神さまのためにもわたしのためにもね。」

 「社会階層をのぼるほどに、最下層の汚泥が見つかるのですね。ただしそこでは汚泥が固まって金色に塗られている。」

 「待つことは恐ろしい嵐であり、同時に甘い悦びの醸成であることを知らぬような人には、禍あれ!」「愛においては、待つということは、確かな希望をたえず汲みあげることを意味しよう!」

 「伯父さま、わたくしも、人を愛するようになるまでは、計算くらいできましたのよ。」

 こんなこと言うてみたいもんだ。オジサマ ワタクシモ ヒトヲアイスルヨウニナルマデハ ケイサンクライ デキマシタノヨ・・・。

 今ちょうど、大阪のシネ・ヌーヴォで、映画をやってるので行きたいんだけどなあ・・・。

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samedi 24 mai 2008

貴族とミゼラーブル

 今日は昨日より目が覚めてる。

 久しぶりにレファレンスを2件ほど。まだ蔵書をよく把握していない場所でのレファレンスはとてもやりにくいものだけれど、これくらいなら大丈夫。最近ほとんどすることがなくなっていたので、久しぶりにするとやっぱり楽しいな。

 女性。カウンターに来て「ちょっと調べてほしいんやけどね。おしょうさんが~・・」と始まる。続きを聞くと「おしょうさんが蜂蜜かなんかを毒やって言うて・・・」と続く。つまりそんな話を探してほしいと。

 これは狂言の「附子(ぶす)」だと思ったので、内田麟太郎さんの狂言絵本を出してきてみる。一読して、この話だと言いつつもけげんな様子の女性。「これでは『主人』となってるけど、わたしが子どもの頃に読んだのはおしょうさんやった。違うんやろか?」と言う。もう一冊、狂言集など出して見て見るも、記述は「旦那」で、おしょうさんではない。そこで何冊か狂言の解説本を出してみた。「附子」は有名な作品なので、必ず載っているはず。

 その中の一冊に答えがあった。「同様の話は一休とんち話にもあり・・・」との記述。なるほど!と、今度は一休さんのとんち話を当たる。すると、京都の民話の本に、「どくのつぼ」という題で収録されていた。それを見せると、「ああ、これこれ」と女性は大変満足された様子。 ふ~ん。一休さんの話にも同じようなのがあったとは知らなんだ。とても勉強になった。

 次も女性。フロアにて質問される。「すみません。パスカルに関係した本は?」「数学者の?」と訊くと、そうだと言う。訊いてしまってから、ブレーズ・パスカルのほかに有名なパスカルっていたっけ?ラスカル?そりゃアライグマやん・・・、と一瞬考えをめぐらしてしまったが、とりあえずパスカルのどんなことについて調べたいのか訊いてみる。

 すると大方の予想どおり、「人間は考える葦」という言葉が載っている本ということだったので、すぐさま『パンセ』を検索して、年期の入った「世界の名著」を出す。だって自館には『パンセ』それしかなかったんだもん。

 さてところが、いくつもの「断章」の中から、探しておられる一文を見つけなければならない。厚い本を一冊渡されて、この中に書いてありますから見て、と言われるのはわたしだっていやだ。どうして調べようかなあと思っていると、巻末に索引が・・・。ラッキー!さすが「世界の名著」だわ。「葦」で引くと、すぐに出た。それにしても、「人間は考える葦である」とは、ずいぶんと端折った一文になったものだなあ。

 そうそう。このあいだは、その筋の、でもめちゃめちゃ気のよさそうなおじさんが、刺青の図案などを調べに来たのだが、そのときは自館の資料で間に合わず、非常にくやしい思いをした。前の館で確か買ってたはずなんだけど・・・。あの本なら載ってるのに~・・・、ということが、異動になるたびに起こるのは難儀なことだ。Photo

 大丸のヴィタメールのカフェミゼラーブルを食べる。このあいだショーケースを見たときにはなかったので、よもや製造中止では?と案じていたのだが、今日はちゃんとあったのでよかった。まあこれも何度も書いているけれど、ミゼラーブルはベルギー銘菓で、アーモンドの生地とバタークリームのとってもおいしいお菓子です。なぜmisérableと言うのかということは、ベルギー人もフランス人も知りません。どなたかご存じでしたらご教示くださいませ。

 ああ、このクリーム、ほんとにおいしい。こくがあるので、コーヒーによく合う。これはほんとにクリームを味わうお菓子だなあ・・・。幸せ(笑)。

 コーヒーを飲みながら、『ランジェ公爵夫人』を読む。ヴィタメールのカフェに、公爵夫人。う~ん、貴族!でもミゼラーブルなんだよね。

 恋愛の話を語るのに、スペインのとある修道院のこと細かい描写から、バルザックは説き起こす。非常に退屈・・・。いつになったら話始まるねん・・・?『谷間の百合』を、同じような退屈さのために途中で放棄してしまったことを思い出す。二の舞になるのではなかろうか。

 いやになりかけたところでようやく男登場。彼は、かの修道院になんとか入り込もうと権謀術数をめぐらす。やっと話がおもしろくなってきたと思って、第二章。

 またまたバルザック、フォーブール・サン=ジェルマンと貴族について語りまくる。せっかく話始まったと思ったら・・・。あらら~、と思っていると、訳者が後書きで、

 「のっけから不謹慎なようだけれど、バルザックの世界にはあまり馴染みがないと思われる方には、飛ばし読みをおすすめしたい」

 などと言っちゃってる。なんだそうしてもいいのか、知らなんだ・・・。わたしは、フォーブール・サン=ジェルマンと貴族についての語りは非常におもしろいと思ったけれど、退屈な風景の描写はちょっとしんどいなあ。がまん強く読んだけど。

 物語はまだ始まったばかり。展開が楽しみだ。主人公の名前が、アルマンとアントワネット(笑)っていうところも、妙な期待。

 貴族と言えば、最近ではどうも髭男爵だな・・・。

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vendredi 23 mai 2008

眠りの国

 たぶん、寝る前に飲むことになっている薬のせいでここしばらくず~っと眠い。夜も早く寝て、本当なら睡眠時間は十分なはずなのに、今朝など、ついに寝過ごしてしまい、起床。身支度をしてすぐ出勤、という事態に相成った。かろうじて顔は作ったが。

 起きても眠い。ふらふらとバスや電車を二回乗り換えてもまだ眠い。自分をも欺き、仕事中はしっかりした雰囲気を出してはいるが、実は半死に。なんだか足元から影が薄くなって消えていくような気がするなあ・・・。世界にレアリテがなくなって、常に眠りの国をさまよっている。

 もう寝よう・・。

  

 

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mardi 20 mai 2008

フレジエの季節も過ぎ

 皮膚科の診察に行ったり、祖母の様子を見に行ったり、いつもながら結局休んだのか休んでないんだかよくわからない休日。

 湿疹もだいぶ治まったし、そろそろ薬飲まなくていいかなあと思っていたら、それどころか飲み薬一種類と塗り薬一種類をさらに追加され、使う薬が5種類にもなった。まあ実際まだ痒いんだから仕方がないけれど。先生に状態を説明すると、「え~?!」とか言われ、状況はあまりよくはないらしい。赤みと痒みをきっちり抑えねばならないそうだ。なんだか知らないが、今回は治りが遅い。そろそろワインが飲みたいんだけどなあ・・。

 先生は30代後半くらい?で、わたしが、密かに一番かっこいい!と思っている人と同系統で同程度にかっこいいので、診察で手を取ってなでられたときには不覚にもどきどきしてしまった。医者がかっこよかったり美人であるのはちょっと困る。むやみに緊張してどきどきしてきっと血圧とかも上がるでしょう(笑)。Photo

 フローイングカラスマのフレジエ。クレーム・ムースリンヌのほんまもののフレジエだった。おお~!バター不足のこのご時勢に、リッチなこのクリームを味わう贅沢。冷蔵庫から出したてもわたしは悪くはないと思うけど、15分ほどは室温に置いてクリームを戻してから食べる方がやっぱりおいしいな。

 何度も書いているけれど、フレジエは一番好きなお菓子かもしれない。メランジュールも買ったし、貴重な無塩バターのストックもあるし、今年の春は久しぶりにフレジエを作ろうと思っていたら、もはや苺の季節も過ぎ・・・。我が身世にふるながめせしまに。

 中身を替えて作る?木苺でフランボアジエ、これは合いそうだ。さくらんぼでスリジエ、生でもシロップ煮でもちょっとしっくり来ない。オレンジで、オランジエ、クリームと味はとても合いそうだけど、汁多すぎ。栗でシャテニエ、ちょっと暑苦しい食感?パイナップルやマンゴーはけっこういけそうだ。

 かなりお手間もののこのお菓子、作るにはかなり気力がいるけどねぇ・・・。

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samedi 17 mai 2008

読み聞かせ

 まりまりさんと小さな王子様のために。

 主に子どもに対して、絵本などを共に見ながら音読することを指す言葉として、「読み聞かせ」は一般的な言葉になっています。この言葉はもともと、今から40年ほど前に、名前は失念しましたが、ある読書団体(?)が使い始めた言葉のようでして、今でも「読み聞かせ」という言葉があまり好きではない人は、「読み語り」などといった、違う言葉を使ったりもしています。わたしも、ちょっとこの言葉には「上から目線」を感じたりもして、しっくりこない面もあるのですが、他にぴったりな言葉も見つからないので使っています。

 同じ理由で、子どもに対して、「絵本を読んであげる」、とは決して言いません。必ず「絵本をいっしょに読む」、です。絵本は大人が子どもに一方的に読んでやるものではなくて、子どもといっしょに楽しむものです。いっしょに楽しむ気持ちがない読み聞かせは、大人にとっても子どもにとっても気持ちののらない、つまらないものでしょう。

 情操教育のためとか、頭のよい子にしようとか、言葉を覚えさせようとか、読み聞かせに効果を期待して、またそのために読み聞かせをしようとするのはありがちなことですが、それは本末転倒です。大人の読書についても言えることなのですが、そういった効能は、副次的なものに過ぎません。楽しむこと、それが第一義です。

 読み聞かせは、0歳児からできます。ただ、主眼はお話を読んで理解させることではなく、絵本を使って、子どもとのコミュニケーションそのものを楽しむことにあります。

 赤ちゃんの顔を見て、語りかけ、笑いかけ、ときにはスキンシップをとりながら、絵本を読みます。そうすると赤ちゃんも、じっと注意深くこちらを見て、ときにはあ~あ~、う~う~、とお話をしてくれますよ。想像しただけでもなんとなく楽しくなりますね(^^)。

 赤ちゃんが本を触りたがったり、ページをめくりたがったりしたら、ぜひやらせてあげてください。厚紙でできた本などはめくりやすくていいですし、最近はいろいろな紙や布などが貼ってあって、触って楽しむ絵本もありますから、そういうのも楽しいですね。

 ぜひ、楽しい読書の第一歩を(^^)!

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vendredi 16 mai 2008

Qu'est-ce que c'est?

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 これは何でしょうか?

 和菓子、または豚まんのように見えますが・・・?

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 正解は、トラットリア・セッテ塩キャラメルのメレンゲです。つまり、ムラング・シャンティイーのヴァリエーション。大きさは豚まんくらい(笑)。さっくりしたメレンゲの中にはキャラメル味のクレーム・シャンティ。表面の粒々は塩。仲間の木苺のメレンゲは、中に甘酸っぱい木苺のピュレを混ぜたクリームが入ってる。ほうじ茶、というのもあったけど、これは未食。

 ムラング・シャンティイーは、名前のとおりのごくシンプルなお菓子。乾燥焼きにした甘いメレンゲとクレーム・シャンティイー(砂糖を入れて泡立てた生クリーム)だけで構成されたお菓子。

 好みははっきり分かれるようだけれど、わたしはけっこう好きかな。味はそうだねぇ・・・、たいていの場合、ただ甘い(笑)。単純に甘い。ベルギー菓子のメルヴェイユと同系列。でも妙にメレンゲのしゃくしゃく感がたまりません。フランス人とかベルギー人は大好きだよね?

 わたしはこてこての日本人しかも関西人ですが、お菓子の好みはおフランス人です(笑)。甘~いぼってりとしたつやつやフォンダンも、しゃりっとした砂糖衣も、よ~く焼けた(焦げた?)シュー生地やタルト生地も、こっくりしたバタークリームも、日本のケーキ屋さんでたまに見つけても、すぐに製造中止になってしまいます。きっと売れないのでしょう。この前あったあれは・・・?もう作っていません・・。ということが何度あったことか。

 セッテのメレンゲも、なくなってしまわないことを祈ります。

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うたうた12つき

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 12がつ

12がつが やってきた

1ねんは 365にち

おなか こわした

かぜ ひいた

ころんだ ぶつけた すりむいた

たんこぶつくって べそかいた

しんぱいした日も あったけど

おわりよければ すべてよし

ぼうねんかいで しめくくり

まるく わになって

おどろう うたおう

うた うた 12つきの うた

らいねんも さらいねんも

うた うた 12つき

うれしいこと たのしいことが

いっぱい あるように

おどろう うたおう

みんな なかよく

わになって  

『ぐりとぐらのうたうた12つき』 なかがわりえことやまわきゆりこ 福音館書店 2003年

 何回読んでいても、ぐりとぐらの本って、書架に戻っているとついつい手に取って見てしまうんだなあ・・・。

 山脇百合子さんの絵はほんとに癒される。草花のタッチが特に好き。

 ああ、今日も癒された・・・。

 ぐりとぐらシリーズは、名著だ!!     

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jeudi 15 mai 2008

料理は科学

Tky200805020134  『フランス料理の「なぞ」を解く』 エルヴェ・ティス/著 須山泰秀・遠田敬子/共訳 柴田書店 2008年

 フランス国立農学研究所の物理化学者が、アペリティフからデセールまで、実際のフランス料理のルセットに沿って、その手順の科学的な裏付けあるいは反証をもって解説する、という趣向の本。そしてその通りに作ればおいしい料理が出来上がるという「作り方」の本でもある。

 これはこういう理由でこうするのだ、とか、こういう原理でこんな状態になるのだ、といちいち納得したい人向き?・・・だとばかりは言えなくて、どんな作業でも理屈や仕組みをわかってやった方がスムーズに進むし、忘れないし、ミスも少ないものだ。

 「料理は科学」、とよく母が言っていたことや、子どもの頃に何回か訪ねた、母の先生の実験室の様子などを懐かしく思い出す。たまにだけれど、台所で、酢卵を作ったり、小麦粉からグルテンを取ったり、ちょっとした調理科学の実験をして遊んでくれたこともあったなあ・・・。

 ちょっと往年の辻静雄先生にも似た、かっこいい著者のエルヴェ・ティス氏、料理人としてもほとんどプロなのだろう。どの料理もとてもおいしそうだ。日本の台所で作るのはちょっと難しそうなものもあるけれど、作ってみたくなるような料理も多し。

 著者は断言する。

 「料理というものは、きちんと説明がなされていれば単純なものなのです。たとえ複雑をきわめる料理でも、それは基本技術の総和にすぎません。~~もちろん、避けなければならない失敗はあるにせよ、ほんの少しの注意力と理解力があれば大丈夫です。~~~私が言わんとしているのは、すべての調理作業について正確な説明が書かれていて、少しでも意欲があれば、いかなる料理も完成させることができるということです。」

 クラージュ!! 

 語り口のそこここには上品なユーモアがあって、引き付けられる。それはフランスのエスプリ(笑)??

 各ルセットの冒頭には一つづつ、おなじみのブリア・サヴァランやグリモ・ドゥ・ラ・レニエールの著作からの引用文がきれいな小さい挿絵と共に入れてあり、それも大変に慕わしい。つまり、作りからしてとても自分好みなのだ(笑)。

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mercredi 14 mai 2008

C'est la vie.

     Faut-il qu'il m'en souvienne

     La joie venait toujours après la peine

 ここしばらく何やかんやで気が滅入り、何をする気もないまま過ごしていたら、知らないうちに5月も半分くらい過ぎていたのね。体調もちょっとはましになったようだし、何か書いてみようかなあ、という気にもなってきた。

 理不尽なことも、納得いかないことも多い。C'est la vieってことやね。日々は過ぎ去って、わたしだけが取り残される。でも人間、何ができても何ができなくても、遅かれ早かれいずれは鳥辺野にたなびく煙。たいそうに考えることもないわ。

 3日は稲荷祭だったので、おかえりの前にぎりぎりで御旅所にお参りに行った。伏見稲荷の御神輿は五基あって、どれも大きくてそれぞれに美しく立派なものなので、ブログにもアップしておこうと写真をたくさん撮ったのだけれど、結局できなくて残念だ。

 御神籤を引いたところ、なぜか「大大吉」が出た。気分としては「大大凶」だったにもかかわらず(笑)。お正月に引いたのは「凶後吉」、去年のお正月のは「吉凶末大吉(きっきょういまだわからずすえだいきち)」、という見たこともないものだった。あんまり御神籤って引かないけれど、吉とか凶とか、ありがちなのをあんまり引いたことがない。

 もちろん、珍しい卦の後ろには、たくさんのありふれた卦(吉とか凶とか)があることを考えると珍しい卦が出るということはそんなに珍しいことではないかもしれないが、自分が御神籤を引いたそう多くはない回数のうちで、何回もあまりありがちとも思えない卦を引く、ということは珍しいことのような気もする。(個人レベルでは珍しい??)

 昨日、医院の待合室でのこと。わたしを含めて3人の女性が待っていたが、そのうちの一人が、下の名前の漢字は一字違うものの、音としてはわたしとまったく同じ姓名、さらにもう一人は、下の名前はまったく違ったものの、苗字のほうは漢字違いのこれまた音としては同じ姓の人だということがあった。看護婦さんや先生も交えて、皆で、「こんなこともあるんですねぇ・・」と笑い合ったのだが、これとて実は、そう珍しいこととも言えないようなので、もう何が珍しくて何が珍しくないんだか、よくわからないのであった・・(笑)。

 楽しいことも悲しいことも、まあ、いろんなことがありまして。仕事は仕方がないので行っている。時間を切り売りする我ら悲しきプロレタリアートなので。しかしなんだな、このプロレタリアートという言葉、必ずウエスタンラリアートを思い出させるな。まあ一発食らわしてやりたい奴は多々。

 出かけてもすぐにしんどくなったりして体の活動力というか元気さが落ちた分、寝ていることも多かったのだけれど、その分本はまあコンスタントに読んだかも。

 V・E・フランクルの『夜と霧』新版。言わずと知れた名著だけど。何となく手に取ってイッキ読み。非常に感銘を受けた(当たり前だろ、とつっこまないでくださいませね?)。極限状態であらわれる人間の本質、真髄のようなもの。そのときに何を強く想うのか。人を救うのは、「何かが待つ」という強い感覚であるということ。サン=テクスの『人間の土地』と通底するものがある。二人がそれぞれの「極限」で知り得た、人間という存在の真実なのだろう。一つの「悟り」と言ってもよいのかもしれない。

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